「多様な雇用創出で障がい者支援をするゲストハウスオーナーの鎌倉武士」前編 i-link-u(アイリンクユー)代表 高野朋也さん
●ご挨拶と出演者紹介
三木:マインドフルビジネスストーリー本日は第191回ということで、こちら彩(いろどり)さんという多様性に溢れたゲストハウスに来ております。
代表の高野さんに色々とお話を伺っていきたいと思います。本日はよろしくお願いします。
高野:お願いします。
●enmonoとの出会いについて
三木:まずは高野さんと我々の出会いからですが、カマコンで最初お会いしたんですよね?
高野:そうですね。カマコンで。
三木:カマコンに入られたのはいつでしたっけ?
高野:4年ぐらい前ですかね。
三木:その時はまだ普通の恰好をしてましたね。
高野:茶髪でサーファーみたいな感じでしたね。
三木:その時はどういうお仕事をされてたんでしたっけ?
高野:その時は介護職をしながらイベンター的なことをやっていて、社会問題とかをやっていきたいなっていう感じでカマコンに参加して、参加したと同時にプレゼンをやらせてもらって結構異例だったっていう。
三木:そうですよね。初めて参加した割にはすごいプレゼンテーションが素晴らしくて、力がある方が入ってきたのかなみたいな感じだったんです。
高野:そうなんですね。本当に初めてのプレゼンだったし、初めてのカマコンだったので何が何だか分からなかったです。
三木:その後で何か1回ご相談いただいたんでしたっけ?この彩を始める前に。
高野:そうですね。カマコンに参加した当時はユニバーサル合コンとかそういう障がい者の人と健常者の人っていう区別をなくしてみんなが楽しめる空間をイベントとしてやろうっていうので色々プレゼンテーションをやらせてもらって、それを聞いた人に運営で参加してもらったりとかしてたんですけど、三木さんに相談したのはそういうイベントで単発的にやるんじゃなくて継続的に社会事業的なことができないかなと思って。自分で事業を起こすとかはなかったので、ヒト、モノ、金っていう流れも全く分からなかったし、でもその中で三木さんのzenmonoっていうクラウドファンディングは資金調達だけじゃなくてやり方とかプロセスとかそこに関わる人まで募集できるっていうところで、ヒト、モノ、金っていう大事なキーとなるところもサポートされてるのですごい興味があったんです。
三木:3年ぐらい前でしたっけね?
高野:そうですね。
三木:その時は彩を作るっていう話なんですけど、その前に何かスロープを作るみたいなのがありましたよね?
高野:ありました。古民家ってそもそも車いすの人ってなかなか入りづらいっていうのがあると思うんですけど、そこにちょっと木造で…
三木:蕾の家ですよね。
高野:そうです。ここから近い由比ヶ浜の長谷のところに作ろうって。
三木:それは何かやったんでしたっけ?
高野:それは「iikuni(いいくに)」っていうカマコンがサポートしているクラウドファンディングですかね。
三木:それはうまくいったんでしたっけ?
高野:それはうまくいきましたね。20万ぐらい皆さんに協力してもらって。
三木:それが3年半ぐらい前?
高野:そうですね。
三木:それがきっかけになって第一弾があって、その後で第二弾でこれでしたっけ?
高野:そうですね。イベントではなくて継続的に日々関われることで、それは副業で何かやってるっていう状態ではなくて集中して熱量を持って毎日やり続けられることって何だろうっていう感じで。
●高野さんが福祉に興味を持ったきっかけ
三木:そもそも高野さんが介護とか障がい者の方のバリアフリーとかに興味を持ったきっかけは何かありました?
高野:それは5~6年ぐらい前なんですけど、僕は元々大学を卒業した後は大学の教授と学内ベンチャーみたいな感じで英語教材を開発する会社で働いてたんです。学校内で使っているソフトの販路を開拓したり塾とか予備校に卸したりっていう仕事をしてたんですけど、2年ぐらいやってちょっとうまくいかなくて、先生のポケットマネーも段々少なくなってきて会社を解散しようっていう感じになって、僕は教育系に進みたかったんですけど、心機一転何かしようと思った時に母親が看護師をやっていて僕のメンタリティとか福祉系に向いてるんじゃないかって言ってたのを思い出して、それで資格とか全然知識がなかったんですけど福祉の道に入ったっていう感じですね。
三木:そこから介護のお仕事を何年ぐらいやられたんですか?
高野:2年ぐらいですかね。認知症のグループホームで働いて、そこは平均年齢80歳ぐらいの世田谷にあるグループホームだったんですけど、9人ぐらいが共同生活されてて。
三木:そこでの経験は今やっていることに活きてますか?
高野:すごい活きてますね。最初僕が認知症のグループホームに入った時は入居者のおじいちゃん、おばあちゃん達はお部屋で寝てるだけで、ご飯の時だけケアワーカーさんに呼ばれて出てきて食べるみたいなあんまり面白くない生活をされてて。僕は全く素人だったんですけど、おばあちゃん、おじいちゃんが大好きだから色々お話を聞いていくうちに、認知症なんですけど結構昔のことを覚えてたりとか、お子さんとかが来た時とかにふっと昔の話とかしてるのを一緒に聞いたりとかしてて、この人昔音楽の先生やってたんだとか、この人昔居酒屋を1人で経営してたんだとかそういうのが分かってきて、この人達すごい人達だみたいな感じでした。その時グループホームの方針は認知症の人は危ないから何もやらせるなみたいな、キッチンがあったけどほぼケアワーカーさんの人が勝手に作って出してる感じだったんですけど、僕は素人で若いことをいいことに「ちょっと分かんないから教えて」「じゃあちょっと八百屋さんに行って買いに行こう」みたいな感じで取りあえず用事を見つけて一緒に外に出たりとか、一緒にご飯を作ったりとかしてグループホームにいる人達がすごい元気になってきたんです。要は関わり方とかその人達が本来持ってるものが出ればそこはすごい新しい場になるし、学校で見てきた、人が成長するとか触れ合うとかそういうことがグループホームでもできたなと思ったし、ある意味もう普通の生活ができませんってレッテルを貼られて家とか地域から出されて、施設に入れられた人達は実は関わり方をちょっと工夫したりすることでどんどん良いものになっていくのかなってすごい勉強になったし、そこから僕が今深く関わってる障がい者の人達っていう道にもつながってたってすごい良かったなと思う。
三木:その時は世田谷にお住まいだったんですね?
高野:そうですね。元々東京の私立大学に行ってたので。
三木:それでコロンビア大学に行かれたんでしたっけ?
高野:元々コロンビア大学の日本校っていうのがあって、英語教授法なので第二外国語として英語を教えるっていうものなので、それを習得したい人は本当に多国籍で、その資格を得たら色んなレベルの人達に英語を第二外国語として教えれるので、結構色んな人が和気あいあいしててすごいバラエティだったなと思って。
三木:何年ぐらい行ったんですか?
高野:半年は日本校で通って、それで転校するっていう感じで向こうに行ったんです。なのでTOEFL取ったりとか、日本校とか現地のやつはレベルが低いんですけど、それで結構勉強させられたりとかして行きましたね。僕は学部は日本語と日本文学だったんですけど、第二外国語として英語を教えるっていう資格を取る時は本当にグローバルというか、こんなにも違う発音の英語があって…
三木:自由だなみたいな、色んな国の英語があってもいいなみたいな。
高野:そうです。こんなんでも通じるし、でも日本人の英語って結構弱くて環境に依存していて、話したことが間違いだと間違いじゃないかっていうことをいつも気にしながらしゃべってたりする。だからコミュニケーションよりかは文法とかテストに寄ったような形の学習をしててちょっと日本は遅れてるなみたいな感じに思えて。そこでの経験っていうのは今までの自分の価値観とかがすごく小さく見えたし、英語で考えられることになってから自分の表現とかがもっと自由になったし、そういうのを感じてそれもまた良い経験だったなと。
三木:高野さんの生き方も多様性がありますね。
高野:いやいや。もう失敗だらけ。
三木:そういう英語を使う世界にいたら外資系の金融に行くとかそういうピカピカな感じの世界もあるじゃないですか。だけどあえてそういう介護とか…
高野:そう。貿易事務とかそういうのもあったんですけど、でも実感として楽しいとか人が成長するとか、特に人っていうところに惹かれるようになったんですね。
●ゲストハウス彩(イロドリ)のコンセプトについて
三木:そこからそういうのが色々ミックスになって今の彩になるわけですけども、この彩のコンセプトはどういう?結構(建物)年季が入ってますけど。
高野:築90年の古民家っていうか古い民家っていう感じですね。古民家っていうと何かすごい旅館みたいなイメージがあると思うんですけど。
宇都宮:旧民家?
高野:旧民家みたいな。これはここのオーナーさんのアルバムなんですけど、手書きで残されてたものをゲストハウスで泊まった人に見てもらったりとかしてるんです。
三木:これはその方が書かれた絵なんですか?
高野:そうですね。昔の日本とかがよく見えたりとかして、だからこれをきっかけに海外のお客さんと話したりとかして。まず古民家っていう日本の良いものもこの彩のゲストハウスのコンセプトに入っています。
三木:このお家を受け継いだ時は、オーナーさんは今でもご存命なんですか?
高野:いや、もう3年前ぐらいに亡くなられて娘さんが引き継がれていて、その方は東京にお住まいでそのお母さんは10年ぐらい都内の施設に入ってて、ここ自体10年間ぐらいずっと空き家だったんです。ここに最初縁があって来た時は残置物っていうか昔の水屋、棚とかがそのままだったし。
三木:そこを色々片づけたりとかして大変でしたか?
高野:大変でしたね。捨てるのとか。僕があまり捨てられないっていうところがありまして。
三木:結構リフォームしたんですか?
高野:そうですね。コンセプトは古民家っていうことと、あと鎌倉っていうものが元々江戸時代から続く観光地で人が来たいと思う場所だったっていうこと、あとインバウンドっていうことでたくさん需要が生まれて海外から日本を目指して来てて、鎌倉に泊まりたいとか鎌倉で過ごしたいっていう人がいると。ここは車いすの人でも泊まれるし、おもてなしとしてこっちのスタッフには障がい者手帳を持っている人達がいるっていうことで、需要とこっちのやりたいところが重なるところをコンセプトにしています。なかなかこの規模でユニバーサルトイレとか完備してるところはなくて、そこに一番リノベーションのお金がかかったんですけど、この古民家を普通のトイレだけとかだったらたぶん200万とかで済んだんですけど、400万以上かかっちゃったかな。
三木:お客さんはその辺の国の人が多かったんですか?
高野:やっぱりヨーロッパの人が多くて中国、台湾っていう感じですかね。アメリカの人はそんなに来てなくて。
三木:どういうのを楽しみにこちらに?
高野:海外の人から言ってみると、ここはfar east(極東)じゃないですか。距離が離れてれば離れてるほどすごい憧れが強くて日本風のものを求めてるっていうのが多くて、安いとか宿にお金をかけたくないっていう需要ももちろんあるんですけど、もうちょっと日本を感じたいとかそういう人達が見つけて来てくれるっていう感じです。
三木:コンセプトは侍ハウスですか(笑)?
高野:そうですね。
三木:この格好はどういう風なあれですか(笑)?
高野:僕が侍で毎日フルタイムで働いてるんですけど、日本古来の鎌倉800年前は京都に公家がいて、そこから武士が起こってきて、いよいよ頼朝が侍の国を作るっていう感じできたと思うんですけど、まさにそういうアバターとしてぴったりだなと思ったし、本当にこれを毎日着たりとかこれで東京に行ったりすると…
三木:東京にこれで行くんですか(笑)?
高野:そうですね。「何?どうしたの?」みたいな。霞が関とかは大変ですけどね。
三木:「何ですか?」みたいな(笑)。
高野:「あの、身分証を」とかありますからね。官公庁の仕事をしたことがあって、霞が関に行かなきゃいけなかったりしたんですけど、その時はちゃんとご説明をして。
三木:その時刀は持って行くんですか?
高野:刀は持って行きません。ただ迂闊なことに外出した時に刀袋を忘れちゃって、そのままちょっと帯刀してたことはあります。その時は八王子の交番で「ちょっと申し訳ないですけどご説明を」みたいな。
三木:いつもは刀袋に入れて背負ってる?
高野:そうですね。一応模造刀なんですけど、そういう武器と間違われそうなものはちゃんと袋に入れてっていうエチケットがあるんですけど、その時はたまたま忘れていて。
三木:分かります。私は昔居合道をやっていて、刀は本物も持ってたこともあります。もう今はないですけど。先祖が武士とか?
高野:いや、ちょっと色々話はお客さん用に作ったりとかしてるんですけど、たぶん農民だったんじゃないかな。なので僕は竹籠とかいつも背負ったりとかしてるんですけど。
三木:そうですよね。竹籠でよく(鎌倉の)交差点で下馬の四ツ角にいるのを見かけたりするので、何か買い物してるみたいな。
高野:そうです。親しまれる武士でありたいなと。
三木:買い物もこれで行くんですよね?竹籠で。
高野:覚えてくれるようになってうれしいですね。
三木:うちも500年ぐらい前に四国、その前は中国地方にいた武士で、その後三好長慶っていう人についた侍で、その三好長慶が信長に負けちゃったんです。負けたので信長に鞍替えして信長の部下っていうことで。
高野:あの時は生き残るためにみんな必死でした。裏切ったり裏切られたり。
三木:その後に信長の命令で四国征伐で四国に先祖が移り住んで、だからうちの親父は四国の高松の出身なんですよ。
高野:そうなんですね。
三木:(実家に)色々ありますよ。本物の兜がうちにあります。あと田舎には火縄銃がいっぱいあったりとかして。
高野:ぜひ今度ちょっとよろしくお願いします。
三木:僕も鎌倉に引っ越してきたのは侍の都だったから鎌倉しかないなっていうことで。
高野:なるほど。先祖返りっていうか。
三木:そうそう。先祖返り。それで鎌倉に来てそこで禅と出会ったという流れなんです。
高野:本当に深いところで関わってますよね。
三木:明日死ぬかもしれないみたいな心を鍛えるために禅は武家に非常に愛されて。
●鎌倉という町の多様性について
三木:僕らのマインドフルシティみたいなコンセプトがあるんですけど、今侍の恰好をされてますけど、鎌倉の多様性みたいなのを日々の活動の中で体現されてると思うんです。この鎌倉っていう町が持っている多様性みたいなのって何か感じることがありますか?
高野:やっぱりこの地形がすごく稀有だなと思ってて、海と山がすごく近くて静けさと喧騒もあったりとかして色んな姿が見える。小さな仕事をされてる方が結構いらっしゃって。
三木:そうですね。個人事業主とかITベンチャーもいたりして。
高野:近い距離で挨拶ができたりとか。自分の実家から東京に行って近所の人に何も挨拶をしないとかって多かったんですけど、鎌倉に来たら本当に…
三木:挨拶しまくりみたいな?
高野:そうですね。気持ちよく挨拶できるというか…
三木:あとあまり念がこもりにくいというか、風で海に流されていく感じじゃないですか。
高野:常に浄化されてるような気がしますね。
三木:盆地とかだとそこに溜まるけど、ここは山からの風で海に押し流すみたいな、色んな人の負の念が風の谷みたいな感じで。
高野:そうですね。腐海からの臭気が来ないみたいな。それはあると思いますね。本当に風向きとかも夕方から変わったりもするし、東京のほうから鎌倉に来たりとかすると空気が違ったりとか、湿気とかも全然違うし。僕は結構鎌倉についでに来るっていう海外の人にこの土地の魅力を伝える時にお寺さんが多い理由とか色々戦う場所でもあったし、あと津波とか自然災害とかにもさらされてる土地だし、だけど大事なところに神社があってその周りに氏子さんがいて、仏教と神道がちゃんと共存されてて、さらには戦国時代とかでもキリシタンとかもいたしそれがいまだにずっとあって、だから色んな意味で宗教の多様性もあるし、人が来て落ち着いてここの土地が好きで住みついて働くっていう人も多くて、そういう意味で土地が生み出してる多様性だったりもするのかなと思って。山と海とかっていうのは絶妙なバランスがあるのかな。
後編に続く
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