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[一口キロク]せっかくから生まれた偶然

西加奈子さんの小説『通天閣』の中でこんな一節があった。

俺は「せっかくの」に始まる貧乏臭い感傷は嫌いだ。

私は今でもその言葉が忘れられない。ふと「せっかく」と思う時に『通天閣』の「俺」を思い出す。

「せっかくだし…」と思って行動したことは、本来の目的から逸れていることをしてしまうかもしれない。

目的以外のことをしてしまうと、いいパフォーマンスが出なかったり、期待する結果を得ることができないかもしれない。


でも、よく考えたら「せっかくだし…」で行動したことの結果に恩恵を受けることがよくある。

・・・

最近、地元の大阪に帰った。同僚と梅田で昼ごはんを食べた後、時間を持て余していたので、1年半ちょっと働いた大阪の本町あたりを、ぶらりしたくなった。
なぜなら「せっかく大阪に来たんだから」。

優先順位は全然高くない。その時間を使って誰かと約束して会えばいいのに。
わたしは、あえて空白を作っておくことが好き。

本音を言うと、事前に何かを決めて約束しておくことが、たまに窮屈に思える。



本町から心斎橋の方に向かって南に歩く。難波神社を背にして、角にあるのは古本屋兼コーヒースタンド。

仕事終わりにここに立ち寄って、コーヒーを飲んで帰ることが好きだった。せっかく大阪にいるんだから、過去だってなぞりたい。

店主と久々ですねと話していると、店主の視線がわたしの背後に。振り向いたら、友だちがいた。

5年前に、メキシコに移住する前に、ここで意気投合した友だちだった。彼もいつも一人で来ていた。いつもかっこいい哲学とファッションを身に纏っている彼。

「待ち合わせしてたの?」と店主。

そんなことはない。


ドトールの紙袋からワッフルを出してくれた友だちは、「せっかくだからコーヒーでも」と。
店主が入れてくれるエスプレッソは最高だ。エスプレッソだけは砂糖を入れるけど、入れなかった。


しばらく店のベンチで話していたら、「スペイン語話せるの?」とスペイン人の人から声をかけられる。「偶然」彼らは、スペイン語を話す日本人と出会ったのだ。


「せっかく」「偶然に」久々に会えたのだから、わたしの入用に付き合ってもらった。堀江町あたりをぶらぶら。「女性の服屋さんだから入れないんだよね」と彼が言う。「せっかくだし入ろう」とわたし。


偶然に身を委ねると、行き先のないたんぽぽの綿毛みたいにふわふわどこまでも飛べる。着地したところが案外良かったりする。

目的を持つことに意味があるのかな、とふと考えたくなった良きゴールデンウィーク。




サムネイルの写真は1年前に住んでいたメキシコの街で偶然見かけた花屋さん。移動する。
こんなのが軒先に来たら、庭作りが楽しくて仕方がない。

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