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戦後最大のミステリー「奇子」と「下山事件」国鉄初代総裁失踪の謎!手塚治虫が描きたかったこととは?

今回は手塚治虫の曰くの問題作奇子の番外編として「下山事件」をクローズアップします。
以前ご紹介した「奇子」の本編の中で
実際に起きたこの下山事件が折込まれているのですが
その事件がどんなものだったのか
なぜ手塚先生がこの事件を折り込んだのか
こちらを解説していきたいと思います


「奇子」とはどんな作品なのかの解説はコチラからどうぞ



この下山事件とは、まぁ複雑怪奇な事件でありまして
当時日本中が揺れた最大級の未解決事件なのであります
ちょっと震えるくらい都市伝説級の難事件なのでそこを掘り下げるとともに
手塚作品を違う側面から今回はその魅力に迫ってみたいと思います。


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下山事件とは…

まずは下山事件とはどんなものなのかみてみましょう。

1949年7月5日朝、
出勤途中だった初代国鉄総裁、下山定則(さだのり)氏が奇妙な行動の末、失踪

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翌6日未明、東京都足立区の常磐線と東武伊勢崎線が交差する高架下付近の線路で、轢死体(れきしたい)が発見されます。
後にこれが前日に失踪した下山総裁のものであると判明

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当初は自殺かと思われましたが不可解な証拠がたくさん出てきます
自殺か?他殺か?
捜査の過程で浮かび上がった物的証拠は明らかに「他殺」の可能性を示していたにもかかわらず、
約1ヵ月後、事件は強引な形で自殺説として収束させられ、
警察は公式の捜査結果を発表することなく捜査を打ち切り。

多くの謎を残したままいわゆる迷宮事件となり
戦後最大のミステリー、戦後最大の未解決事件として、名を残すわけであります。

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さぁこのなんとも奇妙な事件、
めちゃくちゃ不思議なことがこのあと、続々明らかになっていきます。


当日の足取りを辿ってみますと
下山総裁は、7月5日朝、午前8時20分頃に自宅を公用車で出ます
国鉄本庁には向かわず出勤途中、
運転手に日本橋の三越に行くよう指示します。
三越に到着したものの開店前だったため、
一旦、東京駅前に戻って千代田銀行(現・三菱東京UFJ銀行)に立ち寄るなど、複雑なルートを辿った後で再度三越に戻ります。

めちゃくちゃおかしいですよね。
開店前って時間みたらわかりますやん。
明らかになんかの時間稼ぎか、精神が虚ろだったかでしょうね

そして午前9時37分頃、
公用車から降りた下山総裁は、「五分くらいだから待ってくれ」
運転手に告げ、三越に入りそのまま消息を絶ち
翌日未明に轢断された下山総裁が発見されます。

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ここです。
三越に入ったあと何が起きていたのか?
誘拐されたのか、はたまた自らの意思なのか…

失踪後、下山総裁らしき人物は、
三越店内では、数名の男たちを伴っていたとの目撃証言もあるので
おそらく同行され違う場所へ移動したようです。


午後1時40分過ぎに、
轢断地点に近い駅改札で改札係と話を交わしたともあります。
その後、午後2時から5時過ぎまで、同駅に程近い「末広旅館」に滞在。
午後6時頃から8時すぎまでの間、
轢断地点に至る東武伊勢崎線沿線で、
服装背格好が総裁によく似た人物の目撃証言が多数得られたそうです


失踪した割には多くの目撃証言があるんですが
これは非常にわざとらしいというか作為的なニオイがします。
松本清張さんも『日本の黒い霧』の中で下山事件を他殺説として主張しているのですが、この旅館にいた下山総裁は替え玉と断じています。


その根拠として旅館の部屋に吸殻が一つも残っていなかったこと。。。
下山総裁はヘビースモーカーと知られ、
1本もタバコを吸っていないのは不自然だと言ってます。

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自殺か?他殺か?
当時はこれが一大論争にまで発展
これがこの下山事件のミステリーなところです。


自殺か?他殺か?

焦点は
「生体轢断」か「死後轢断」か…

つまり
生きている内に轢かれたか、死んでから轢かれたかってことです。

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遺体の司法解剖の指揮を執った東京大学法医学教室主任の古畑教授は、
回収された下山総裁の遺体に認められた傷に「生活反応」が認められない事から、死後轢断と判定しました。
つまり別の場所で死んでから線路に運び轢かせた可能性があるってことです

また、遺体は損傷が激しく確実な死因の特定には至らなかったものの、
遺体及び轢断現場では血液が殆ど確認されず「失血死」の可能性が指摘されました。

おやおや…現場に血液がないですと!
めちゃめちゃ怪しくないですか
列車に轢かれたのに血がないんですよ
しかも血液が死体にはほとんどなく、
血液が抜かれていた可能性もあるんです。

加えて遺体の局部等の特定部位にのみ、
内出血などの「生活反応」が認められ、
該当部分に生前にかなりの力が加えられた事が予想されています。

つまり局部蹴り上げなどの暴行が加えられた可能性があるってことです


一方、現場検証で遺体を検分した東京都監察医務院の八十島監察医は
血液反応が僅かなことも、
遺体発見時の現場周辺で降った雨に流され確認できなかったもので、
他殺の根拠にはなり得ないと主張


三人の法医学者が衆議院法務委員会に参考人招致され、
国会、法医学界を巻き込んだ大論争にも発展しました。

いやいやいや…
轢断された現場に血がないのは
雨によってすべて流されたから他殺の根拠にならないって
そんなバカな話ってあります?

ちなみにボクは他殺説なのでこちら側の見解で喋らせてもらうんですけど
血液ってそんな簡単に流れるもんなんですかね。
法医学のプロが3人集まってここまで根拠が割れるもんなんでしょうかね。
絶対買収されてるでしょこの人…。

まだまだありますよ
下山総裁のワイシャツや下着、靴下に大量に油(通称「下山油」)
付着していましたが、
一方で上着や皮靴内部には付着の痕跡が認められず、
油の成分も機関車整備には使用しない植物性のヌカ油であったと
遺留品や遺体の損傷・汚染状況等に極めて不自然な事実のあることが次々と浮かび上がります。

要するに
上着にはついていない油が下着にべったりついていたわけですよ。
これは刑事ドラマなら間違いなく証拠になるでしょ。
「古畑任三郎」も「相棒」もここら辺でもう犯人追い詰めてますって。

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まだありますよ
轢断地点から上り方面(上野方面)の枕木上に、僅かな血痕を発見
血痕は数百メートル断続的に続いており多数の血痕が確認されます。

さらにその土手にあった「ロープ小屋」と呼ばれた廃屋の扉や床にも血痕が確認されたため、これらの血痕は下山総裁の遺体を運搬した経路を示しているのではないかと注目されました。

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状況的に見るとロープ小屋で何物かに殺され線路まで運ばれたと推測できるも血痕自体が下山総裁のものと断定できず証拠にはなりませんでした。


また下山総裁の所持品のうち、ロイド眼鏡、ネクタイ、喫煙器具などは警察の徹底的な探索によっても発見することはできませんでした。
これらの所持品が現場周辺から見つからなかったことは不自然である発表。

これね、
下山総裁ってめちゃめちゃヘヴィースモーカーだったそうなんですよ。
所持品にタバコがないっておかしいでしょ。
これもなし崩し的に闇の中へと消えてしまうのは
どこか陰謀めいたものを感じます。
ネタとしてはまだまだありますけど…
次に下山総裁の人物像を見て見ます。


下山総裁の人物像

下山総裁は
事件の前日の7月4日に、
人員整理の当事者として3万人の従業員に対して解雇通告を行なっています
いわゆる首切りです
しかし
下山総裁の就任は1ヶ月前の6月に就任したばかりの新人総裁なんです。
これってつまり数万人の国鉄職員の首切りするために
初代総裁にさせられたとも言えます

日本の高インフレを解消するためにGHQは緊縮財政を断行していまして
特に国鉄においては10万人規模のリストラを勧告していますからね

下山総裁を、総裁に据えたのは
自分の思い通りに操りたいだけの人事って感じがプンプン香りますよ。

だけどね
下山総裁って結構ガンコだったらしいです
…というより子供のころからの熱血鉄道オタクなんですね。
「鉄道命!」そんな鉄道マンだったからこそ
お上の命令に対し何かしらの反抗を見せていたともとれます。

さらにね、鉄道オタクが
自殺するのに鉄道で命を絶つかって話です。
「奇子」本編でもここら辺の問答が描かれています。

一方
自殺説派の意見は
10万人規模の解雇通告で自殺に追い込まれたと言っています
自殺を裏付ける根拠として、
国鉄庁舎内で、躁鬱によると思われる下山総裁の異様な行動の目撃談や、
かかりつけの医師に度々睡眠導入剤を要求していたことなどが挙げられています。…が実際はどうなんでしょうね。


結果的に、国鉄を含めた各業界における人員整理は、
当初予想された混乱もなく
日本占領を行う連合国軍及び
日本政府の思惑通りにスムーズに進行しちゃいます

まぁ真相は闇の中なので今となっちゃ何が真実なのか知る由もありません。
でもまぁ個人的には自殺はないでしょう。
人員整理による鬱の自殺?ありえないですね。


当時の日本の状況


このような状況から
国内の利権関係?
GHQによる忙殺?
GHQの圧力を受けたある期間の陰謀?
アメリカはなんらかの関与はあったのか?
下山総裁がある大変な汚職事件の事実を知ったのでは?

と挙げたらキリがない黒幕が渦巻く難事件であります。

この下山事件の他
1949年7月15日、
下山事件の10日後に東京・三鷹駅構内で起こった無人列車暴走事件
1949年8月17日、
福島県の東北本線で起こった列車の脱線・転覆事件。
容疑者は逮捕・起訴されたが、全員が無罪

下山事件から約1ヵ月の間に立て続けに発生した三鷹事件、松川事件と合わせ、1ヶ月の内に国鉄でデカイ事件が3回続き
「国鉄三大ミステリー事件」とも呼ばれ
いかに当時の日本が混乱、混沌としていたかが伺えます。

様々な憶測が飛び交いますが
これは
1952年に日本がまだGHQの占領下にあった
日本が主権を回復するまでのお話ということです…。

「戦後史最大の謎」なのは間違いありません。


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という訳でこれが「下山事件」ですが
これが手塚治虫の「奇子」とどう絡んでくるのか?
その後も真相が不明のまま様々な憶測を呼び今日に至っており
映画にもなりましたし松本清張さんの「黒い霧」など
関連本がめちゃくちゃ出ています。

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下山事件は直接マンガの話に関係ないっちゃあ関係ありません。
上手く伏線のように組み込まれていますけど
これが無くても大きな問題にはなりません。

なのになぜ手塚治虫がこれほどまでに下山事件を描いたのか
事実として奇妙だし
物語として面白いから作家としてはウズウズする題材ではありますが
無くても問題ない話を、結構なページ数を取って精密に再現しているのは
絶対に手塚先生の思惑があるはずだと思います。

手塚作品には結構、歴史の闇にスポットライトを当てたり
時代に風穴を開けるような問題提起をぶっこんで来たりしますしね。


「奇子」本編では
田舎の封建的な風習、村八分、ムラ社会、近親相姦、暴行
他、今では差別用語として口に出せない言葉の数々…

GHQやキャノン機関、共産主義や労働運動
政治的話題から国家間の陰謀まで「東京裁判ごっこ」も出てきます。
ちょっと危なっかしいテーマも手塚節で描いています。

当時の社会情勢がいかほどのものだったのかは
ボクは生まれてもいませんから計りようもないのですが
手塚先生は相当な思いがあった事は間違いないでしょう。


ちなみに奇子以外にも「アリと巨人」という中学生向けのマンガにも
この下山事件を描いています。
学生向けマンガですよ。一方ならぬ思いを感じますよね。
これはやはりそれなりメッセージを込めたと解釈してもおかしくないと思うんですよね。

凡人のボクには手塚先生の当時の心境であったり
伝えたかったものを読み解くことはできませんでした
本編「奇子」の
あとがきで「まだまだ描きたかった」「まだ序章」だと語っているように
「奇子」の続き
もしかしたらここら辺の当時の社会情勢
GHQや政治の闇、国家陰謀説を描きたかったのかも知れません。


返す返す奇子の続きが読めなくて残念至極でございます。

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