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四肢の無い彼を羨む

とんでもなく不謹慎なタイトルだな、、
でもこういう事を思う背景を知って欲しい。

小さい頃から僕は、落ち着きがなく感情的になりやすく、集中力は皆無だった。あまり「普通」って言葉は好きじゃないけど、分かりやすいからつかう。
僕は明らかに普通ではなかった。
しかしその時代に発達障害だのなんだのに対する理解はほぼなかったし、気合い根性で何とかする時代だったので、周りの子と同じ歩幅で歩くことになった。そのお陰で一見、ぱっと見、普通に生きていけるようにはなっているんだけども。
一見普通に見られる事が、とってもしんどい。
例えば皆が真面目に90分の講義を受けている間、じっとしている事が辛くて、講義の内容なんか聞いていられなかったりする。学校の中には本当に多動で、机を叩き始めたり教室内を走り始める子もいた。僕の友人達はその子を気持ち悪く思っていたので、余計に「普通」でいなければならないと神経をすり減らしていた。

僕はみんなが当たり前にやる事を、必死にやっていた。生きていくためにやりたくない事をやっている彼らをすごいと思う。絶対に続けられない。
学校は行くところだからといって休まない彼らを不思議に思う。体動かなくなったりとかしないんだろうな。当たり前の事を当たり前にするってどんな感覚なんだろう。
僕は周りからは普通に見られる。そういうふうに見られないといけなかったし。細心の注意を払ったりしながら必死に食らいついている普通。
それに嫌気がして引きこもりになった。
そんな時にテレビかなんかで両手両足がないけど楽しそうに生きているメガネをかけている有名人と出会った。初めて見た時「彼は得をしている」と思った。
だって普通になんか生きられないもの。
でも頑張って生きていてえらいねってなる。
僕も四肢がなければ、授業に集中できないことも、体が動かなくなることも、要領が悪くて仕事ができないことも許されるんだろうな。

最近メンタルクリニックに行って医師の診断をうけて、僕にそれっぽい名前がついて初めて生きていくことが楽になった気がする。全然手帳発行できますね、って言われた時は「ですよね!?」と喜んでしまった。こんな僕を友達は気持ち悪がるのだろうか。そんなの気にしてる暇ないくらい生きていきたいのでどうでもいいんだけど。

ふと、立派な障害を持つ彼らを羨ましく思っていた事を思い出したグレーの僕のぼやきでした。

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