病気や絶望を前にして耐えるしかない時に思うこと。

“忍術の三病とは、一に恐れ、二に敵を軽んず、三に思案過ごす。この三つを去りて、電光の如く入る事速やかなり。”

ってのがありまして。
敵を恐れすぎても、軽んじすぎてもいけない。
そして考えすぎてもいけない。

とはいえ
“急いては事を仕損じる”

スピードというのは単に速い事ではなく、効率の良さだけでもなく、目標到達に必要な過程を経るのも含んでいる。

F1だってアウトインアウトって感じでコーナーを曲がる時は膨らんでインコース攻めて、無理なく膨らむ。

人生運良くエレベーターがあるのは稀で、
仕方ないから螺旋階段を使うのです。
同じところをグルグルしてるように見えて、ちゃんと昇っているのです。

人の世を歩けば、どこかしらで誰かの責任を追及しがちですが、
特に自然災害なんかはわかりやすい。
それが無くともマリンスポーツ、登山、農家の人たちは知っている。
いっそ天気、事故だってそうだ。
人間の限界を超えたところに在る。

ある種絶対的に多大なる存在の影響を避けられないと悟っている。

休みの日から前日まで、天気や風の予報と睨めっこして、早朝から支度して、

到着してみたら波が無かったり、自分には高過ぎたり、
そこに諦めや恐怖があると、
どうしようもない事で、誰に対して怒るとか責任追求とか、それ自体が奢りのようなものと解る。

病気も絶望も、どうしようもないものという事がしばしある。

いくら脳内や胸中を整理してもダメな時は仕方がない。
やるだけのことはやって諦観するか、機を待つか。

“人事尽くして天命を待つ”

人間そんなもんです。
そんなもんなんです。

だから何かに昇華する事で報われる気がします。
自分しか知らない時間、苦悩、葛藤、
それらが自分の価値観だけで報われると思える何か、

他人の介在しない世界の中。
内にこもるのでは無く、内に向かう。

そういうものを支えに、なんとか今日も今日とてやり過ごし、
同時に生きていくのでしょう。

というのが、ひとまずここ最近の僕の生きる言い訳。

ずいぶんまた偉そうっすね。
そんな簡単に行かないから僕ら毎度毎度面倒なほど悩むんだよねえ…


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