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映画感想『イニシェリン島の精霊』

原題:「THE BANSHEES OF INISHERIN」

◆あらすじ◆
1923年、アイルランドの孤島"イニシェリン島"。島民全員が顔見知りののどかな島で、純朴な男パードリックと音楽家で飲み仲間のコルムは、長年友情を育んできた親友同士。ところがある日、パードリックはコルムから一方的に絶縁を宣言されてしまう。理由もわからず激しく動揺するパードリック。許してもらおうとしつこく話しかけるも、余計にコルムを怒らせてしまい、ついには衝撃の宣告をされてしまうパードリックだったが…。




同監督の作品で1番難解かもなぁ。

退屈な島で起こる極々個人的な諍いを彼等の生活と背中合わせに在る"アイルランド紛争"になぞらえた設定、そこにこの作品の意図がありそうだ。

事の発端から結末まで時を追うごとに事態は悪化し不穏さを増す。
始めたら終われない戦争の比喩の様だ。

邦題は"妖精"とあるが原題は"バンシー(banshee)"で死を予見する不吉さを表している。

コリン・ファレルは同監督作『セブン・サイコパス』で主演を務めてるがこの作品がマクドナー監督の大ファンになるきっかけでコリンと(個人的にとっても大好きな)サム・ロックウェルが最高のおバカコンビで描かれてるのが楽しかった。

そしてあの珠玉の脚本作品『スリー・ビルボード』に繋がってもうマクドナー監督作品は外せないって思ってる。

で、今作!

冒頭にも書いたが今作が一番難解・・・と言うか私的にはテーマははっきりしてる。
でもそのテーマを直接的でなく描いている所に意味があって、近々のものを含めこの地球上で起こっている紛争、戦争なんてホントに個人的な理由から始まるんだと言うこと。

フッと自分の人生に意味あるものとそうでないもの、或いは自分の人生を有意義に過ごす為に必要か否か?
コルムはパードリックとの他愛もないお喋りに意味を見出せなくなった事で自分の人生に不利益だと判断する="会話を拒む"なのだ。

田舎の退屈さにどっぷりで納得のいかないパードリックは勿論受け入れない。
(まぁ、人間関係に執着しない私は「そうですか、こっちから願い下げです」ってなるかもだけどww)

そして関係は悪化の一途をたどる。

果たして今まで築いてきた関係性を壊してまで拒む必要のある事なのか?

大きな犠牲を払ってまで得る必要のあるものは一体何なのか?
本当にそんな物があるのか?


わだかまりを残したままラストを迎える二人の男の関係。
そんな人間の感情に対して目の覚める作品だ。

「嫌い」と「喋り掛けるな」は私的には似て非なるものなのでパードリックに対してコルムが自分の気持ちをきちんと話すべきでは?と思わなくもない。
人間には"言葉"と言うツールがあるのだから。
だって嫌いじゃないよね?ホントはさ。(と思わせるシーンが差し込まれるからね)

でもさ、その主線に絡めて田舎の"不当な常識"やそれに疑問を抱くパードリックの妹シボーンの感情を伝える描写や彼女のストーリー構成にマクドナー監督の巧みさが見えるのよ。

男は退屈な土地に留まり、女はそれに見切りをつけ新たな場所へ旅立つ。
留まった者は進化無く傷つけ合い朽ちるのを待つのだろうか?


争い(戦争)が始まれば嫌な思いをする(犠牲になる)のは始めた奴等じゃない事は明らかだ。

理不尽以外の何者でもない。
百害あって一利なし。

ホントに、この世から戦争が無くなる事を切に願うよ。

そして簡単ではないけど理不尽な抑圧や差別、偏見に苦しむ事から解放されますように。


と言いつつこの映画、スタウトが飲みたくなる一作でもある。



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