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「葉っぱ危機/leaves crisis」2

 魔王の死を知った魔術師はまず、哀悼の言葉を心の中で呟きました。それから宮殿の中庭に咲き乱れる薔薇を見渡し、ふうと深呼吸をします。瑞々しくも甘い匂いが彼の鼻孔をくすぐり、得も言われぬ幸福な気分でした。 
 魔術師は立ち上がると、手をパンパンとたたいて昼寝用のハンモックを消しました。宮殿を弾むように歩きながらひょいっと手のひらを返して空中から羽根ペンを具象化させます。続いて書斎の扉の前で立ち止まると、腰をくねらせ、軽快なリズムをハミングしながら、しばらく理想的な机の姿を想像しつつダンスを踊るのでした。
 この日、彼の頭の中に浮かんだのは、脚を黄金とエメラルドで装飾した森のいい匂いがする樹の机でした。革張りの座り心地の良い椅子までもありありと想像したころには、彼の唇には「楽しくてたまんない!」という微笑が浮かびます。
 彼はダンスとハミングを止めると、扉を開きました。書斎にはまさに彼が思い描いたとおりの机と椅子があります。彼は「イエスイエス」と呟くと、淡々とした表情で椅子に腰掛け、指先をはじいて机の上にまだ何も書かれていない本を具象化させ、「ハハハーン」と先ほどとはまた違ったメロディーをハミングしながら羽根ペンを動かしはじめました。
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魔王が死にました。                         しかし、この世界には勇者も偉大なる魔法使いもいませんでした。
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 彼の羽根ペンは、まずそう言葉を綴ります。それから踊るように楽しげにペン先はこう続けました。
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それでも確かに、魔王はこの世界から消え果てました。         とうとう寿命が来たのです。
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 物事にはすべて良い面と悪い面があるものです。魔王の死もまた然り。そんなわけで、魔王の死は多くの人々を混乱に巻き込みました。特に魔王崇拝の盛んな国々では、多くの人々が恐怖のどん底に突き落とされ、社会機能が麻痺するほどの危機に直面することになったのです。魔王崇拝が盛んな国では、魔王の力の陰でさんざん悪事を働き、甘い汁を吸ってきた人々が沢山いました。
 魔王の死は、その存在すら知らないはずのユラユラ洋に浮かぶメロメロ島のノリノリ森の動物たちにまで影響を及ぼしました。
 魔王の幻影が霧散したその日、ユラユラ洋で嵐が生まれたのです。嵐は雲を引き寄せむくむくと成長しながらメロメロ島にやってきて、ユラユラ森の動物たちに丸一日続く大雨をたっぷりと体験させました。その後いつのものように利口な風たちがやってきて半日猛スピードで走り回り、大地を乾かして去っていきました。
 ようやく出てきた動物たちは、久しぶりの静けさと太陽の光にほっと息をつきました。贔屓はしたくないけれどやっぱり快晴が一番好きだ、なんて思ったりしながらね。それから各々、洗濯やら嵐で壊れた家の修理やら庭のお掃除やらをはじめたわけです。
 いつの時代でもどんな場所でもそうであったように、最初に変化に気づくのはのんき者です。掃除も洗濯も庭の片づけも後回し。彼らはフンフンと鼻歌交じりに、庭に散らばるスリッパなど気にもとめずお散歩に出かけます。どろどろになっても平気なズボンと靴を身につけ、ポケットにチョコレートやビスケットやクラッカーを忍ばせてね。
 しばらくぷらぷらと歩いて、のんき者たちはとんでもないことに気がつきました。森の落ち葉という落ち葉が一掃されているのです。一枚残らず。
 さて、なぜこれが困ったことかと言いますと、森の動物たちにとって落ち葉は生きていく上で無くてはならないものなのです。カラスのパン屋のロールパンを買おうにも、キツネのレストランでカレーライスを食べようにも、ウサギの仕立屋で洋服を買おうにも、落ち葉が無ければ手に入れられないのですから。
 落ち葉無しで許されるのは、オタマジャクシぐらいなもので、彼らにしても蛙になれば落ち葉を持ってきますしね。 
 森の動物たちは、おなかが減ると庭の落ち葉を数枚拾って、食べ物を買いに出かけます。もし庭に無ければ、落ち葉がたくさん溜まっている森の広場だとかに行って拾えばいいわけです。落ち葉の季節にたっぷりと拾って家の中に置いておけば、落ち葉の無い春や夏にだって、うさぎじいさんの素敵なワンピースやクマおばあさんのサンドイッチや山猫玩具店のおもちゃを買えます。
 ね、落ち葉ってすごいでしょう?森の動物たちにとっては、落ち葉は生きていく上で必要不可欠なものなのです。落ち葉無しでは、生活していけないのですから。
 しかし、どうしたものでしょう。森からは落ち葉が一枚残らず消えてしまっています。嵐が来る前には落ち葉は森中にまだまだたっぷりあったので、落ち葉を家の中に溜めておこうなどと考える者がいるはずもなく、誰もが無一葉になってしまったというわけなのです。これは森の一大事。
 すっかり参ってしまったのは、パンを買いたい者だけではありません。パンを売る側にも大打撃です。
 「困った。パンを焼いても買える人がいないならどうすればいいんだ」
 カラスの夫婦は顔を見合わせます。
 「洋服を着てもらえないんじゃあ、つまらんなあ」
 不屈の精神を持つと森の動物たちに尊敬されているうさぎのじいさんでさえ、今にも泣きそうな顔で腕を組むしかありませんでした。
 そんな中、レストランをはじめたばかりのキツネだけは、けろっとしていました。
 ああ、どうせ葉っぱをまんじゅうにするみたいに、まんじゅうを葉っぱにするんだろうって?いいえ。 
 「いいですよ」
 彼は途方に暮れている森の動物たちに言ったのです。
 「あたたかいオニオンスープを飲んでいってください。スペシャルドレッシングのサラダを味わっていってください。とびっきりのグラタンやコロッケやピザ、デザートの木の実のケーキやラズベリーパイもありますから。さあさあ、いらっしゃいませ」
 けれど、どんなにキツネが誘っても動物たちはレストランに入ってこようとしません。
 「どうぞ、遠慮なさらず」
 キツネが何度と無くそう呼びかけると、とうとう小鳥が一匹、キツネのコック帽の上に降り立ち、恥ずかしげに目を伏せて言いました。
 「でも、わたし、葉っぱを持っていないんです」
 「だからなんです?」
 若者は笑いました。小鳥はわっと泣き出しました。
 「一枚たりとも葉っぱを持っていないのに、どうしてあなたのラズベリーパイが食べられましょう!」
 「わかりました。では、こういたしましょう。小鳥さんたちは、歌うのが好きでしたね。ぜひこの良き日に、森で歌ってください。その代わり、わたしのレストランで好きなものを食べ下さい」
 小鳥は目を輝かせました。
 「はりきって歌いますわ!」
 鳥たちはレストランに文字通り飛び込んで行きました。
 この話を聞きつけたカラス夫妻は、さっそく森をとぼとぼ歩いて落ち葉を探し回る動物たちに向かってこう言って回りました。
 「ああ、鹿さん、絵の上手な鹿さん。ぜひわたしたちのために看板を描いてください。その代わりに、うちのパンを食べてくださいな」
 「おやおや、そんなところにいらっしゃいましたかリスさんご家族。いつもご贔屓にありがとうございます。ところで、リス一族に我が家の模様替えを頼みたいんです。その分みんなで、おなかいっぱいパンを食べて帰ってくださいな」
 それから三日もたたぬうちに、新たなルールが森に生まれました。うさぎの仕立屋は帽子を持ってビーバー酒店にぶどう酒を貰いに行きます。山猫は色とりどりの風船を手にフクロウ書店に向かいます。
 やがて嵐を耐えぬいた葉っぱが散る時期がやってきました。
 「ああ、やれやれ、ようやく葉っぱが手に入るぞ」
 とは、誰も思いませんよね。もはや森の動物たちは落ち葉を集めなくなりました。

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