わたしの愛着障害

 10代の頃から不安定な恋愛を繰り返していた。喧嘩ばかりしたり、別れて復縁するのを繰り返したり、一方的に別れを告げたり。友人やフォロワーにも「お前何回復縁してるんだよ」と引かれるぐらいだった。
 孤独感が人一倍強いので恋愛するのだが、恋愛において距離が近くなると距離を置いたり、別れたくなってしまう。こういう矛盾した愛着スタイルを「恐れ・回避型」というらしい。愛着障害についての書籍が最近多いが、もっと早く研究が進んで欲しかった。自分の人生において、女性関係で消耗することが多かった。

 幼少期のトラウマに由来することが多いらしいが、僕の場合は保育園の園長から虐待を受けていたこと、母親が異様に過保護だったこと、父親が育児に全く参加しなかったことなどが思い当たる。フラッシュバックと言えるのか分からないが、園長からの扱いは未だに鮮明に記憶されているので、それが一番の原因だと思う。
 
 愛着障害の人とばかり関わりがある。友人もそう。不安定な恋愛を繰り返している。Mという友人は愛着障害に特化したオンラインカウンセリングを受けることでかなり改善したと報告してきた。

 とにかく人が怖くて、ずっとびくびくしながら生きていた。最近は瞑想を覚えて前より格段にリラックスして生きられているが、それでも人間に対する不信感が拭えない。ASDも引きこもりの原因だと思うが、強い人間不信も自分が引きこもっていることの原因であると思う。人そのものが怖いし、人から拒否されることが本当に怖い。このブログにもたまに中傷が来るのだが、それだけで死にたくなる。

 愛着障害を改善するには、親や恋人に「安全基地」になってもらうのがいいらしいが、母親は他界したし、父親はそういう人ではないので、親に安全基地を望むのは厳しそうだ。だから恋人に安全基地を求めていたのだろうけれど、愛着障害を持ってる人同士惹かれやすいから関係は不安定なままだった。

 カウンセリングが良い気がするが、そもそも人が怖いので人と話したくない。安全基地を作るのは厳しそうなので、孤独に生きていく方法を探っていきたい。そもそも仏教を始めたのも孤独に耐えられるようになるためというのが大きかった。

 「過去のせいにすること」に対して強い反発心があったが、過去が原因で脳がイカれてしまったというのは確実にあると思う。瞑想をしていて、園長や親への強い憎悪が湧いてくることもある。
 ただ「引き受ける」しかないとも思う。信仰やら瞑想やらで解決できないもんなのだろうか。孤独への耐性は確実に前より増えた。

 人が怖い!頑張ろう

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