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毒親の記憶 弟への虐待と助けを求めて

私が3兄弟の長男で次男はダウン症を持っていました。

親父は次男が嫌いなようでした。
学童期の記憶で親父は存在そのものを認めていない、人間だと思っていない、そんなイメージでした。

基本的に平日の仕事終わりや休日の寝起きは親父を警戒して過ごしていました。
TVや単語一つに反応して極論を振りかざして怒鳴り続けます。
出来るだけ波風立てないように、視界に入らないように過ごしていました。

仕事で嫌な事があったのか理由は分かりませんが不機嫌な時は、家に居る間イライラしたオーラを全開に出してきます。

次男はダウン症なので言葉を上手く話せなかったり、言葉が詰まったりします。少し待っていれば話せます。
親父は気に入らずに殴る、蹴るは当たり前。

次男にビールを持ってこさせて、
置き方が・・・、持ち方が・・・、テレビが見えない・・・、早く渡せ・・・
難癖を付けてビンタしたり、椅子に座った状態で蹴り飛ばしたり、4,5回暴力を振るいます。
黄色く濁った、ギラギラした独特の目でニヤニヤと笑いながら、、、

たいてい缶ビールを飲んで酔い始めたときに始まります。

10年以上前の事ですが、胸が苦しくなってきました。
箇条書きで書きます。
このまま忘れ去りたい。

  • 夜寝かせない。

  • 一晩中立たせる。

  • 絶食

  • からし、ワサビ、七味を一気に食べさせる。

  • 殴る、蹴る。

  • 名前を呼ばない(20年間1度も聞いた事は無い。)

  • 冷水のシャワーをかける。数時間。

  • プロレス技?みたいなので投げ飛ばす(歯が折れました)

  • 歯が折れても病院に行かせない。

  • カーペットの上を歩かせない。

  • 廊下が定位置。

  • 人間扱いしない。

  • ベランダに放置する。

大まかなものは上の内容です。
10数年たった今では教育成功したとドヤ顔で話してる。
「体で覚える、スパルタ」=体罰
だと考えている親父です。
体罰の限度を超えています。犯罪者。



私が小学2~3年生の時です。

毎晩、毎晩、怒鳴り声で起こされ寝不足。
テレビゲームやカードゲーム、漫画などの娯楽もなく神経が休まる場はない。
通っていた小学校の敷地内にある学童保育に通っていました。
唯一学童だけは楽しかった。
同級生と遊び。
実家では得られない母性を学童の先生に求めていたことも事実です。

学童の先生に実家の事情を話しました。
話そうとしていた訳ではなく、何かのきっかけで質問されたような気がします。
多くの児童を見てきた先生は、異変を感じ取ってもらえたと思う。

それからはお袋と学童の先生との話し合いが何度か続きました。
2週間くらい。

親父にも連絡が行きましたが、親父は話し合いの場には現れませんでした。

実家は助けを求めてから地獄絵図でした。

分からないんだ、これは教育なんだ。
俺の理想、俺の仕事、サザエさんのような家庭。
同じ内容を酔っぱらいながら怒鳴り続け、暴力にまみれた日々でした。
学校の授業で作ったラジオをいつも聞いてました。
ラジオなら24時間番組をやってますし光も漏れずに聞き続けられます。

夜寝るときにイヤホンをしてないと怒鳴り声や泣き声で目が覚めるからです。

今もイヤホンや耳栓がないと安眠できません。

学童もあと1年足らずで通えなくなる。
私の通っていたところは小学3年生まででした。
居場所がなくなります。

これ以降は実家を出るまで誰にも相談していません。





記憶の最奥に仕舞い、思い出さないようにしてきたので曖昧になっている部分も多いです。
どうしても忘れられない場面だけを書き始めています。
嘘は無いはずです。
ながながと駄文失礼しました。

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