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手塚治虫が語る核映画「ザ・デイ・アフター」

今回は「手塚治虫が語る核映画」をテーマに
手塚治虫の戦争への想いを見ていきたいと思います。

ご存じない方もおられるかも知れませんが実は手塚先生は大の映画好きで
めちゃくちゃ忙しい身でありながら年間300本は映画を見ていたという
変態映画オタクであります。
仕事中に抜け出して映画に行くのはしょっちゅうで
キネマ旬報という映画雑誌の連載まで持っていたくらいの
映画が大好きなのであります。

そんな手塚先生が「核映画」を扱った作品について語っている記事がありますので今回はそちらを参考に
掘り下げてご紹介しますのでぜひ最後までお付き合いください。

それでは本編行ってみましょう。

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さぁ今回ご紹介する映画とはこちら
キネマ旬報1984年1月下旬号掲載の「ザ・デイ・アフター」についての記事を見ていきます。

「ザ・デイ・アフター」と言えば1983年のアメリカ映画

そのあと… と題された作品でありますが…何のあとでしょうか。

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そうです。
核爆弾が落ちた後という映画なんですね。

核爆弾をアメリカ人が作りそのアメリカ人が作った核爆弾映画
全米で46%の視聴率、約1億人が見たと言われそのショックで各地で
デモや集会を巻き起こした
曰くつきの問題作であります。

ボクもこれ小学生の頃に親に連れられリアルタイムで映画館に観にいきましたけどストーリーなどはさっぱり覚えていませんけど
原爆の悲惨な惨劇を伝えるその衝撃は今でも脳裏に焼き付いちゃってるほど
記憶に残る映画でありました。
ほんとね、ストーリーなんてこれっぽっちも思い出せないんですけど
爆撃の凄まじさを物語る凄惨な描写は覚えています。

そんな「ザ・デイ・アフター」の映画の論評と、そのパンフレットの中にあるコメントは手塚先生本人が描いております。
そちらを参考にこの映画がどういうものだったのか見ていきましょう。

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まず手塚先生はこの映画の核攻撃に晒されるその前の不気味さがいいと言ってます。

夫人がぼんやりとベッドのシーツをととのえている日常
ふだんはまるで無関心だった住民たちが、
突然立ちのぼるミサイルの噴煙を見送る
そして
茫然、恐怖、戦慄、目が飛び出したような表情の顔の群れ。
それから逃げまどう地獄絵図がはじまる
逃げる時間もなく、死が刻一刻迫るなかで、茫然自失した人間は、無意識に日常の行動を繰り返す。
その絶望感を、このワンシーンは見事に演出している。

…と惨劇前の何気ない日常から地獄絵図に至る過程が見事だと評していますね。

ここから爆撃が始まるんですけど
ここからは手塚先生のコメントをそのまま掲載します。

そして、核爆発。このシーンは特撮もうまく、すさまじいばかりだった。
 なによりも、爆発してまず光にみまわれ、
それからしばらくして熱波に襲われる、あの“間”がいい。
 ボン! と光り、天地がまっ白に輝き、それが消えて、車の列の窓や、家の窓から、なんだなんだ、と人々がこわごわ顔を出す。
 車からおりて走りだす人、立ちすくむ子どもを抱きかかえて逃げこもうとする人、それだけの間がある。
 だしぬけに熱波が襲う。一瞬、あらゆる人々が凍りついたように骨になり消えてしまう。
 この“間”の戦慄。
そしてはるか前方に立ちのぼる血だまりのような核爆発の煙。
これらは、ほかの核戦争映画では描いていない。すぐれたカットである。

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…と手塚先生は他の戦争映画と違い本作の核爆発による演出を高く評価しています。
確かに他の戦争映画のような血生臭さではなく「間」による演出
それは見事な演出だと思います。
それこそ一見するとゲームのような描写、とても現実的とは思えない非現実な世界観なんですけど
でも核爆撃ってそれほどまでにこの世のものとは思えない代物であったと
いう斬新さを与えてくれています。


カンザスシティの街の上に目も眩む閃光が覆い
電磁波の影響で全ての電源が停止。
数千度という灼熱のエネルギーによって、
辺り一面が無残にも粉々に砕け散っていく
あらゆるものを跡形も無く蒸発させてしまう圧倒的な破壊力

そのショッキングな映像に当時のアメリカ人たちは信じられずパニックになった人もいたそうです。
しかしながら手塚先生は爆撃後の描写について苦言を呈しておられます。
「ザ・デイ・アフター」その後が大事なのにそのあとがいただけないと言っているんですね。

文章読み上げますと

だが、そのあとがややいけない。
「ザ・デイ・アフター」だからそれからが物語の本筋なのだが、
肝心のここがいま一歩なのだ。
 はっきりいうと、スペクタクル映画の「大地震」とか「メテオ」などで、うすよごれた避難民がアタフタした、あの調子とあんまり変わらないのだ。
主人公のひとり、ジェーソン・ロバーズが放射能で髪の毛がぬけおち、
ケロイドの顔でうろついていても、
その周辺の光景がどっかのゴミ処理場のレンガの山みたいなもので、
その隙間にひとつかふたつすすけた石像がころがっていると思ったら、
それが人間の焼けこげた死体だったりして、
広島の記録映画などからは、まず、ほど遠いのだ。
 これらには日本人は失望させられるだろう。
だが、その描写すらもあちらでは、
「十二歳以下の子どもには観せられない」
 との批評があったくらい、アメリカ市民にとっては、想像もできない、空前絶後の描写なのだ
いいかえれば、アメリカ人にとっては、
広島の被害の状況などまったく知られていないことがわかる。

と述べておられます。


日本人が経験した未曽有の惨劇、
その記録描写としてはほど遠い出来と酷評しており
しかもその描写ですらアメリカ国内では衝撃的シーンとして扱われていて
本当の日本の被害についての認識が浅いことに残念であるという無念さを滲ませておられます。

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しかしながら
何よりこの映画をアメリカ人が制作しているところに大きな意義があるとも言っておられます。

「この映画は、出来いかんはべつとして、アメリカ人にとっては最初の原爆体験だといっていい。
 それが甘いとか、なんとかいう前に、あの核大国でこんなものをつくったという意義は大いに買うべきだ。
ことにそれが一般大衆側から描かれたという意義を買うべきなのだ。」

…とこの映画を核攻撃を行ったアメリカが作ったことの存在意義を高く評価しています。

手塚先生にとって戦争とは
青年期に体験したこの世のものとは思えない地獄と称しています。


そしてその惨劇を二度と繰り返さないためにも
未来ある子供たちに同じような体験をさせないためにも
反戦テーマを自身の作品の中に盛り込みたくさんのメッセージを発信しています。

戦争による無残さ、無意味さ、愚かさ
手塚治虫が生涯に渡って伝えていこうとしていた想いを
我々も次の世代へと紡いでいかなければいけないんですね。


「ザ・デイ・アフター」
そのあと…と題した本作、、、
生き残ったものたちの「その後」を伝えていくことで
新たな始まりに向かって進んでいけるわけで
一人でも多くの方が手塚作品やこの映画を見て感じて
次の世代へその想いを紡いで行ければいいなと思っております。

戦争体験を記した半自伝的手塚作品は別動画でも紹介しておりまして
非常に見ごたえがありますしぜひ多くの方に診て欲しい内容になっておりますのでチェックしてみてください。


最後に
この映画のパンフレットに手塚先生のコメントが記載されておりまして
今回はそのおしまいの部分だけをご紹介して終わりにしたいと思います。
(1984年1月14日発行)

「今迄の核兵器の恐怖を描いた優れた外国映画でも、
核爆発の一瞬を具体的にとらえたものは、思い出してみるとおかしいことに一本もなかったのです。
ヘンリー・フォンダがアメリカの大統領を好演した「フェイル・セイフ」は、ラストでニューヨークに落ちる水爆のシーンをぼやかしていますし、
名作「渚にて」ではもっぱら核戦争後の人類滅亡を描いています。
ことに核兵器の怖さを一般市民レベルで描いた物語はほとんどないのです。
そういう意味でとにかく「ザ・デイ・アフター」は画期的です。
これが最大核保有国のアメリカで今の時期につくられたことには大きな意義があります。
いわばこれは手懸かりです。これが成功したことで、
いずれはこの百倍の正確さで
被爆の実態を描くドラマがつくられるでしょう。
ソ連や他の国々でもつくられるようになれば、
それは映画における世界的な反核運動ともなります。
「ザ・デイ・アフター」のしめくくりとして、
「ソ連と休戦協定を結んだ!」とアメリカの大統領の発表が流れます。
その時はすでに全米を蔽う廃墟の中で、
ぼろぼろになった生き残りの人々がうごめくだけです。
この人達の怒りを、宣戦を布告した当事者の大統領はどう受けとめるか、
皮肉で冷ややかな問題提起を残してドラマはプッツリと終わります。
 原爆の非体験国が体験の想定で描く、ということがいかにむずかしく、
想像の域を出ないか、
ということをこの作品ははからずも知らせてくれました。
さあ、それでは、邦画でなにがつくれるでしょうか。
今こそ日本版「ザ・デイ・アフター」をつくり全世界に公開するための企画を、真剣に考えるときだと思うのですが。
講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫エッセイ集 8』「ふたつの“核”映画」より



という訳で今回は「手塚治虫が語る核映画」についてご紹介いたしました。
これらの記事を見ると手塚治虫の知識量の裏付けは圧倒的なインプットが理由であることが分かるかと思います。最後までご覧下さりありがとうございました。


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