役に立つ幸福論 

 昔読んだ仏教の本を読み返していたら「役に立ちますか?」という文言があって、印象に残った。
 「嫌な気分よさようなら」と言う本にも似たようなエピソードがあった気がする。息子のことが心配でたまらない母親が、認知行動療法を受けに来るんだけれど、先生は「心配していることで、何か役に立ちますか?」と聞くと、何かしらの気づきを得た母親は、すっかり心配がなくなる。

 今日は精神科だった。精神科の前の日は毎回少し鬱になるんだけれど、鬱になっても役に立たないから次の日のことを考えるのはやめた。

 「あ、ほんとだ」というアハ体験がないとダメな気がする。10代の頃、病気の再発が不安でしんどかった時、「なんで不安がやめられないんだろう」と考えていた。
 「思考」というのは自分が「している」と思っているが、実は「させられて」いる。ドゥルーズが、思考は受動態だ、みたいなことを言っていたが、瞑想なしにこの洞察をするのは凄いと思う。

 内山興正は、「思いは脳の分泌物」と言っている。胃液や胆汁が自分でコントロールできないように、「思い」も自分でコントロールすることができない。ただ、胃腸をメンテナンスできるように、脳=心もメンテナンスすることができる。同じ悩みをぐるぐる抱えている人や、悩み事が多い人は、いわゆる便秘のような状態だと思う。瞑想、坐禅をしていると、お通じがよくなる。

 「役に立ちますか?」と自問しても心が便秘の人は、思いがひっついてとれないかもしれないが、ある程度修行すると役に立たない思いは捨てることができる。そうじゃなくても「納得」をすれば、消える可能性も十分にあると思う。釈迦の存命している時は瞑想なしの「納得」だけで解脱した人も多くいたらしいし、ゾフィーというお笑いコンビの上田という人が「怒らないこと」という本を読んで、納得したので本当にほとんど怒らなくなったと言っていた。

 異性を憎むことって精神の安寧に役に立つだろうか?将来の不安って何か役に立つだろうか?

 人間は動物なので、合理的に考えられない。理性よりも感情が強いという証拠がたくさんある。が、一度「役に立たない」と思ったものは捨てるぐらいの理性はある。昔は新品の本が時分の手で汚れると凄い病んでたんだけれど、役に立たないので悩まなくなった。

 人間なので、理性的、合理的に生きたほうがいいと僕は思う。「これを悩むことで何か俺に得があるのか?」と自問するのはいい方法だと思う

勉強したいのでお願いします