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集団自決発言について。

イェール大学助教の成田氏が「高齢者は集団自決しろ」と発言して世界的に大炎上しているそうで。
成田氏とは僕の本を献本した程度の接点ですが、成田氏の発言は「老害の皆さんには早く引退して貰った方が日本の為だ」と言う意味なんだと擁護する人が結構います。

言葉尻を捕らえて「死ねとはケシカラン!!」とギャーギャー怒るのは論外として、「高齢者=老害」と決めつけるのは乱暴だなと思います。

映画やゲームの世界で◯◯村が登場すると、大抵は長老がいて政治事に関与しています。村の行く末を間違え無い為に、豊富な人生経験から身に付いた智恵を活かしている訳です。成田氏の発言は、この長老達を頭ごなしに否定するものです。

「いやいや、有益な高齢者は残して老害だけを排除したいんだ」と反論するでしょうが、有益・有害の判断を誰がやるんでしょうか?単純に100%有害な高齢者もいないし、100%有益な高齢者もいないですよ。それが人間だもん。
ゴミを分別するように誰かを必要・不必要と分別するのは、とても傲慢な考え方です。

僕は館山市での活動に『房総engine』と言うネーミングを付けています。地元の高齢者達と交流して、止まっている心のengineを再起動させるって意味を込めています。

若い頃は出世したいとか、お金持ちになりたいとか、自己的な理由がモチベーションになります。だけど、会社も定年退職して年金暮らしになった70代以上の高齢者は、散歩や掃除をしてご飯を食べるだけの暮らしが続く。地元の為に何かしようと動いたけども、色々あって傷付いて活動を辞めてしまった人もいます。

社会の中で役割が無い人生は、とても味気ないものです。最近流行りのFIREは、そんな味気ない生活を40~50代からやるもので、きっと1カ月ぐらいで飽きてしまうでしょう。

充実した老後とは、役割が沢山ある人生です。そして高齢者にとって子供達の世代の役に立つのが、最大のモチベーションになります。そして僕は、高齢者一人一人の役割を見付けるお手伝いをしています。

今の日本は少子高齢化社会を迎えていますが、「高齢者を排除して、若い世代に任せさえすれば良い」と言う成田氏とは違うアプローチです。

僕は阪神淡路大震災で最初のボランティア活動を経験した人間です。周りの友達からは「格好付けるな」と非難轟々でしたが、困った時にはお互い様です。
ギャラ目的ではなく、誰かの役に立ちたい想いで動く時こそ、人は最大のパフォーマンスを発揮出来る事を知っています。

そして子供達が高齢者になって、同じ様に次の世代の為に心のengineを動かしてくれたら……あの世でみんなとガッツポーズしちゃいますね。



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