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【映画所感】 サバカン SABAKAN

小学5年生ふたり、ひと夏の冒険。

1980年代後半の長崎を舞台に、少年ふたりは自転車を漕ぎ、山を登り、海を渡る。それは「イルカを見に行く」目的を果たすため。

少年たちを取り巻く環境や個性豊かな面々が、物語にリアリティを与え、ノスタルジーを掻き立てる。親、兄弟、クラスメイト、先生、旅の途中で出会う人々など。キャスティングの妙が、昭和末期の田舎の夏に観客をトリップさせてくれる。

ジャンル映画として、ジュブナイルものが好きならば、刺さること必至。とくに40代後半のおっさんならば悶絶、滂沱の涙が止まらない。

この映画、何がすごいって、さりげなく「ヤングケアラー」の問題も盛り込んでいるところ。そんな言葉が生まれるずっと前から、たくましく生きてきた子どもたち。今更ながら気付かされたし、思い出された。

自分の中でのジュブナイル体験といえば、1981年に開催された「神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア’81)」が真っ先に思い浮かぶ。

友達数人と、大阪から神戸までを自転車で往復した。当時中学生、事前の計画などはまったくなく、その日集まって「何する?」となったとき、急に神戸行きが決定したのだ。

関西圏では当時、ゴダイゴが歌うキャンペーンソング『ポートピア』が繰り返しテレビから流れ、「大阪万博」以来の大型イベントへの期待が否が応でも高まっていた。

タケカワユキヒデの美声は、80年代のテレビっ子たちを神戸に向かわせるだけの魔力を持ち合わせていたのだろう。

片道40数キロ、往復だと90キロにも及ぶ自転車旅。季節は夏だったはず。

大阪と兵庫の県境あたりまでは、お互い軽口を叩きながら、軽快に自転車を飛ばしていた。しかし、そこから先は前人未到。誰も走ったことのない距離だ。

次第に口数も減り、ついには誰も喋らなくなった。大阪を出てから何時間かかったのか、今では記憶の彼方だが、誰ひとり事故に遭うことなく、病気も怪我もせずに進んだ。ひたすら進んだ。

パンクなど自転車のトラブルに見舞われることもなく、無事、“ポートピア’81”の入場ゲートに到着。

で、全員で入場券を買って博覧会を満喫したかというと、そうではなかった。にわかには信じがたいだろうが、ジュース代以外誰ひとりとしてお金を持ってはいなかった。

それもそのはず、集合した段階では、こんなところまで自転車で来るとは思ってもいなかったのだから。「童貞パワー恐るべし」としか言いようがない。

会場について、自販機で各々飲み物を買い、そのまま帰路に就くと行った強行スケジュール。夕暮れの中、通ってきた道をまたもどっていくだけ。

多分、“ポートピア’81”の中身には、誰も興味はなかった。ただ自転車でどこまで行けるのか、自分の体力がどこまでつづくのかが知りたかっただけ。

“小さな冒険”をやり遂げた達成感は、自分の想像をはるかに凌駕していた。高揚感なるものを身を持って初めて経験した瞬間。

自宅に帰ってきたときには完全に日は沈み、夕飯の時間も大幅に過ぎていた。親からは少し注意を受けただけで、それほど叱られることはなかったように思う。

この日を境に、思春期から大人への準備がはじまったのかもしれない。

『サバカン SABAKAN』は、40年以上前の自分自身を邂逅するきっかけを与えてくれた。ただただ、“ありがとう”

14歳の自分には、「よくやった!」と言ってやりたい。

現在の自分には……掛ける言葉すら見つからない。

「何やってんだよ!」






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