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70年前のマンガって信じられるか?ジャングル大帝のすごさを語り散らかす。

「ジャングル大帝」

タイトルは超有名ですがどういう作品なのかご存じでしょうか。
今となっちゃあほとんどの方が知らない作品になってしまったような
気がするんですけど…。
なんせ70年前の作品ですからね。70年ですよ。

音楽で例えるとビートルズより古い
ビートルズは1960年ですからね。

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有名人の生まれ年でいえば梅沢富美男さんが生まれた年です。
まぁどうでもいいんですけど

そんなめちゃくちゃ古いけど名前は聞いたことある名作
「ジャングル大帝」をご紹介します。


1950年~1954年に連載された手塚作品の代表作のひとつで
ストーリーを超簡単に言えば
「アフリカの大自然を舞台とした
伝説の白いライオン一族の親子三大に渡る大河ロマン」
と言えます。

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あらすじは…
ジャングルの守り神と言われ
人間からは魔物と恐れられている白いライオン一族の王、パンジャ
ある日奥さんが人間の手によってさらわれてしまいます。


それをパンジャが助けようとしていきなり人間に射殺されてしまいます。
ジャングルの王として君臨していたパンジャがいきなり死ぬところから始まる衝撃ストーリー

マジで?って感じですよ。

めっちゃ強くてジャングルの王として君臨していたホワイトライオン、
パンジャがあっさり人間の手によって殺されて毛皮になって
吊るされてしまうんですから子供ながらにこのシーンは衝撃的でした

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それで人間に捕まった奥さんが動物園に運ばれる船の中で子供を産みます。
これが物語の主人公、レオというわけです。


その後、父を殺された人間に掴まらないようにって
「ジャングルに戻ってお父さんの跡を継ぐように」
お母さんがレオだけを船の小窓から必死に逃がそうとします
「お母さんヤダヤダ」ってダダこねるんですけど
「あなたがジャングルの王になるんです」って心を鬼にして逃がします


そんな人間から逃れるように脱出したレオですが
そこでなんとあの憎き人間に拾われちゃうんですよ。

しかしその時、出会った人間が心優しい「ケン一」という少年で
これがレオにとって運命の出会いになっていきます。
レオはここでケン一に育てられ人間界を知るようになり
なんと人間語まで学び喋れるようになります。
そして人間社会で学んだことを参考に
動物たちが殺し合うことなく
平和に暮らせるように
父パンジャが築いたジャングルの王国の再建のために
アフリカに戻ろうと決意します

しかし
戻ったアフリカを見て文明社会で育ったレオには
アフリカという土地が未開野蛮に見えたんですね。

ここから人間界で得た知識と経験を元に王国の再建、改革していきます。
肉食から野菜を食べるように畑を作ったり昆虫を養殖したり
ジャングルを荒らす人間たちと戦いながらも
仲間たちを守り
結婚して子供を生みどんどん立派な王者として成長していきます。


最後には
父を殺したあの憎き人間たちとも手を組み新しい世界を作っていきます。

そしてこのマンガの最後には手塚作品屈指の感動の名場面
伝説の名シーンがあるのですが
それは読んでのお楽しみです。

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というわけで…
これが簡単ですがジャングル大帝のあらすじとなっております。


このジャングル大帝は
1950~1954年に連載されました。
手塚治虫の初の本格的な長編連載作で後に手塚治虫の超代表作、
ひいては日本マンガ誌にも残る不滅の傑作にもなっていくのですが
驚くべきことに手塚先生はこの時はまだ19歳の医学生で
医師免許の勉強中
だったんです。

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大学生ということで当然、時間なんかありませんので
なんと授業中に原稿を書いて、授業が終わったらそのまま出版社に直行し
東京と宝塚を行ったり来たりしていたそうです。
大学生ですよ。しかも医大生、完全に変態です。
この時からすでに変態の片鱗を見せていたわけですね。


さらに連載中の1951年に卒業試験に合格して
その後の1952年に国家試験に合格し医師になります。

学生で連載しながら国家試験もこなすという
この超ハードな生活が無理!…ってことで東京に借りたアパートが
あの伝説のトキワ荘です。

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この時、アトムの前身である「アトム大使」も連載していましたし
余談ですけど1961年には医学博士にもなっています。
超多忙の中、勉強して博士号とってますからね
どうなんてんの、マジで。
天才ですやん!

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もう恐ろしいほどに変態ですよね。
とにかく手塚治虫先生の初期の変態ぷりって規格外ですから
今の常識が全く当てはまらない凄まじい変態エピソードが
唸るほどあるのでこちらをどうぞ。


そしてその後ジャングル大帝は日本初のテレビ用カラーアニメとなり
当時の少年少女たちのみならず大人たちをも夢中にさせます。
なんてったって日本初ですからね、
そりゃあ当時の子供たちは狂喜乱舞したと思いますよ。


もうみんなTVに釘づけって感じでね
まさに異次元の衝撃をお茶の間にぶっこんだわけです。
これを機に日本アニメが圧倒的な進化を遂げていきジャングル大帝は
アニメ界の先駆者的存在といえる作品となっていきます。

本当にこの作品がなければ今のジャパニメーションとまで呼ばれる日本文化の発展はなかったと言えるまさに金字塔的なアニメです。

そして初めてだからと言って決して出来はショボくありません。
むしろ今みてもその圧倒的なこだわりとクオリティにビビっちゃいます。


ぜひ一度見てみてください。
このオープニングだけでも見る価値アリです!
(…っていうかオープニングが神すぎてビビる)


さらに大のクラシックファンである手塚先生は音楽に対しても
こだわりを持っていてこの『ジャングル大帝』では
全編に渡ってオーケストラが画面を観ながら演奏する、録音スタイルをとったそうなんですがこの出来が恐ろしいくらいに素晴らしく
手塚先生がこの作品をアメリカに売り込みに行った時、
向こうの担当者が「これがテレビアニメの音楽ですか!」とびっくり仰天した、という有名な話があります。

その劇伴として重量感のある大シンフォニーを手がけたのが、
あの冨田勲さんであります。

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とまぁこの伝説のアニメジャングル大帝は語り尽くせない伝説エピソードが
山のようにあるんですけど時間がいくらあっても足りないのでここら辺にしておきます。

そしてジャングル大帝と言えばプロ野球、「埼玉西武ライオンズ」
マスコットキャラクターですね。
若い方はご存じないかも知れませんがあのマスコットキャラクターはジャングル大帝なんですよ。

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1978年に西武ライオンズが誕生したときに
西武オーナーの堤義明さんから手塚先生本人直々に電話があり、イメージ戦略のために依頼し、以来球団のマスコットキャラクターとして採用されることになります

今でもレオ、レオってマスコットキャラクターとして親しまれていますが
実はこれレオじゃなくお父さんのパンジャなんですね。

手塚先生本人もハッキリとそう語っています(笑)


だからレオ軍団じゃなくて正式にはパンジャ軍団が正解。
ちなみにレオとパンジャの違いは、
耳の先が黒いのがレオ、白いのがパンジャになっています。

ですが堤さんの指定は「大人になったレオ」という発注でしたので
パンジャをモデルにしたレオを描いているので
そのまま「レオ」が通説になっています。
なので今でも西武球団としては愛称を「レオ」としています。


このレオかパンジャか問題ですが結局のところ
マスコットとして使用するために作成された別のキャラクターということになっておりますのでそっとしておきましょう。


そして余談ではありますが
1968年に産業経済新聞社が母体のサンケイ球団がキャラクターにしていたのがあの「鉄腕アトム」です。

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名称も一時「サンケイアトムズ」と言う名前で
ユニホームの左袖に白地に赤で描かれた
空を飛んでいる鉄腕アトムのイラスト入りワッペンが入っています。


そしてそのユニホームデザインが
当時東京オリンピックのポスターを手掛けたグラフィックデザイナーの
第一人者・亀倉雄策さんと、
当時の若者に絶大な人気を誇ったファッションブランド「VAN」の創始者・石津謙介さんが服飾デザインを担当するなど、
日本を代表する両デザイナーと手塚治虫のキャラクターによって製作された事により、このユニフォームは「日本一のユニフォーム」と呼ばれました

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その伝説のユニホームをつくったサンケイ球団は
そのあと名称を変え現ヤクルトスワローズとなっております。

今でも復刻ユニホームとか記念試合の時に出てきましたので
機会があれば見てみてくださいね

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しかしプロ野球12球団に同一のマンガ家のキャラクターが2つも採用されているという事が如何に当時優れたキャラクターであったかが物語るエピソードと言えるんじゃないでしょうか

どらえもんも仮面ライダーもウルトラマンも
今ならワンピースとか色んなキャラクターがありますけど
いづれのキャラクターも成し遂げていない偉業ですよこれは。

今で例えると読売巨人軍のマスコットキャラが進撃の巨人とか
中日ドラゴンズのマスコットがドラゴンボールとかみたいなもんですからね。


まさに手塚キャラは国民的キャラクターであったと言えます。

そして
日本でこのキャラクターに版権制度を導入したのが
手塚治虫と言われています。

キャラクタービジネスの元祖とも言われており
いわゆるビジネスの側面もありますが
元々はキャラクターを守るという経緯から始まったそうで
おそらく当時は著作権とかも緩くて使いたい放題でなんでもありの問答無用の時代だったんでしょうね。
キャラクターを守るという発想そのものがなかった時代ですから。

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自分の生み出した愛すべきキャラクターを別の理念や悪意あるものに
利用されたくないという想いから導入されたそうです

手塚先生は自身のキャラに対して非常に熱い思いもっており
中国にパクられた際は大激怒しました。

そりゃそうですよ。
なんせ手塚先生は人一倍自身の生み出したキャラクターを愛し
自分の子供のように扱っているんですから

だからね、手塚先生は中国に対してどうしたかといいますと…

「こんなの違う」と言って自身で原稿を修正して、
なんと中国の出版社に送り返したそうです。

いやいや…。
先生怒りの矛先が違うんですけど…(笑)

そもそも向こうは無許可ですからね。
修正もへったくれもないんですけど
これには手塚先生の理由があって、それは
「ちゃんとした絵で、中国の人にも楽しんでもらわないと!! 」という理由があったんだそうです。

なんて人なんですか。
こだわりと凄まじさがケタ違いですよね

そしてパクられたことよりその先の読者へ想いが向いているというね
ほんとクリエイターとしての器の大きさが尋常じゃありません


パクリといえばディズニーの「ライオンキング」問題がありますけど
これについて訴えるとか色んな議論がなされています。

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類似点から見ても、パクリとはいかなくても影響を受けているのは
ほぼ間違いないんですけど、ボクも手塚プロダクションの大人の対応が正解だと思います

手塚先生自身も大好きなディズニーが自身の作品をパクったんなら光栄だと思っているはずだし
なにより恋焦がれた相手と揉めたいと思っているはずがないですからね。
昨年には実写映画化され、またこの問題がぶり返してきましたがそっとしておきましょう。

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そしてキャラクターといえば手塚スターシステムですね
手塚先生は自分の作品に登場するキャラクターを映画俳優のように捉えており自身の作品のキャストとしてキャラクターを登場させています。
だから手塚作品には同じキャラクターが何度も登場するんですが
これはそのキャラクターが
その役割を演じているという設定になっているからなんですね。


ここら辺のスターシステムという設定も
自身のキャラクターを大事にしていることがうかがえますね。
作家さんであれば自分の生み出した作品を我が子のように思う気持ちは誰しもが持っていることでしょうけど、手塚先生の場合その度合いは他の作家さんと比べるとおそらくケタ違いだと思います。

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まだまだお話したいことがたくさんありますので
この続きは後編に続くとさせていただきます。

ではまた次回!


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