見出し画像

胸をえぐられるようなメキシコ映画 Chicualotes(チクアロテス)

今年に入って、毎週映画を見続けて、はや43本目。その43本がChicualotes。気になってたが、映画館で見れなかったこの映画が、Netflixで観れるようになってるじゃないかということで観てみました。しかも監督はあのガエルガルシアベルナル…。期待です。


映画の感想を一言で言うと、救いようがない現実。妙にリアルで、まだこんなことあるん?って言う嘘のような実話。メキシコに3年住んでいても、正直ここまではわからない、なぜなら基本的に我々外国人には見ることのできない、生々しい庶民のリアルだから。

とりあえず日本語のトレーラーないけど、映像だけでも。

メキシコ知ってる人は、冒頭のバスの雰囲気とか、懐かしんじゃないですかね。たまにバス乗ってると、こんなピエロの格好した若者が乗ってきて、小芝居みたいなして小銭稼ぎをしたりしてます。これは本当。ただ強盗は怖いですよね、こんな感じで…。

あらすじ

はい、ざっくりあらすじを説明すると

メキシコシティ近くのサン・グレゴリオ・アトラプルコという村(ソチミルコあたりです)の2人の貧乏な若者「Cagalera(カガレラ」と 「Moloteco(モロテコ)」が主人公。2人はバスでピエロの格好をして日銭を稼いでました。実際のところ、あまりお金を稼ぐことができず、2人はたまたま乗っていたバスで強盗をすることになります。
そこから、2人は小さな犯罪を重ねていき、ゆくゆくは電工組合のプラサ(スペイン語で広場、ショッピングモールのような施設のこと)を買うことを夢見て、お金をためていくことにしました。しかし、とある時から、今の現状に憤りを感じるようになり、彼らがいる村を出て、人生を変えるためにも、まとまったお金を得るための手段として、誘拐を実行することにしたのです。(Wikipedia参照)

※ソチミルコは「人形島」で有名な観光スポット。

ストーリーはなんてことない、普通の犯罪モノかと思いきや、そんじゃそこらのハリウッドの同じ系統のものとは違い、リアルすぎる。隣の角を曲がったら、そんな人いそうな、そんな感じ。

いうならば、メキシコ版「ジョーカー」であり、「パラサイト」。ただ、もう少し現実味を帯びている。メキシコ人に言わせると、「ありふれた現実」ということ。(だからこそ、あんまり見たくなかったと言っていた。)

困窮した底辺の生活で、さらに主人公の父親はDVでアル中。かたやもう一人の主人公の家はトタン屋根でてきた簡易的な家。彼らの仕事はピエロの格好をして、笑劇を公共交通機関でやって、日銭を稼ぐ。

自分の知り合いではいないが、こういう人はいる。フェミニズム運動が盛んなように男性から女性への暴力もまだ存在する。見たことはないが、容易に想像できる世界。


見所

画像1

特にネタバレする気もないので、単に自分がいいと思ったところを紹介します。
日本語字幕版も出たらいいな。

①全くスポットライトが当たらない

『ジョーカー』のように主人公二人の生活は悲惨。でもその中でも楽しみを見出そうとし、小さな犯罪を犯しながら、絶望になることなく生きている。

きっかけは、主人公カガデラの父親が真夜中に母親に暴力を振るっているシーン。その場面を見てしまったカガデラは彼女に「この村を出よう」と唆し、その資金集めのために、誘拐をしようと決める。(もちろん彼女は知らない。)

もう一人の主人公モロテコはあんまり乗り気でなく、軽犯罪だけで留めていたら、よかったのにーと我々視聴者は思うかもしれない。
でもこうした貧困と悲惨な家庭環境から彼をそうさせたと考えられる。


誘拐のターゲットは、完全なる思いつきだが、たまたま毎晩のように、親にビールを買いに行かされている小さな男の子。そしてその男の子の親は村の大地主格の肉屋の店主。

肉屋の店主にカガデラの家で隠し持っていた(実際に母親のもの)拳銃を取り上げられ、取り返したいという気持ちもあったんだと思う。

そんなこんなでいつものように売店でビールを買おうとした男の子を誘拐し、計画スタート。


②今でも残る村の風習

誘拐のオチだけ言うと、結局男の子を解放する事になります。

ここからが映画のクライマックスです。

小さな村なので、その肉屋は殺し屋を雇って、誘拐犯探しを大々的に始めます。(マフィアみたいな強面の男たちが出てくるけど、特に描写なし)

肉屋の息子が発見された次の日、村の人間全員を教会広場に集め、息子に誰が誘拐犯だ、と言うことを発表させるということをしようとします。(息子は誘拐犯の顔がわかるので、名指しで処刑してやろうということです)

もちろん主人公たちも殺し屋に見つかり、教会広場に行く羽目になります。

ここからオチになるので書きませんが、ここで言いたいのは、今でも村八分が存在するということ。住民たちも、誘拐していないのに、疑われて、広場に集めさせられているもんだから、早く犯人を見つけろ!誰が犯人だ!とカッカしている状態です。さらには鉈など刃物を持参しているため、その光景はおぞましいですよね。

つまり、犯人がわかればその場で公開処刑

メキシコ人に言わせると、今でも小さい村で残っている風習とのこと。


③込み上げてくる怒り

見ている私たちも、意味がわからない怒りが込み上げてきます。

社会的大きなスコープで見ると、貧困、性の多様性、教育格差という問題。

小さなスコープで見ると、家庭内暴力、アルコール中毒、男尊女卑。

問題が随所に現れているわけですが、それに対する解決策が犯罪や卑劣な行為であったりします。要は問題の根が深すぎて、解決が難しいんですね。

このスケールの中に暮らしていない私たちには、解決策を出すのは簡単だったりします。例えば、家庭内暴力があるなら、さっさと離婚して〜とか、盗みをするなら、どこかアルバイトで働けとか、教育格差があるなら勉強しろとか。私は家庭内暴力も、盗みをしようと思ったりも幸いながらないですし、当事者じゃないと、解決できない問題だということがわかります。

しかし、映画の中では、自分たちが抱えている問題をなんとかして解決しようと試みていきます。

例えば、貧困を抜け出したい→お金を手に入れる→誘拐しよう とか。

こういうアプローチが続いていくんですけど、全く良い方向には行かない。それを私たちが第3者として見物すれば、どこからわからないけど、込み上げてくるものがあります。怒りというか憤りというか

この映画ではそんな感情が訳もなく湧き出てきます。(私は少なくとも、行き場のない怒りが込み上げてきました)





タイトルの意味

最後にタイトルの意味について。
スペイン語でも実際私はよくわかりませんでした。チクワ?みたいな。

脚本家メンドサさんのインタビュー記事によるとこう定義されていました。

チクアロテスの意味には2つある。
このサン・グレゴリオ地区で栽培されているチリの名前がチクアロテ。
またナワトル語で6という意味。この辺の地区では5本以上の指で生まれてくる人が多いことから、チクアロテという言葉が使われている。

そのため、ソチミルコ地区の村々ではサン・グレゴリオ村について、チクアロテスと実際にも呼ばれています。

また、実際の村はこんな感じ。のどか。


以上、映画レビューでした。メキシコ映画について、ちゃんとレビューしたの初めてだけど、この作品が日本でも上映されたら良いなと思ってます。
テーマとしては書いたとおりヘビーですが、単純に明るい場面もあります。極端だけど、こんな感じで明るく単純に考えたら良いんだと思わせてくれます。

そして、コロナウイルスが落ち着いたら、また誰かがメキシコ遊びに来てくれるのを願ってます、単に私はメキシコシティコテコテツアーをしたいだけなんですけどね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?