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『永遠の門 ゴッホの見た未来』

原題「At Eternity's Gate」

◆あらすじ◆
パリでまったく絵が売れずに苦闘するフィンセント・ファン・ゴッホ。困窮に苦しみながらも、彼は出会ったばかりのゴーギャンの言葉を信じて、明るい日差しが降り注ぐ南仏アルルへと向かう。地元の人々と衝突しながらも、彼は弟テオの協力を得ながら創作活動に打ち込んでいく。



『潜水服は蝶の夢を見る』『夜になるまえに』のジュリアン・シュナーベル監督が画家フィンセント・ファン・ゴッホを描くってなったらどんだけアート的になるんだろ?って思わないわけないよね。だってシュナーベル監督自身が芸術家なんだからね。
それに脚本が大好きな『存在の耐えられない軽さ』のジャン=クロード・カリエールって!!

期待は全く裏切られる事無く全編に渡ってまるでゴッホの絵の中にいるような感じさえした。

接写の多用、カメラワークと色彩技術を駆使して創り出されたゴッホの一人称目線がまさに彼が見ていた世界なのだろうと納得してしまうほど明媚だ。


不遇と言われるゴッホの人生。彼はそれを【人生は種まきの時】だと言う。
この言葉は物事の価値は時を経て重ねたものの先(未来)に在るのだと言う意味に取れる。まるで彼の描く絵の様に。

晩年を描いたこの映画の中でさえ彼の作品の価値は見出されていなかった。そして126年も眠っていたデッサン・・・

それを踏まえてのマッツ・ミケルセン演じる牧師との会話の深さにはかなり見応えを感じた。
「未来の人々のために、神は私を画家にした――」

もう一つ、今作について言えば…

マチュー・アマルリックの視線がまさにそれである様に芸術家シュナーベル監督のゴッホに対する愛情が細部にまで感じられる。

太陽の日差しに輝く黄金の麦畑。
そよ風に揺れる糸杉の枝葉の舞い
大地の色が反射した様に複雑に彩られる空の色彩。
強く彩られた花や木々。
そして、笑っていない被写体・・・

そこに在る生命の美しさや重さがカンバス上に重ね塗られ躍動する絵具に感じられる一方で何かと競う様な筆の速さがまるで生き急ぐかの様で切なさに胸が苦しくなる。

37歳でこの世を去ったゴッホの晩年を63歳のウィレム・デフォーが演じるにあたって監督は何の問題も無かったと語ってた。
晩年のゴッホは精神状態の悪化もありボロボロだった・・・それはむしろ老成と言ってもイイのかもしれない。未来を見つめ過ぎてしまったようにも思える。

だが、まるで子供の様に弟のテオに抱かれるシーンは彼の精神世界に不可欠な一つを証明する重要なシーンでゴッホは弟の結婚を機に自分への仕送りやテオが面倒を見る相手が自分だけではなくなったと言う現実に向き合わなければならない苦悩が生じていた事は確かなようだ。

ゴーギャンとの関係はわりとあっさりで彼等が一緒に暮らしていた事には触れるが描き方にあまり密度は無かった。

彼と別れた後ゴッホは耳を切り落としたわけだが耳は【社会と繋がる器官】の意味もあり、ゴッホはそれを切る事で孤独を強いられる自分を表したのかもしれない。


シュナーベル監督は純粋にゴッホの見ていた世界を彼の描いた未来を描きたかったんだろうな。

ただ、ラストはあくまでも監督個人の見解(希望)だと思った方が良さそうで彼の死は諸説あるが自殺と言う事で知られている


追伸:ゴッホはね、日本に来たかったんだよホントはね。



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