暮らしに禅を

暮らしに禅を

最近の記事

道中楽しみたい、それだけさ

例えば家族や友人と旅行をすることが決まったとして どうやって旅行計画を立てるだろうか? 口コミサイトで評価、点数の高いお店を探す、 価格比較サイトでなるべく安く、なるべく良い場所を探す、 今はインターネットがあれば手軽に探す。 候補がいくつか出たら、SNSでやり取りをして決める。 世界にはインターネットが張り巡らされ、 情報はお金を払えば簡単に手に入るようになった。 いや、お金を払わなくとも、そこそこ良い情報を知ることができる。 さらに、カーナビ

    • 豆腐のような男になりたい、そう思った

      ※今回の記事は、荻原井泉水(おぎわら・せいせんすい)という日本の俳人が書いた『豆腐』という作品に感化された著者が書いています。作品の引用や転載がありますのでご了承ください。 秋の夜長を感じる季節になった。 「秋の夜長」というものが、具体的にどういった意味を持つのかよくわかっていないけれど、すこし肌寒く、そしてどことなく心地の良い空気が流れるこの時期に、無性に使いたくなる言葉だ。 秋の夜長……。 ぽつりと呟いてみるだけで、自分がまるで、季節を大切にしている人間のよう

      • あなたはいつまで、抱きつづけますか

        あるふたりのお坊さんがいました。 ひとりは師匠、もうひとりは弟子。 お坊さんも社会の流行り廃りを理解する必要があるということで ふたりは週末の表参道の交差点を歩いていました。 ふりそそぐ太陽、かがやくオシャレなお店、ひと、ひと。 いろいろな国の、いろいろな年齢の、 たくさんのキラキラしたひとが歩いている。 ふだん、山の中で暮らしているお坊さんからすると 目もくらむような光景でしたが、お師匠さまは ひょうひょうと、ひかりかがやく町をあるき続けます。 それを追うお弟子さん

        • 不機嫌ジェットコースターからとびおりろ

          感情とはまるでジェットコースターのようだ。 今日は信号にひっかからずにラッキーだ。 昨日恋人にフラレてなにをするにしても悲しい。この世の終わりだ。 美味しいご飯が食べられて幸せだ。 雨がふって最低だ。 毎日、たのしいだけのジェットコースターに乗っていられれば しあわせなのかもしれない。けれど、それが 不機嫌だらけのジェットコースターだったとしたら。 *** だれかとケンカしたり、きらいになったりする。 たとえばその人が突然あらわれたりすると さっきまで楽しい場所だった

        道中楽しみたい、それだけさ

          一生懸命なんてときどきで良い

          先日、「首都圏の電車は精神攻撃が半端ない」という話がTwitterを舞台に盛り上がっていた。 「24時間ストレスと戦えますか?」 「デキる社員になる方法」「勝つための話術」 「カラダの調子を整えて社会で戦おう」 こういった広告の内容に対する「東京は何をこんなに追い込まれているか…」といった感想が、多くの共感を集めた、という話。 昔のことなどは知らないけれど、現代社会はやたらと「疲れ」や「ストレス」と戦うことを強いられる。そこで美徳とされているのは「我慢」と「一生懸命

          一生懸命なんてときどきで良い

          大人はなぜ泣き続けないのか

          3歳の息子。 彼にはとても仲の良い「えーちゃん」という男の子がいる。 えーちゃんは毎日、あーそーぼと声をかけてくれる。 車遊びや追いかけっこ、即興ダンス、 いつもバカをやるのに付き合ってくれた。 そんなえーちゃんが引っ越してしまうことになった。 突然の話でみんながびっくりした。 1番の仲良しがいなくなってしまうことに 本人たちよりも、大人たちが悲しんだ。 けれど、縁とは本当に不思議なもので、 なんと私の地元にえーちゃん家族が引っ越すとのこと。 まさかえーちゃんが地元の後

          大人はなぜ泣き続けないのか

          走れ!!!

          ああ、なんであんなことを言ってしまったのだろう。 学校や職場、公園や習い事、人付き合いは疲れる。 嫌なヤツに吐いた言葉ほど後腐れのあるものはない。 帰り道、電車の中、シャワー、眠る前の布団の中、 何度も何度も後悔のループは回る。 そして、そんな時は悩みで思考が止まってしまっていたりする。 *** 瞑想を繰り返したり、自己啓発の本をたくさん読んではみるものの 本を読みながら、瞑想をしながら、気が付いたら後悔のループが繰り返している。 ああ、どうしてこうしてしまっ

          映画のエンドロールを、ぼくは最後までみたことがなかった

          映画のエンドロールを、ぼくは最後までみたことがない。 スタッフの名前に興味はないし、どこが制作に協力しているとか、だれが演出をかんがえたとか、こまかな作り手の背景を知ったところで「ふーん」と鼻をならすだけ。われながら、作品に対する敬意が薄いな、とは思う。けれども、無理やりエンドロールに夢中になってみても、その日の夕飯のこととか、終わっていない仕事のこととかを、頭の片隅で考えてしまう。 だからぼくは、映画のエンドロールを最後までみたことがなかった。 *** 『横道世之介

          映画のエンドロールを、ぼくは最後までみたことがなかった

          目の前に嫌いな人があらわれた

          高校時代のクラスメイトが結婚したという知らせを受けると同時に、式へ招待された。 「昔嫌いだった」という気持ちは多くの人が持っているものだと思う。なるべく、思い出さないようにしているけれど、そんな気持ちを突然よみがえらせるものがある。まるで復活の呪文みたいに。 今回は、結婚式の招待状がまさにそれだった。 *** 時間が経つにつれて、風に流される雲のようにどこかへ消えていった"嫌いな人"が、不安となって再び目の前に現れたとき、ぼくらはどうするか。 逃

          目の前に嫌いな人があらわれた

          じぶんらしさってなんだっけ

          Mr.Childrenの数ある名曲の中に 「名もなき詩」といううたがある。 その歌詞の中に あるがままの心で生きられぬ弱さを 誰かのせいにして過ごしている 知らぬ間に築いていた 自分らしさの檻の中で もがいているなら 僕だってそうなんだ こんな言葉が並んでいる。 *** 小学校に入学する頃だろうか、君ってこういう人だよね? というみんなの言葉が、今日までの自分自身をつくってきたような気がする。 誰かから自分のことを、こういう人だね、君は。 と評価してくれる時は、あ

          じぶんらしさってなんだっけ