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70年代、アメリカン・フォーク・ロックの憂鬱‼

米国が64年8月、ベトナム「トンキン湾」事件を切っ掛けに軍事介入してから戦況が泥沼化し、米国本国では大義を見出せないまま若者の戦死者の数が日増しに増えていく状況でした。当然、若者の間では厭世気分が広がり、社会からドロップアウトしてヒッピーになったり、ドラッグで兵役を免れたりと、希望を持てない若者の心を代弁するような反戦フォークが流行っていた時期でした。この頃の私は、小学生だったので時折ニュースで戦況を部分的に知る程度でした。そして私が13歳になって、中2の春先から本格的に洋楽を聴くようになり、このフォークロックも耳に入ってきました。当然、日本のフォークとは似て非なるモノでした。当時流行っていた井上陽水、かぐや姫、吉田拓郎等が歌う世界観には共感が持てなかったので、スルーしていました。まだ中2の小僧には早すぎたのです。今になって、歌とは時代を映す鏡だとしみじみ思います。

まず最初に紹介するのは、フォーク・シンガーのJoan Baez(ジョーン・バエズ)です。彼女の清らかな歌声が、戦争の不条理さと悲しみを際立たせています。紹介する曲は、日本語にも訳されて、ザ・ピーナッツ、デュークエイセス、忌野清志郎などにカバーされています。
曲は「Joan Baez-Where have all the flowers gone?(花はどこへ行った?)」

次に紹介するのは、ノーベル文学賞まで取ってしまったフォークの神様Bob Dylan(ボブ・ディラン)です。当時は、聴きこんだ記憶はないですが、今聞き返せば、歌詞の重さが伝わってくる名曲です。この曲は、多くのシンガーにカバーされ歌い継がれています。
曲は「Bob Dylan - Knockin' on Heaven's Door(天国への扉)」

次に紹介するのがNeil Young(ニール・ヤング)です。ギターとハーモニカというスタイルが、まさにフォークの原点という感じです。歌は、心を探す旅に出ようという、名曲「孤独の旅路」です。
曲は「Neil Young - Heart of Gold(孤独の旅路)」

次に紹介するのはCCR(クリアデンス・クリアウォーター・リバイバル)「雨を見たかい」です。この曲は発表当時、即放送禁止になるという事件が起きていました。歌詞の雨は「爆弾」を暗喩してると誤解されていたのです。それだけ米政府も、世の中の反戦気分に苛立ちを覚えていました。後年、作者は単なる誤解であったと述べています。また、当時ベトナム戦争に出兵していた兵士の平均年齢は、なんと「19歳」でした。
曲は「Creedence Clearwater Revival - Have You Ever Seen The Rain(雨を見たかい)」

更に紹介を続けます。次はBread(ブレッド)です。彼らの優しい歌声は、本当に癒されます。曲も大切な人を思う気持ちが歌いこまれています。
曲は「Bread‐If」

そして、最後はこの人に締めてもらいます。John Lennon(ジョン・レノン)です。ビートルズ解散の原因を作ったのがオノ・ヨーコだと当時は批判に晒されていましたが、間違いなくジョンはヨーコと出会って、心の「在り方」がレベルアップしてしまい、ポールとの考え方に溝が出来てしまった。正直ポールはジョンのレベルまで精神が追いつけないでいた。これが真相だと思っています。個人的な愛を歌うポールと愛で平和にすると歌うジョンの差は埋めようもありません。解散は必然でした。
曲は「John Lennon-Give Peace A Chance(平和を我等に)」

ざっと米国のフォーク史を紐解いてみましたが、平和を当たり前のように感じている日本人の「平和ボケ」というフレーズが身につまされます。来年2025年は、ジョンが亡くなって45年、そして戦後80年の節目の年でもあります。世界を見渡すと、いまだに戦争の悲惨な様子がニュースで飛び交っています。人類は進歩しているのか?過去の経験を活かせない政治家の無能さに呆れてしまいますが、戦争が無くならない原因はどこにあるのか?どんなに平和を願ってデモで訴えても無くならない現実があります。この素朴な疑問に答えない専門家と称する人たちは、いったい何を隠しているのか?
世の中、どんなに不景気になったり不況になったりしても、不景気で武器製造会社が倒産という話しを聞いた事がありません。もうお分かりですね⁉常に需要が必要な戦争の火種が創り続けられている事に!この世に戦争ビジネスが無くならない限り、真の平和はありません!
書いてる内に、この人の歌も聴きたくなりました。今は無き、忌野清志郎が歌う『イマジン』です。

それでは、この辺で…

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