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【人間万事塞翁が馬】“辛い”はいつか“幸い”に変わる「辛い+−=幸せ」の方程式

※ワードプレスからの引っ越し記事です。

あなたは“辛”に一を足して“幸”にしていますか?それとも何もせず“辛”のままですか?

このワンオクの「辛い+−=幸せ」を聴いた時、「ウマいなぁ」と思いました。

作詞されたTakaさんが意図されていると思う

・辛い人生経験はそのままでは“辛”で終わる。そこに“一(イチ)”を足して“幸”にするんだ!その“一”を見つけろ!

というストレートな意味に加えて、僕は

・人生の浮き沈み「+ -(プラスマイナス)」は、最後は「=幸せ」になる。

という、「人間万事塞翁が馬」的な意味も含んでいると解釈しました。

「人間万事塞翁が馬」は中国の故事成語で、春秋時代における哲学者・老子の言った名言ですね。

意味は、

「人の幸・不幸は予測できず、幸だと思っていたことが不幸に変わったり、その逆もあるから、一喜一憂することは止めなさい」

という事ですね。

つまり、どんな辛い経験も、実は後で幸せを呼び込むための礎だったり、その人が捉え方を変えれば、幸せにも変えられる、という事です。

「ピンチをチャンスに」も暗に含んでいると思います。

でも、これは本当のことでしょうか?

普通は、「辛い事は辛いだけ。幸せな事だけあればいい」と思いますよね。

これについて考えてみましょう。

失った事で、後で得ることは往々にしてある

辛い経験をしている最中は、「これがいつかは幸せに変わる!」なんてポジティブになるのは難しいものですね。

例えば、以下の

  1. 親からのDV、他人からのいじめを受けている

  2. 好きな人にフラれた

  3. 大学受験や就職試験に落ちまくっている

こんな経験をしている最中に、「大丈夫、人間万事塞翁が馬だから」なんて、冷静に考えられる人はほとんどいないでしょう。

もし居たら、その方はすでに悟っていますね笑。

でも、「人間万事塞翁が馬」が正しい方向に動けば

  1. の人は、それ故に「人の痛みが分かり、人徳を集める立派な人になった」

  2. の人は、フラれたことで、「後に生涯のベストパートナーに出会えた」

  3. の人は、学歴に囚われなくなったから「好きな事で起業して大成功した」

というパターンも、世間には往々にしてあるわけです。

でも、これらの人たちに共通していることは、

「“辛”に“一(イチ)”を足して“幸”にすることに努力した」

という事が言えると思います。

つまり、「人間万事塞翁が馬」が言う、「腐ってはダメ!」という事を忠実に守った人たちだと言えますね。

辛い事があれば、落ち込んで、泣いて、苦しんで、のたうち回れば良いと思います。

でも、そこで辛い感情を全力で発散して昇華(消化)させたなら、後は「立ち上がって、前を向きさえすれば良い」という事です。

済んだことを、いつまでもウジウジと考えても、状況が修復されるどころか、さらに悪い方向に転落していくでしょう。

つまり、「人間万事塞翁が馬」を良い方向に向かわせるためには、前向きに生きる事を常に「覚悟する」という事だと、僕は感じています。

前向きに生きる事を常に「覚悟する」、そうすれば自然と「覚醒・悟り」ます

「覚悟」という2文字は、「覚醒して悟る」という意味を持ちます。

「覚醒」とは、「悟る」とはなんぞや?

という事ですが、平たく言えば「どんな時も、心を平穏にして楽しく生きる事ができる状態」です。

「どんな時も」というのは、極論すると「孤独に極貧生活をしていても」、です。

お釈迦様こと、ゴータマ・シッダールタの教えを、アーナンダら弟子が仏典として体系化した「スッタニパータ」では

よく「中道を生きる」という事を教えています。

「中庸(ちゅうよう)」でもいいですが、「良い時も、悪い時も、心が安定していて、自分を見失わない」状態の事を指します。

「覚悟をして生きる」と「中道を生きる」は、同じ意味として捉えて良いと思います。

という事は、例え悪いことが起きても、打ちのめされても、泣き叫んでも

最後は前を向く、という「覚悟」をしておく

という事が、人生を少しでも良くしていく上で、少しずつでも意識していく事が、「人間万事塞翁が馬」を常に良い方向に転がすことが出来るのかなぁ、と考えています。

みなさんに、少しでもご参考になるところがあれば嬉しいです。

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