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「2枚目の投票用紙に◯◯を書け」に、考える力を奪われない【熟成下書き】

今年書いたnoteの下書きを読み返していたら、7月のわたしがえらく真面目なことを書いていたので、少しだけ手を加えてアップしてみようと思います。

この夏、参議院議員選に二人の理学療法士の先生が立候補しました。前回、立候補していたA先生がなぜか理学療法士協会の公認?を外れて、新たにB先生が立候補。協会としてはB先生に当選してもらいたいわけだけど、直前でお金の問題が新聞に出てしまったりでゴタゴタして、SNSには台風19号並みの大嵐が吹き荒れました。

【参議院議員選挙】PTの立候補者 両名とも落選 | 理学療法士・作業療法士・言語聴覚士の求人、セミナー情報なら【POST】  第25回参議院議員通常選挙には2人の理学療法士が比例代表で立候補していました(POST編集部調べ)。 投開票の結果、自1post.jp

私のような末端中の末端、へっぽこポンコツ理学療法士は何がなんやらわからんちんだったわけだけど、なんかB先生が当選しないと未来ないみたいに言われるし、でも何年か前はA先生に投票しなさいって言われたし、ていうかそもそも選挙ってそういうものなの?ともなってたわけで。渦中のとき、選挙の結果が出る数日前に思いの丈を綴った文章がひょっこり現れたので、2019年の思い出として振り返ってみます。

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2019年の参議院選挙に当たり、私は色々なことを考えた。理学療法士の偉い先生たちが揉め、SNSには色んな情報や意見が絶えず流れ、はっきりと意見を表明する人もいれば、ぼかして色々言う人もたくさんいた。かく言う私は後者である。

元より私は政治に疎い。選挙なんて「“おばあちゃんから言われた人”の名前を書くもの」だと思っていた。でも今回はちょっと違う。私はすごく考えた。色んな立場に立って、色んなことを考えた。


話は私の幼少期に遡る。私の生まれ育った街は人口5万5千人程度の大きくも小さくもない街だ。選挙の時期になると、家の電話が頻繁に鳴って、知人や親戚から「◯◯さんに一票入れて欲しい」とお願いされるのが常だった。

お父さんはその時々の仕事の都合で誰かを応援しているから、お酒の席が続き休みの日もどこかへ出かけ、忙しそうにしていた。お母さんは「そうだね、あの人は学会員だし」とか「まあ投票するって言っといたよ」とか適当に受け流していた。

私の地元には遊園地や鉄道を持っている大きな会社があって、市長や国会議員になるのはそこの会社の血縁の人、市議会議員や県議会議員は地元で有力な土建屋さんが用立てた人だと決まっていた。だから、選挙というのは候補者同士の競い合いではなく、会社や組織同士のそれなんだと認識していた。

時は流れ、私が投票権を得て数年経ったある日のこと。新卒で入職した職場に「今度、選挙に出馬する」理学療法士の先生(A先生)が来て、上司から「2枚目の投票用紙にはこの人の名前を書きなさい」と言われた。私は何の違和感もなく素直に言われた通りにしたし、当時、付き合っていた今の夫や自分の家族にもその人の名前を書くよう伝えた。そうするように言われたのだ。「なんか私の仕事にとっていいらしいよ」と、そんな軽い気持ちで、ちょっと大人になった気さえした。


今回の参議院選挙でも、おばあちゃんから「お世話になった人から言われたから◯◯さんの名前を書いといて」という電話があった。私はいつかのお母さんみたいに、「投票しとくね」と答えた。職場でも「2枚目の投票用紙にはB先生の名前を書くように」という御達しがあった。揉めていたことはよく知らなかった。

この揉め事がなければ、私は素直にどちらかの名前を書いていた。でも、そうはいかなくなってしまった。私は結構、考えた。初めてなんじゃないかというくらい政治のことを考え、国の未来のことを考え、それぞれの候補者の政策も読み込んだ。

「政治家は稼がせてくれる人」。古沢良太先生脚本のリーガル・ハイで、汚職疑惑を着せられた国会議員が言い放った一言が妙に頭から離れない。

選挙の少し前、全然別の場面なんだけど、私は悔しい思いをした。自分の信念を押し曲げて、強い人の意見を受け入れた。内心とは裏腹にヘラヘラとした愛想笑いを浮かべて、「仕事だから」「この職業で食べていくから」、そんな風に自分を納得させて、1ミリも共感できない女性観を首を垂れて聞くフリをした。信念を曲げた。

今回の選挙もそれでいいのだろうか。稼ぐことと信念と、私はどちらを優先させるべきなのか。

まぁどちらを優先させたかはさておき、投票を終えた今、私はこんなにも深く社会に思いを馳せている。決断を迫られたことで、私は何が一番大切なのかがはっきりと見えた。

だから思う。将来、私がどんな立場になったとしても、安易に「2枚目の投票用紙にはこれを書け」とは言わないでおこう、と。自分にとって一番大切なものは、周りと同じじゃなくていい。

SNSには色んな意見が溢れて、大声で意見を言える人がたくさんいる。だからそれを見た人が、「何が大切か」考えるきっかけになっている。でもそれと同時に、奪っているのかもしれない。そんな場面を、この数日でたくさん見た。

選挙のことや政治のことを、軽々しく言うのは品が良くない。でも私だって、本当は誰に投票したのか、大きい声で言いたいと思う。

ただ、「2枚目の投票用紙に〇〇を書け」とだけ言われ、こんなにも違和感を覚えたのは、選挙というコンテンツ以外にも、常々私たちの業界に蔓延しているパワーバランスや世間とのギャップとに端を欲しているのが原因ではないかと思う。若い世代が無関心なのも、今まで安易に先述の呪文を言い聞かせてきただけの活動姿勢に問題があったからなのではないか、そうしてきた人にまた未来を任せるのかと思ったら、私にはもっと優先すべき理想があると思ってしまうのは、余計な一言だとわかっている。

私はすでに投票してしまった身だ。本音では早く週が明けて欲しい。後から後から流れる情報に疲れたし、選挙について声高に否定したり罵り合ったりするあの人たちの姿は見たくなかったと思った場面すらあった。

ひっきりなしに鳴る電話に辟易としていた母を見て、こんな小さな街から早く出たいと勉強していた毎日だったのに、SNSを通してあの時の母に共感する日が来てしまうのが、人間の愚かさなのか味わいなのかはわからない。

でも、結果的にこう言う気持ちになれたことが、私をひとつ成長させてくれたとも思うので、これはこれで良かったと思うことにする。もう言わない。

もう言わないので、ここからの数日は、芸能人のニュースでも眺めて過ごそうと思う。宮迫さん、大変そう。

まあ、選挙期間中なので、エンタメじゃなくて選挙のニュースやってくれとも思うんだけど、そういう国になったこと自体がこれまでの政治の結果であることもまた、真摯に受け止めなくてはならないのだろう。


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というのが、期日前投票を終え、開票日の数日前に私が書いたnoteです。

ちなみに、なんとなく申し訳ない気持ちもあって、ちょうど投票日は帰省と重なっていたことだし両親にはB先生の名前を書いて欲しいとお願いしてみたわけだけど、投票所から帰ってきた母が声高に「なおちゃんの言ってたまさ“お”さんに入れといたよ!」と言っていたのはまた別のお話…。


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