私にとってのアベノミクス

日本経済にとってアベノミクスは必要だったかは私は専門家ではないし、また専門的に分析したことはないのでわからない。安倍元首相の元、黒田総裁の日本銀行の大規模金融緩和を行い、円高の日本から円安に移行し、日本の製造業の景気に後押しをしたのは間違いない。朝日新聞はアベノミクスに対して否定的だ。日本に格差をもたらし、財政ファイナンスと供述し、日本銀行のバランスシートの不安定さを指摘している。言葉を巧みに使い、不安をあおっている。しかし数字の裏付けがない。もっと深く掘り下げることが可能な話題なのに深く掘り下げない。日本経済の不安、物価安定の不安をあおって、問題を日銀に転嫁しているように私には思える。

日本経済にとってのアベノミクスの評価は私にはわからないが、私にとってなくてはならない金融政策だった。リーマンショック後に仕事を失った私は縁あってまた勤めていた人材派遣会社の職を得ることができた。景気は悪かった。事業所の経営はぎりぎりであった。そして東日本大震災である。民主党にとっては大打撃だったろう。同情する。落ち込んだ景気は一向に良くならない。その時に安部元首相はアベノミクスという経済政策を引っさげて、選挙に勝った。極端な円高から円安に変わった。日本の製造業は息を吹き返した。それは私にとって私の所属している企業にプラス材料だった。事業所の経営が維持できるくらいの環境に変わった。

統合失調症の障害を持っている私には収入の手段が限られている。私に特別な仕事のスキルを持っているわけではない。私の給与が障害者雇用の給与と比べて高いわけでもない。私は妄想や、認知障害、意欲の減退といった症状を持っている。その中でなんとか給与以外から収入を得ようとしたら、副業か投資である。本業でも私は上手く稼げないのに副業で稼ぐという選択肢は私になかった。そしてたまたま私は投資という選択をした。日本株、と外貨預金である。海外を旅した経験があった私は外貨預金は馴染みがあった。1ドル80円くらいでドルを買い、120円くらいでドルを売る。為替差益の40円が利益である。これをただひたすら繰り返す。何も難しいことはない。経済的知識がなくてもただドルが安いときに買って、高いときに売ればいいだけである。日本株も基本的に上げ基調だったので、株の売買で失敗があっても、長い目で見れば利益を出すことができた。

私が所属している業界は製造業がメインである。私はいくつかの製造業をピックアップし損益計算書と貸借対照表がどのようになっているか勉強をした。日商簿記検定3級を合格し、2級の勉強も始めた。3級は2回目の試験で合格した。2級はまだ合格していない。つまり私は頭がいいというわけではない。だから私は理解することに時間がかかるから、勉強をした。例えば誰もが知っているトヨタという企業がある。トヨタの財務諸表を見たことがあるだろうか?トヨタはリーマンショックの時以外は黒字である。極端な円高の環境になっても黒字は確保している。繰越利益剰余金を毎年積み上げ、自社株買いを行い、研究開発費を惜しまない。そして改善活動を行う。株価の上げ下げはあるが基本的に企業は環境に応じ成長している。つまり株式投資はそういう企業を見つけ、一時の安く買える時を見つけ増やしていけば資産が増えていくのではないのかという考えが至った。

もし、アベノミクスがなかったら私はどうしていただろう。もし、アベノミクスの機会を逸していたら私の生活はどうなっていただろう。パートタイムで働き、障害年金3級が収入で、資産もなくギリギリの生活を送っていただろう。そうなったら私はアベノミクスに批判的だっただろうか?格差に嘆いて愚痴でもこぼしていただろうか。アベノミクスは決して短い期間ではない。多分、私は投資は失敗もするが気づいていただろう。何かをやってみなければ、失敗したかどうかもわからない。何が自分に向いているかどうかもわからない。

私にとってアベノミクスの経済政策はプラスだった。しかし私に給与以外所得であり、実力で得たものではない。社会から頂いたものと考えている。私は1万円をどう使うかは身についているが、大金をどう使うかは身についていない。1万円あれば2回飲みに行ける。競馬でいうと万馬券である。テニススクールの3レッスンは受講できる。好きなアーティストのライブ観戦ができる。私が属している世界はそのような世界だ。今ある生活ができるのもアベノミクスのおかげである。

日本銀行の黒田総裁が来年4月で任期満了となる。黒田総裁は決してぶれなかったように見える。金融政策の細かいところや理論は私にはわからないが、退官したら、白川元総裁のように本を書いてもらえたらいいなと思う。私は興味があることはわかろうとする努力する姿勢は常に持っていたいと思う。

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