刀鬼、両断仕る 第八話【龍鱗丸】上
◇【前回】◇
情けない、と思った。
己の意志を曲げ、血に塗れ、それでも自分を助けようと懸命に戦う無粋。
彼を前にして、どうして自分は何もせず、ただ助けを待っているのか。
「……私が刀鬼になる。引き換えに、無粋は鞘の力で治し、逃がせ」
「へェ……どうするヨ、天宿サマ?」
野獣の瞳が、横目でちらりとこちらを向く。
あの日、自分を追っていた頃より更に獰猛で、恐ろしい瞳。
けれど、真波は目を背けない。
数秒じっと睨み返して、それから視線を後方の天宿へと移す。
「……釣り合うと、思うか」
試すような口ぶりで、天宿は真波に問う。
『天刃』の刀鬼を討ち、今も荒刈と死闘を繰り広げた男を。
子ども一人が刀鬼になるという事実だけで、逃がせるか。
「お前は自分で口にしただろう。私が、父を超える剣士になるやもと」
「ああ、確かに言った」
「ならば、お前の望む『刀鬼の国』に……私は必要となるだろう」
「……ほぅ」
天宿は笑みを浮かべ、白い指で顎を撫ぜる。
刀鬼の国。数多の刀鬼がひしめき、刀鬼が人を支配する国。
天宿がなぜそれを欲するのか、真波は既に聴いていた。
であるなら、いずれ実力を高め得る存在であらば……
「……それに、この国の正当な継承者は私だ。抱き込んでおいて損はないだろう」
「それは、ヒトの理屈だな。刀鬼にはさして関係がない」
「っ……」
「……だが、興は乗った」
荒刈、と天宿が声を掛ける。
呼びかけられた荒刈は、溜息を一つ吐いて、無粋へ向けた刃を下げる。
「命拾いしたナァ。……そんだけの価値があるたァ思えねェが」
「……」
「話が決まったなら、傷だけは治すぞ。いいな」
「あァ、好きにしろ」
荒刈は吐き捨てて、無粋を蹴り転がすと、壁に背を突いてじっと無粋を見つめた。
無粋は、動かない。絶命を免れたというのに、牙を剥かない。
やはりアレは死んでいると、荒刈は改めて思った。
「……無粋殿。そういうことだ。悪いが、もう一度これを使うぞ」
吹き飛ばされた鞘を拾い上げ、真波は無粋に呼びかける。
返事は、無い。既に彼の心は折れてしまったのだろうかと、真波は考える。
だとすれば、それは……
「……私のせいだな、無粋殿」
危ういながら均衡を保っていた、無粋という復讐者。
彼の心を乱し、壊れる切っ掛けを作ってしまったのは、間違いなく自分だろう。
あの日、偶然にも荒刈と出会い、戦い、死ぬはずだった無粋を生かし。
万一にでも、などと考え、彼に鞘を預けてしまった……自分の過ちだ。
そうでなければ彼は、彼として戦いを終えられたであろうに。
「無粋殿は、何も悪くない。ただ私を助けようとしてくれた。それだけで私は……」
「……ダメだ、真波」
語りかけながら、鞘を胸に当てようとして。
その腕を、無粋が掴んだ。……酷く、弱い力で。
「刀鬼になど……」
「……。無粋殿には、苦労を掛けたな」
そして真波は、敢えてもう一つの間違いを犯す。
彼を生かした所で、更に苦しむことは目に見えているのに。
(私の、最後の我儘だ)
身勝手さを理解して。
それでも、死んで欲しくないと感じてしまった。
これ以上、優しくしてくれた誰かを失いたくないと、思ってしまった。
無粋の胸の傷を、鞘の力で癒し。
手を振り払って、立ち上がる。
「んじゃア、鞘、返しテ貰うゼ」
「……ふん。返すものか」
「あァ……?」
「これは、私の鞘だ」
頑として言い切り、真波は鞘をぐっと握りしめる。
瞬間、荒刈はダンッと床を蹴り、真波へと斬りかかった。
無論、鞘を奪うためである。けれど真波は、荒刈を意に介さずに踵を返す。
スパンっ!
小気味いい音と共に、半身が切断された。
けれど、鞘を持つ腕は避けられて、故に肉体はすぐ再生する。
「ぐ、ぅ……」
痛みが無くなるわけでは、ないが。
命に届くべき激痛を感じ、涙を浮かべてなお、再生した体で真波は一直線に走る。
向かう先は、厚畳に座す天宿の元である。
「この私が、刀鬼になるというだ! ならば扱う刀は……」
「……『龍鱗丸』か」
「行かせる、かヨォッ!」
荒刈が先回りし、真波の前に立ち塞がる。
鞘の再生など、それ自体を吹き飛ばしてしまえば止められる。
第一、相手は子どもだ。ただ動きを抑えるだけでいい……
荒刈はそう考えていた。……油断だ。
「邪魔をするなッ!」
そこへ、真波は懐刀を投げつける。
小刀の投擲など、荒刈には通用しない。当然ながら『狗神』で容易く弾かれてしまうが、脇をすり抜けるには十分な隙を生み出すことが出来た。
(見ていたからな、無粋の戦いを)
ごく僅かな隙でさえ、意図して生み出せるなら有用だ。
そう思いながら駆ける真波は、けれど次の瞬間、地に倒れた。
……否。上半身が斬り落とされたのだ。
「意気は良し。だが些か浅慮に過ぎる」
切断されてから、気が付く。
潮の香り。これは『龍鱗丸』による一撃だと。
「天宿サマァ!? 危ネェっスけどォ!?」
「そう言うな、荒刈」
「ッたくヨォ!」
危うく諸共斬られそうになった荒刈の文句に、天宿は笑って答える。
続けて倒れた上半身を、『狗神』が貫き、床に繋ぎ止める。
「ぐぁっ……」
「いヤ、マジ凄ェよな、お前。でも無理だ」
「何を言うか、獣風情が!」
これ以上は進ませない。
荒刈に言われ、痛みに意識が飛びそうになりながらも、強いて真波は笑い飛ばす。
そうだ、きっと以前ならこれで諦めていただろう。
自分には無理だと諦めて、誰かの助けを求めていただろう。
(……その結果、どうなった!)
傷つくのは、自分以外の誰かだ。
自分を守るため、父は鞘を使わずに死に、無粋は鞘を使った事で心を折った。
もうたくさんだ、そんな事は。
結局、必要だったのは誰かの力ではない。
「私は、私の力でっ……!!」
再生した足で、床を蹴る。
『狗神』の刃が体を裂いて、肉体は悲鳴を上げた。
進む事を拒絶する身体を、歯を食いしばって蹂躙し。
肉も骨も切り裂きながら、立ち上がり、前に進む。
「切れ、味がっ……仇と、なった、な……!」
ただの刃ならば、そんなことは出来なかっただろう。
尋常ならざる切れ味を誇る刀鬼の刃でなければ。
「何故、立つ?」
立ち上がった真波は、再び両断される。
剣筋を見切ることなど叶わない。天宿と真波の間には、それほどの実力差があり。
「……死、なぬ、なら……!」
それでも、残された身体で手を伸ばし。
真波の指が、『龍鱗丸』の刃に触れる。
「……汚れた手を……」
「汚れは、お前だっ……!」
「……っ!?」
刃に触れた手を払おうとして、その力の強さに目を見開く。
だが再生した肉体には、既に『狗神』の刃が迫っていた。
終わりだ。息を吐き、瞼を閉じる天宿であったが……
……カタリ、と刃が震えた。
「……これは」
「ああ、そうだ。こっちに来い。お前は皆守の刀だ!」
「っ、荒刈っ!」
「来い! お前の主は誰だ!? 答えよ、『龍鱗丸』!!」
『狗神』の刃が、真波の背に触れる。
けれど、その体を絹を裂くように両断出来る筈の刃は……
「硬ェ……!?」
動かない。否、刃が通らない。
……再び、カタリ。
震えた刃は、くんっと僅かに沈んだ。
ぞわりと怖気を覚えた天宿は、刀を握る手に力を籠めるが……
するり。指の間から水が零れるように、刃はいとも簡単にその手を離れ。
同時に、真波の手の内にあった鞘もまた、彼の手を離れ宙を舞う。
「……『それでいい』」
ぽつり。呟いた真波の声に、荒刈は異様な気配を感じ、飛び退いた。
鼻孔をくすぐる潮の香りは更に強まり、ざぁ、と波の音が荒刈の耳をくすぐる。
幻聴? 違う。波は目の前にある。『龍鱗丸』の刃から、鞘から、清廉な潮の渦が巻き起こり……真波の身体を包み込む。
(ヤベェ)
動物的な直感だった。
この現象を放置してはいけない。
今、ここで、皆守真波を殺さなければ。
「ヴルルァァッッ!!」
「『煩い』」
咆哮と共に放った刺突は、けれど渦に阻まれ届かない。
渦に呑まれ、中空に浮いた真波は、ゆらりと振り向き荒刈を見下ろす。
その瞳は、黄金の色に輝いていた。
「ッッ……」
神の、気配。
小さな少年から発せられているとは思えない、巨大な存在感。
獣へと変化しつつある荒刈は、その脅威を肌身で感じてしまう。
(膝を、折るなッ!)
そう鼓舞しなければならない程に、荒刈は呑まれかけていた。
これが、真波か? 本当に?
だとすれば、『龍鱗丸』は刀鬼の刃と並べてさえ規格外だ。
神の加護を受けた刀ならいくらでもある。だがこれは、まるで……
「神に至る刀、か」
荒刈の思考の先を、天宿が口にする。
彼は嬉し気に口の端を歪ませながら、ゆるりと立ち上がる最中だった。
「『……』」
それを、真波は許さない。
ふわりと手をかざすと、中空の『龍鱗丸』が一人でに振れ、水の刃を天宿の頭上へと振り注がせる。
だが、刃は届かない。刹那の内に、放たれた無数の水刃は叩き斬られ、ただの水となってべしゃりと床に落ちる。
「なるほど。お前の天命は『龍鱗丸』にあったわけだ」
「『龍神の刃を 防ぐか』」
「ただの水だ、斬れぬ道理は無かろう」
言い返し、天宿は一対の刃を構える。
薄く、白い光を放つ美しい長刀である。
「……そして我の天命は、未だお前たちにあるようだ」
天宿は愛おし気な眼差しで刀を眺めると、すぐに真波へ視線を戻した。
戦う気だ、と理解して、思わず荒刈は声を上げる。
「どうスンだ、天宿サマ」
「どうも、こうも。……喜ばしい事この上ない」
「アー……だよナ、天宿サマは」
その返答に荒刈は呆れ、笑い、緊張を解かれる。
相手が神でも、こちらは鬼だ。刀を手にした瞬間から、求むるモノに変わりはない。
「我が名は天宿。手にした刃は双刀『薄明』。剣の道を究るべく……神殺し、仕る」
名乗り、斬撃が舞う。
先ず天宿が狙ったのは、渦の中心に浮かぶ真波の身であった。
右の刃が真波を守る渦を斬り破り、すかさず左の刃が胸を貫く。
連撃は、荒刈の獣の目を以てようやく見る事の出来る速さで……
けれど、浅い。胸を貫通すべき刃は、切っ先が僅かに刺さっただけに終わる。
すかさず、反撃の水刃が天宿を襲う。
刃を斬り落としながら、天宿は一度真波と距離を取った。
見れば、胸の小さな傷は既に癒えている。鞘の加護は健在かと、天宿は納得する。
(水刃は、我が放った時より素早く、強い。加えて加護と、渦……)
やはり、刃と鞘は揃えてこそ意味のあるものだった。
切っ先の感覚からして、肌もそれこそ龍の鱗のように強固なものへと変化しているだろう。一筋縄では到底敵わない相手だ。
(だからこそ、喜ばしい)
城を攻め落としたあの日、天宿はこれを戦うつもりだったのだ。
神を殺し、以て刀鬼の頂点を自称する。
さすれば、各地に眠る悪鬼修羅も黙ってはいまい。
そう思い、願い、城を訪れた結果、待っていたのは刃だけ。
(皆守真雨も、十二分に強敵であったが……)
この龍神には及ぶまいと、天宿は考える。
「フッ……ハハハハ! さてどうしたものだろうな、荒刈よ」
「ンだよ天宿サマ、手ェナイのか」
「それを探るのが楽しいのだろう。……しかし、獣化が進んだな」
ちらと天宿が荒刈を見ると、手足だけでなく、その顔もほとんどオオカミのそれへと変化している。
「アア、イツまで意識が持つカ」
「なに、正気を失えば我が斬り払ってやろう」
「ハァ~。天宿サマ相手でも、殺されルのは嫌だゼ」
「だろうな。ならこの場を凌ぎ、獣に堕ちても我を殺す気概を見せよ」
「ヘェヘェ」
溜め息交じりに応える荒刈に、天宿は満足げに頷いた。
その様子を見て、真波はわずかに眉を寄せる。
「『仲間同士 殺し合いの算段か』」
「刀鬼とはそういうものだ。求むるは己の野望のみ。そこに情は不要」
「『野蛮で、醜悪だ』」
嫌悪を顔に表して、六重の水刃が天宿と荒刈を襲った。
その連撃を、天宿は全て斬り払い、荒刈は全てを回避する。
やはり、水刃のみでは事足りぬと真波は思考して……
(……妙な感覚だ)
違和感を、覚える。思考が冷えていた。
先ほどまで胸に抱いていた熱が、痛みが、すっかりと消えている。
ただただ感じるのは、目の前に立つ鬼と獣に対する……憎悪の念のみ。
(此奴らが、傷付けた。殺した。奪い取った)
大切なモノ。守りたいと感じたモノ。
だが、それが何だったか……頭に靄でもかかったように、思い出せない。
考えようとすればするほど、増してくのは憎しみだけ。
無駄だ。こんな感覚を追いかけるのは。今はただ……
(此奴らを、『殺せばいい』)
その為には、より強い刃を使うべきだ。
考え、真波は『龍鱗丸』の刃に手を翳す。
今度はこれを振るう。触れぬまま、己を包む渦と『龍鱗丸』を包む渦を繋げた真波は……ぶわり。水の中で、刃を一度振るった。
途端、刃を包む渦は荒れ狂い、飛沫を上げながら巨大な水刃を生み出し、天宿と荒刈を諸共切り裂かんと襲い来る。
受けるか? 天宿は迷い、否と振り払う。
大水刃は、先ほどまでの水刃とは質量が桁違いだ。津波に立ち向かうようなものだろう。
ちらと荒刈に目を向けると、既に荒刈は姿勢を低くし、跳ぶ準備を始めていた。
助言は不要かと微笑んで、『薄明』を斜めに構える天宿。
大水刃の勢いを刃で流しながら、たんっと後ろへ跳び、これを避ける。
躱された大水刃は、そのまま音を立て床を切り裂き、ばしんと音を立て階下の壁を切り裂いた。
ぐらり。天宿たちの立つ部屋の床が、傾く。
どこからともなく、悲鳴が轟いた。恐らくは城に残った者どもの声。
けれど天宿も、荒刈も……真波でさえ、その声に耳を傾けはしない。
「『……しぶとい』」
呟いて、再び刃を振るう真波。
次の大水刃でこの部屋は崩れるだろう、と刀鬼たちは予測する。
さて、そうなる前に階下へ跳ぶべきか。考える二人の間を、一人の男が駆け抜けた。
飛沫が舞う。……ギィンッ!
二発目の大水刃はけれど、刀鬼たちの予想に反し、城を斬り裂きはしなかった。
津波の如きそれを、正面から受け止めた者がいたからである。
黒く巨大な、鉄の塊。
血と潮水に塗れた男は、刀とも言えぬそれで神の刃を引き受け、叫ぶ。
「やめろ、真波ッ!」
「『……』?」
ぴくりと、真波の眉が動いた。
やめろ? なぜ。ここにいるのは唾棄すべき敵のみのハズ。
金色の眼は薄く細められ、確かめるように次の大水刃を放つ。
ギィンッ!
再び受け止められた水刃は、ざばぁと音を立て床に広がった血を洗い流す。
「聞こえないのか、オレの声が」
「『……なにを お前は』」
思考が鈍る。知っている、顔……の筈だった。
なのに何故だか、思い出せない。
「……呑まれているな、『龍鱗丸』に」
「『……』っ」
「よく見ろ、聞け! 今のお前はっ……!」
「『煩いっ……!!』」
ざばり。
真波の短い叫びと共に、渦は激流となって男を呑み込む。
押し流せ。これは邪魔になる。この、思考は。
けれどその激流を以てなお、男は去らない。床に鉄塊を突き立てて、苦し気な顔でその場に留まる。
「『……おま、えは……』」
「分からない筈がないだろう……オレは、無粋だッ!」
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