神様と一緒に住みたい⓪
20歳の夏に、フィジーに行った。
現地で「神の住む島」といわれているマナ島は、本当に美しかった。
私は心の中で、いつでもマナ島の海に行くことができる。
今回の記事は、大学3年の夏、20歳でフィジーに行った旅行記だ。
かなり細かく思い出して書いているので、めちゃくちゃ長くなることが予想される。
しかも今回の記事は、フィジーに降り立つまでの経緯を細かく書いているため、①ではなく⓪にしてみた。
せっかく読んでいただけるのなら、旅行気分を存分に味わってほしいと思う。
私が初めて海外に行ったのは、20歳になりたての冬。祖父母が昔住んでいたタイのバンコクに、親族で行った。
私は当時、「日本最高!一生日本から出えへん!」と思っていたので、タイに行く話が出た時には猛反対したのだが、結局半ば強制的に連れて行かれた。
今思うと、あの時無理矢理連れて行ってくれてマジありがとう!という感じだ。
行ってみるとタイは最高に楽しく、私はめちゃくちゃエンジョイして、「海外最高やわ!!」と言いながら帰国した。
(今ではどっぷり東南アジアが好き♡)
その話をした幼馴染の女の子が興味を持ってくれたので、大学の夏休みに一緒に海外旅行しよう!ということになったのだった。
実は私、行くことになるまでフィジーという国について全く知らなかった。
幼馴染が「フィジーに行きたい!」と言った時に、(どこ…?)と思ったのだが、一応海外に行ったことがあるパイセンぶっていたので、「いいやん!行こう!」と返し、目的地がフィジーに決定したのだった。
フィジーは、オーストラリアのかなり右斜め上にある、ニューカレドニアやバヌアツよりももっと東、日付変更線にかなり近い国だ。
年間を通して常夏。
紫外線は日本の8倍と言われている。
まさに、南国のリゾート地。
ちなみに、フィジーは7人制ラグビーがめっちゃ強い。2016年、2021年ともにオリンピックで金メダルを取っている。
そんなフィジー旅行に向けて、幼馴染と計画を立て始めた。
タイ旅行ではプランの全てを親戚が立ててくれて、私は基本着いていくだけだった。
全く旅行計画を立て慣れていない私。
しかも、幼馴染は初海外だった。
フィジーは日本ではそこまでメジャーな旅行先ではない。当時は直行便もなかったし。
個人旅行は難しいと判断して、私達は旅程のほとんどを旅行会社に任せることにした。
航空券+ホテル+観光ツアーが付いて、確か10万円ぐらいだったはず。
ちなみに今は知らないが、当時フィジーのWi-Fiの料金は鬼のように高かった。
なので、Wi-Fi契約はせず、携帯の電波は常に機内モードで旅行することとなった。
携帯はほぼ写真機能のためだけ。
絶対に別行動はせず、ガイドさんから離れないようにしよう!とその子と固く誓ったのだった。
ツアーが決定した後は、追加のオプショナルツアーをどれにしよう?とか、紫外線が8倍ならラッシュガード買わないと!とか、色んな打ち合わせのために、私達は何度も集合して、準備を進めた。
この準備もまた楽しかった。
今では海外旅行慣れしたので、旅行の準備だけでここまで時間をかけることはない。
でも当時は右も左もわからないので、あれ必要かな?これはいらないかな?と何度も調べて、フィジーの空は日本の夏空と違うのかな?どんな色の魚がいるのかな?とか、二人で想像して、遠い国に想いを馳せた。
そして、旅が始まった。
お昼の12時頃に関空発の大韓航空に乗り、まずは経由地である韓国の仁川(インチョン)空港に、あっという間に到着した。
仁川からフィジーのナンディ国際空港への便は19時頃発だった。
今なら絶対に、この時間を使ってトランジットツアーに参加するだろう。
しかし、当時は空港内とはいえど、韓国に降り立ったというだけでテンション上げ上げだった。
幼馴染にとっては、初めて降り立った外国の地が韓国だった。(空港内やけど)
空港内にカンフーパンダがいた。
目がギョロッとしていた。
そんなこんなで、めちゃ大きい仁川空港の端から端まで歩き尽くし、無料のシャワーを利用するなどして、私達は空港での時間を過ごした。
そして無事に仁川発、ナンディ行きの便に搭乗したのだった。
搭乗して驚いたのは、日本語が急激に減ったことだった。
私が今まで乗った飛行機、
日本⇄タイと日本⇄韓国では、
絶対に日本語の案内があった。
それに、仁川空港にもたくさんの日本語案内があった。
しかし、韓国⇄フィジーの便には日本語での機内アナウンスはないし、日本語でのガイドもなかった。
もし、飛行機が墜落したり、危ない状況になったらどうしよ!なんて地味に心配したことをよく覚えている。
ちなみに私達、そんなに英語が流暢なわけではありませんでした。
酒好きな幼馴染は、機内でワインを飲めることにテンションが上がっていた。
しかし、20歳の童顔な女子大生二人は、海外的にはお子ちゃまに見えたんだろう。
幼馴染がワインを頼んだ時に、CAさんに「ええ?ホンマに飲めるん?」みたいな顔をされたのを覚えている。
あと、何故か、通るたびに手を振ってくれるおじさんのCAさんがいた。
お菓子もくれたし。
完全に子どもだと思われていたのだろう。
夕食も終わり、機内は消灯時間に。
機内泊の醍醐味は、窓から見える星空だろう。
雲より上を飛んでいる飛行機から見える空は、信じられないぐらいに星でいっぱいだ。
機内泊をする度に写真に収めようとするのだが、一度として上手く撮れたことはない。
日本の地上からは絶対に見えないぐらいの、一面に広がる星の光。
真っ暗い夜空の海に、無数に泳ぐ星の魚達。
機内泊では大抵寝れないのだけど、それでもあの星空が見られるなら構わないと、私は海外旅行の際には機内泊をよく使う。
また、あの星空を見たいな。
そして、朝になり、着陸時間が迫ってきた。
入国申請書が配られ、必要事項を記載していく。
ツアー案内でもらったガイドに入国許可証の書き方が書いてあったので、それを参考にした。
そんな時に、近くの席の日本人の男性に声をかけられた。
許可証の書き方がわからないということで、書き方のガイドを貸したことがきっかけで、その男性と私達はちょっとお話することになった。
私はかねてより、海外旅行はカップルで行くより、友達と行く方が楽しい説を唱えている。
それを初めて感じたのがこの時だった。
その男性は彼女さんと一緒に来ていた。
しかし、男性が声をかけてくれたことで、私達2人と男性とのトークが始まった。
フィジーのどこに行くんですか?とかツアー行きますか?とか。
しかし、彼女さんの機嫌が悪くなってしまい、男性はそっと席に戻った。
海外旅行の醍醐味は、現地の人とのコミュニケーションはもちろん、日本人との関わりもあったりする。
しかしカップルの場合、恋人が異性と楽しくお話していたら、いい気分はしないだろう。
この彼女さんの気持ちはよくわかる。
そんなこんなで、無事にナンディ国際空港に着いたのだが、めちゃくちゃ怖かった。
まず、空港が大きくなかった。
私がそれまでに見た、関空や仁川、タイのスワンナプール空港はめっちゃ大きかった。
空港=大きいというイメージがあったため、
ここは本当に空港なのか?という変な疑問を抱いたりした。
ナンディ空港で働いているファジー人の男性達は、めちゃくちゃガタイがよく、威圧感がすごかった。
パスポートを見せる時に、英語で何かを聞かれたのに、全く聞き取れなかった…。
とりあえず、「sightseeing(観光)」と答えてみたら、はあ?みたいな顔をされて、更に怖かった。
こんな状況で大丈夫なのだろうか…?
そんなことを思いながら空港を出た私達は、まず一つ目のツアーに参加すべく、スーツケースを引きずりながら、ツアーガイドさんを探したのだった。
今回はここまでです。
フィジー旅行記なのに、やっとフィジーに到着したところで1回目が終わった。
めっちゃ細かく書くや〜んって感じですね。
せっかくなので、思い出せることを全部書こうと思います。
恐らく、次の次までは続くと思います。
よかったらまた読んでみてください。
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