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毒親の記憶 前置き・ウチの日常

2023年3月以降は一切思い出さないようにして、忘れるようにするから今のうちに記事として残します。

私の家は、外側から見たら恵まれている家庭でした。
急行が止まる駅、商店街、そこそこ物価の高い街。
新築マンションに住み、常に左ハンドルのドイツ車がある。

ただ見ただけではわからんのよ。
同級生に幸せそうな人が居ても、悩みが無いと決めつけないで。

父、母、私を含む3兄弟の5人家族でした。
次男はダウン症でした。

1番古い記憶は怒鳴り声で目が覚め、布団の中で震えている事です。
小学生か、幼稚園かは覚えてないですが、何度も繰り返される日常。

何年も経った今でも怒鳴り声や大きな声は苦手。
条件反射で体が硬直します。
少しずつマシになってきてますが、まだ怖い。

親父は重い通り、理想通りにならないと、過程も結果も気に入らない。
そんなタイプ。
醤油が無いことでブチ切れて、お袋がすぐに買いに行っても気に入らない。
声かけがない、詫びがない、欲しい時に無かった。
半日不機嫌なままで、怒鳴り倒してました。

あやふやですが
朝食の目玉焼きに醤油をかけようとしたら無かった。

お袋が買いに行く。

昼食に切り餅が出る。
朝はなかった醤油が食卓に出てくる。
声掛けなく出てきたため親父がブチ切れる。

こんな流れでした。



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