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【映画所感】 神は見返りを求める ※ネタバレ注意

迷惑系?ユーチューバーによる衝撃的なシーンの実況から、本編は幕を開ける。センセーショナルな映像は、最後の最後に鳩尾のあたりを的確にヒットするにちがいない。

見事な伏線回収…というよりは、しっかりとしたネタフリからのオチ

これぞ、映画における“フリオチ”の完成形。

昨年公開された『空白』で、大なり小なり誰もが持つ攻撃的な部分=責任の矛先を他者に転嫁することで、自分の置かれた立場を楽にする術を、余すところなく提示してみせた吉田恵輔監督。

本作『神は見返りを求める』でも監督は、人間の深層心理の薄皮を一枚ずつ剥いでいく。過度な承認欲求や、成功願望・失敗恐怖の連続を、動画共有プラットフォーム「YouTube」を舞台に、あくまでわかりやすく紹介してみせる。

スクリーンの向こう側から、誰もが抱える知られたくない心の闇を見透かしてくるようで、正直怖かった。

怖いといえば、川合優里(岸井ゆきの)の豹変ぶりや、それに対する田母神尚樹(ムロツヨシ)の回答。

ギリギリのところで保っていた理性が決壊してからの復讐劇は、まさに常軌を逸するもの。しかし、壊れた田母神を応援している自分がいたのも事実。ムロツヨシ、面目躍如の演技といって差し支えない。

だがそんな二人を軽く一蹴、別次元の恐怖を炸裂させていたのは、田母神が勤めるイベント会社の後輩、梅川葉(若葉竜也)。“他人の不幸は蜜の味”を地で行く狡猾な策士だ。

疑心暗鬼に陥る田母神と、束の間の成功に酔いしれる優里に、不安の種を無邪気に植え付ける梅川。

「いちばん酷いのは、こいつだ!」

善人を装うクズに罪悪感など微塵もない。“生来の悪”は反省などとは無縁。 観る者すべてにそう思わせる若葉竜也は、激賞に値する。

それにしても2005年に設立された「YouTube」というサービス、とんでもないスピードで世界を席巻したことは、いまだ記憶に新しい。

生まれながらにしてインターネットの恩恵を受け、デジタルネイティブとも呼ばれる“Z世代”はさておき、その前の世代における「YouTube」登場の衝撃といったら、まさに驚天動地。

“X世代”ど真ん中の自分などは、信じてきた価値観の底が突然抜け落ち、すぐさま舗装し直されたような感覚だった。

それもそのはず、FM放送をこまめにエアチェックし、自分なりのお気に入りをカセットテープにまとめていた中学時代。ほどなくして、アメリカからMTVなる画期的なプログラムが上陸。

同時期、我が家にもビデオデッキがやってきたことが契機となり、ラジオのエアチェックから、テレビで放映されるプロモーションビデオをひたすら録画していくことに、心血は注がれていった。

よりハードでヘヴィな音を追い求め、粒立ちがそろい、美しく歪んだギターの響きにうっとりしていた高校時代。

朝日放送ABC『ヤングプラザ』におけるデビュー間もないラウドネスのライブパフォーマンスをしっかり録画。その後テープがガビガビになるまで繰り返し視聴した思い出。

小林克也がMCを務める『ベストヒットUSA』でのグラハム・ボネットのインタビューからのアルカトラスのデビューシングル『Island In The Sun』。そして『Hiroshima Mon Amour』での悪魔的なフィンガリングに心奪われたこと。 

ヴァン・ヘイレンがトリを飾った『USフェスティバル’83』のヘヴィメタル・デー。オジー・オズボーンの新たな相棒、ジェイク・E・リーの容姿に勝手な思い入れを抱き、なんだか誇らしかったこと。

1985年7月、フジテレビが独占放送した『ライヴ・エイド』。フィル・コリンズがドラムを叩き、レッド・ツェッペリン一夜限りの再結成。夜どうしテレビの前でリモコン片手に正座する。

当然、クイーンの伝説となったパフォーマンスなど、もはや説明不要の領域。この目にしっかりと焼き付けた。

120分のビデオテープを3倍録画で、20数本。自分の音楽史が詰まった宝物だった。少なくとも「YouTube」が誕生するまでは。

上記の名人たちによる名演、今やどれも「YouTube」上にアップされ、いつでもどこでもアクセス可能。

自分のビデオライブラリー制作が、徒労だったとは思わない。洋楽・邦楽問わず、ロックに関する知識は確実に増えたのだから。

ただ、タイムマシンがあったなら、高校時代の自分に向かって、「編集作業はほどほどに、受験勉強にもう少し時間を費やせ」と言ってやりたい。

「寝食をわすれて今やっている作業は、21世紀初頭に“知の集合体”に取って代わられるのだ」と教えてやりたい。

簡単に世界中に発表、発信できる場は、クリエイターにとっては、夢のようなシチュエーション。だからこそ、ふるいにかけられ、埋没していく人間の数も半端ではなくなる。

既存のメディアでは、決して公にされなかった死屍累々のクリエイターもどきたち。「YouTube」の残酷性は、フィルターを通さず彼らを白日のもとに容赦なく晒しつづけることだ。

コンテンツの海は、やがて“共感性羞恥”をともなう混沌をもたらし、アートの世界はエゴイスティックに侵食されていく。

「だから、おもしろい」











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