見出し画像

自虐的なくらいに書き換え修正する手塚治虫の秘密

今回は手塚治虫はなぜ原稿を書き換えるのか?
なぜ修正したがるのかをテーマにして
講談社の手塚治虫漫画全集の発行を通してその理由について
お話したいと思います。

手塚治虫の単行本というと
もうそれこそあらゆる出版社から出ており
しかも何々版、何々版とあって訳わかりません(笑)

たとえばワンピース買おうと思ったら
集英社のジャンプコミックスでしか出ていませんので
本屋だとすごく探しやすいですよね。

でも手塚作品読もうと思ったらどこ探していいのか分からないんですよ。


しかも手塚先生って単行本化されるときに
めちゃくちゃ修正するんで連載時のものと
内容が違うということなんてザラです。

ザラ!


場合によっては原型を留めないくらい修正したりして
内容が別のものになってしまうなんてこともあります。

考えられないでしょ。
もう普通の価値観や常識では測れない変態なので通常の物差しで見ちゃうととんでもない誤解を生んでしまう作家でもあります。

なんでそんなことをするのか。
なんでそんなことになっちゃうのか
という素朴な疑問にお答えする記事を今回はお届け致します。

それではいってみましょう。

*-----------------------
まずは軽く手塚治虫が生涯にどれだけのマンガを描いていたのかを
予備知識として覚えておきましょう。

公式な記録ではないですが
生涯700作品、原稿枚数なんと15万枚と言われております。
これを42年で描き上げています。

こちらもどうぞ
数字で見る手塚治虫の桁違いの変態ぶり!


42年を15万枚で割ると1日10ページ換算
月産ではなんと300ページという恐ろしい数字になります。
にわかに信じられない数字ですがこれをこなしていたのが
神様手塚治虫なんです。

これらの偉業をまとめるうえで個人の作家としては初の全集版が
講談社より発行されることになり
これが「手塚治虫漫画全集」として発刊されます。
こちらは全400巻あります。

画像1

全400巻、これを仮に一冊200ページとすると、400冊で計8万枚
300ページだとしても12万枚です。
あれ?、、、生涯15万枚という数字には届きません。
全集と謳っておきながら
生涯枚数の6割くらいしかまとめられておりません。

え? 詐欺なの? …違うんです。
描かれたときの現行枚数と単行本のページ数がイコールじゃないというのが手塚治虫なんです。

その大きな理由が「書き換え」「時代背景」にあります。


まず「時代背景」から見ていきますと
そもそも昔は、単行本になることが一般的ではありませんでした。
どこの出版社でも連載が終われば原稿は不要なものと考えられていたので
原稿は買い取りのため作者の元に却ってこなかったんですね。

とくに初期のものにおいては管理はめちゃくちゃで
「来るべき世界」の時なんかは掲載が終わった原稿を不二書房が最初持っていたのを鶴書房に売っちゃいました。
えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

画像2


そしたら鶴書房が手塚先生に許可なく
「地球最後の日」と名前を変えて販売しちゃうということもあったそうで
もはや、むちゃくちゃですよね(笑)

このように初期の原稿においてはどこにいったのかは、
もう不明で現存すらしていない可能性もあるわけです。

さらに
昔は色紙代わりに結構、色原稿をプレゼントしていたそうなんです
というのも昭和30年代の単行本技術ではまだカラー印刷ができなかったので
終わった原稿は使い道がなかったんです。
とくに少女漫画はカラー原稿が多かったので
ほとんど単行本化されていません。

こうなると単行本化しようにも、
もう原本が行方不明なのでどうしようないわけですよね。

ですので手塚作品の復刻というのは大変極まりない作業になるわけです。


復刻するには…
連載された雑誌をそのままトレスしないといけないんですけど
まずは原稿を探す作業、
すべての掲載作品を手塚プロでは保管しているわけではないので
生原稿がない以上、掲載雑誌を探さないといけません。

画像3

さらにその印刷物のクオリティも
単行本化に耐えうるレベルにあるかどうか。
そしてそこからトレスする技術者のクオリティも見ないといけません。
下手なトレスだともう目も当てられないくらいヒドイそうですね(笑)

あとは社会情勢によっては紙が粗いというのもあります。
オイルショックの時なんかはインクが裏写りするくらい粗い…。
そもそも紙がない訳ですからこれもどうしようもない。
こうなると復刻はまず不可能と言われております。

このように決して単行本化されているものだけが
正式な原稿枚数ではないということがお分かりいただけたかと思います。


さぁ長ったらしい前置きが
やっと終わりましていよいよ本題にいきますよー、

こういう背景も受けまして漫画では
初の個人全集が刊行されることになります。
それが講談社より発行された「手塚治虫漫画全集」です。

画像4

こちらは

1977年に6月から1984年10月まで、
毎月4冊ずつ各期100巻3期に分けて全300巻が刊行されました。
そして手塚先生の死後、1993年1月から第4期100冊の刊行が始まり、
別巻として漫画作品以外の「エッセイ」や「対談集」など18冊を含み
1997年12月に全400巻完結するわけであります。


ちなみに当初、講談社側は文庫サイズでの刊行を提案していたそうですが
手塚先生が却下し現在のB6判での刊行となっております
さすが手塚先生これが文庫版だったらちょっとイヤですよね。
これは大正解の判断だと思います

画像5

さて
手塚先生がこの全集版にどこまで関わったかといいますと
全集のラインナップはすべて手塚先生が決めています。
巻末のあとがきも描き
巻頭の英文のあらすじも自分で書いておられます。

あと表紙はほとんど書下ろし
なかには流用もありますがほとんど書き下ろされています。


ちなみに「火の山」の表紙は「山棟蛇」の雑誌掲載時の扉絵ですけど
「山棟蛇」は全集には収録されていません

画像6


おそらく見た目が「火の山」っぽいから使われたと言われておりますが
どんな理由なんですかそれ?。
「…っぽいから」って言われても全く別の作品ですからね(笑)
ほんと天才の発想には凡人には到底理解が及びません。

ちなみのちなみですが
サンダーマスクは雑誌掲載時の扉絵をそのまま使っています。

画像7


というよりほかの事あるごとにこの絵を使い倒していますので
よっぽど興味がないか描くのがイヤだったんでしょう。
同じ時期の忌み嫌っていたアラバスターですが
これはなんだかんだ言って書き直していますしカバーも書下ろしです。
そのあたりからみてもやはりアラバスターは
先生の中でも気に入っていた作品だったとボクは睨んでいます(笑)

アラバスターはこちらで


それから装丁にもこだわりがあって
大人っぽいもの、高級感を出したいとして額縁のデザインが施されています
当時のマンガにはあった扉絵が全集にはないのも
小説っぽいつくりにするためです

画像8


本当は表紙をハードカバーで出したかったそうですがさすがにそれは諦めたそうです(笑)


そしてこれらの作業を全集は月に4冊発行されるので4回やるわけです。
冒頭に述べましたがこのクソ忙しい中で4回やるんですよ。

そしてここに本編の修正作業が入ってきますからね。
そのうちの1冊は必ず大幅な編集、修正があったそうです。

手塚先生が大幅に書き直したもので有名なのが「新宝島」

画像9

ラストを中心に大幅に改編されています。
これは原案の酒井七馬さんによって改編されたものを
手塚先生が元々構想していたものに書き直したからです。

さらに原本は縦3コマの配列ですがこれを縦4コマにも修正していますし
ラストも完全に書き換えられています。
あれやこれやでもう復刻じゃなく書下ろしレベル
完全に別のマンガを1本かいちゃうくらいの改編という曰くつきのマンガになりました(笑)

ちなみに「新宝島」のオリジナル復刻についても何度も依頼はあったのですが手塚先生はこれは自分の作品ではないとして
本作の復刻を頑なに拒否しておりました。
しかし先生の死後
手塚プロではこれは日本漫画誌を語る上でも非常に重要な作品であるということで復刻の許可を出しております。

画像10


まぁこのように雑誌掲載時のものから
単行本化の際にやたらと手を加えるのですが
なぜそこまで編集にこだわっていたかと言いますと

単行本ではちゃんと読んでもらいたいという思いが強く
雑誌掲載時というのは叩き台的なイメージだったそうです。

つまり単行本が完成品で、雑誌連載は練習のような感じですかね。

練習というと乱暴ですけど連載時に後悔したことや
時代によって適切な表現ではないことなどを
修正して読者に届けたいという思いが非常に強かったようです。


特に連載中に読者の反響のよくなかったネタなんかは
読者の声を反映させて削除することが多いです

あとは連載時のアラを整理したり余韻を増やしたり
当時の時事ネタやトレンドを付け加える事は有名。

だからもう書き直しが当たり前のような感覚になっていたんでしょうね。
あくまでも自分の作品の完成形は単行本であるという
姿勢は生涯変わらず持ち続けていたということです。


そんな手塚先生の独特な修正作業といえば原稿の切り貼り
元の原稿のコマをハサミで切って
それを白い原稿用紙にパズルのように組み合わせてアシスタントがのりづけする、空白にはあとで先生が書き足すといった具合いで進めます。

それは見事なまでの作業と言われており、
躊躇なく生原稿にハサミを入れるそうですね。

画像11

一番有名なエピソードとしてジャングル大帝でいろんな単行本化のたびに
切り貼りを繰り返して盛り上がって
最後には三段貼りにもなってコマが浮いていたそうです(笑)

当時アシスタントだった寺沢武一先生はこの作業を見て
「まさに神業、一生の宝物になった」と語っておられるほど
凄まじい作業だったようです。


生原稿に容赦なくハサミを入れるわけですからね
過去への無頓着といいますか
新しいものへの挑戦といいますか
やはりちょっと普通の思考でないことは確かです。

当然、原稿がバラバラになるので
この世にオリジナルはもはや存在しません。

そして当時は原稿がなくなったら先生自身がもう一回書くなんてことも
普通にやっていました。
その際にまた新しくエピソードを書いちゃったりするんで
また違う作品が増えちゃう。

もうどんどんオリジナルから遠ざかっていくというね

まだまだネタはあるのですが
この続きは後編で…

では!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?