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「君は強い人だから」って、振られたりしたんでしょ?





ポルノグラフィティの「まほろば○△」という曲が、死ぬほど好きだ。








ポルノグラフィティのベストアルバム「PORNO GRAFFITTI BEST BLUE'S」
通称、赤リンゴ青リンゴ
ポルノの伝説のアルバムとして、一度は通ったことあるという人も多いだろうこのアルバム。

私が小学2年生の頃、母親がポルノグラフィティにどハマりした。
料理中も運転中も、母はあらゆる場面で赤リンゴと青リンゴを流し、度々私と姉をポルノのライブに連れて行ってくれた。

つまりは、ポルノの英才教育を受けて私は育ったわけだ。(この言い方だと語弊がありそうだが)

今でも母のポルノ愛は健在で、結局私は母の付き添いで、過去に20回ぐらいポルノのライブに行ったことがある。
最近だと、今年10月の「17th ライヴサーキット"続・ポルノグラフィティ"」大阪公演にも母と二人で行ってきた。





そんな母が家や車の中で流しまくっていて、自然と全ての曲の歌詞を覚えた、赤リンゴ青リンゴのアルバム。

青リンゴのラスト、13曲目に収録されている曲が「まほろば○△」である。
大人の一夜の恋を描いたセクシーな楽曲だ。


『だから見せつけて
透明の向こう側のシャワーシーン

大都会午前25時
帰れない、帰しはしないから』


小学生の私は、
「ラブホテルってお風呂場透けてるんや!」
とひどく驚いた。もちろん全てのラブホテルのお風呂場が透けてるわけではないが、何も知らない小学生からすれば、それは未知の空間だったのだ。

部屋は暗めで、窓からはネオンの光が差していて、シャワーを浴びる女性の身体のラインが見える…みたいな絵を妄想していた。


『もっと裸でタブーを泳ごう
知らない君の奥深くを
身体で分り合いましょう
声にならない声が今、何よりもお喋り』


サビの歌詞も非常にセクシーだ。
当時あまり意味はわかっていなかったが、とにかくエロい曲、という認識を持っていた。









時は流れて、22歳の頃。

新卒で就職した配属先が東京で、大阪生まれ大阪育ちの私は東京近郊で一人暮らしをしていた。

引っ越した当初は知り合いも少なくとにかく暇で、ひたすら音楽を聴いていた。その時に、この「まほろば○△」をよく聴いていた。

この頃の私はすでに、この「○△」の部分は「まるやま」と読み、それが渋谷のラブホテル街、円山町を指していることを知っていた。


『大夜会未明の渋谷
風のない、この坂の上』


2番サビ前の歌詞、昔は何のこっちゃよくわかっていなかったが、この坂が道玄坂を指すこと、道玄坂を登っていくと円山町があることも知っていた。

当時、道玄坂の脱毛サロンに通っていたため、「この坂を登れば、あの円山町があるのか」とよく思っていたものだ。

渋谷のバーとかクラブでその日初めて出会った人と、円山町のホテルでワンナイト…
都会ってすごいなあ、なんて思っていた。








そして、この曲の醍醐味はなんと言っても、2番サビの歌詞だと私は思っている。



『何故に身体と気持ちを競わす?
そういう自虐的な趣味なの?

無理に演じたりするから
「君は強い人だから」って
振られたりしたんでしょ?』



前半2行を私的にもっと噛み砕いて訳すと、
「なんで、本当にしたいことの逆のことをして、自分で自分を苦しめるの?Mなの?」
になる。
この「そういう自虐的な趣味なの?」という言葉のチョイス、そそりません?

あくまで私の個人的な訳だが、このサビは
「本当は素直に甘えたいんでしょ?」
と言ってるのだと思う。

過去の恋愛で、甘えすぎたり依存したりして、うまくいかなくて傷ついて、「恋愛に翻弄されない、自立した人間になる」って無理して強がって、でも「君は強い人だから」って逆に振られちゃって傷ついたんでしょ。
本当は甘えたいくせに。
みたいな。



そして、ラストサビで1番の歌詞がまた来る。


『もっと裸でタブーを泳ごう
知らない君の奥深くを
身体でわかりあいましょう
声にならない声が、なによりもお喋り』


1番のサビを聴いた時はただ「エロいな〜」と思うこの歌詞だが、2番サビを聴いた後ではちょっと精神的なイメージに変わる。

「もっと自由にしていいんだよ」
「隠している、君の核心部分を見せてよ」
「理性的な言葉はいらない」

ネットで「恋愛」と調べると、「自立した人間は恋愛がうまくいく!」みたいな記事が山程出てくる。

でも、「ちょっと抜けてる人の方がモテる」とか「隙がない人はモテない」とか、そんなことも書かれていて、じゃあどうすればいいねん!と思う。

いやいやそんなの気にしても仕方ないよ、と。
自分のしたいようにしなよ、と。

「裸の関係」というとエロティックに聞こえるが、「何でもさらけ出せる関係」と言えば、何だか素敵な関係に思えてくる。

「出会ったばかりの、名前も知らない人と一夜を共にする」そんな歌に思えるが、「ありのままの素の自分を出そうよ」と歌っている曲なんじゃないかと、私は思う。





そして、最後の歌詞。


『恋にならない恋が今
夜のしじまに消ゆ』


「声にならない声が今」とかかっている。
このワードセンスも素敵や〜!!!!!

結局、この歌詞に出てくる二人はその後付き合ったりもしないし、もう二度と会わないかもしれない、元の他人へと戻る。
それがまたいいよな〜と思う。

「絶対に自分のことを受け入れてくれる運命の人」なんて実際にはいなくて、他人に素の自分を出して、それだけで終わる関係でもいいんじゃない?

という、「ま、強がらずに、無理して恋しようともせずに、素直に生きなよ」な感じがいい。

私も見栄っ張りで、完璧主義だし、自立しているイメージを持たれることも多い。
過去に付き合った人に甘えすぎたこともあって、重くならないように強がっている節はある。

でも実際めんどくがりだし、だらしないし、
普通に重いし、できれば目一杯甘えたいのだ。

だからこそ、この歌詞に私はギクっとしたし、「強がらなくていいよ」と言われてる感じが心地よかった。






そしてまた同時に私は、
「年下の男の子に、こういうことを言われたい」
と思った。

私のこの歌詞のイメージは、キャリアウーマンっぽい女性が、若いくせに色々悟ってそうな年下の男の子に見透かされる感じで、それがまた私の性癖に刺さったのだ。

私は大の年下好きである。
もう大好物といってもいいぐらいに、年下男子が好きだ。





そのきっかけになったのが、一人暮らしを始めて少し経った頃に付き合い出した、3歳年下で当時19歳の男の子だった。

それこそ初めて出会ったのが渋谷で、ひとしきり飲み終えた後に、ヒカリエの最上階で夜景を見ながら抱きしめられたので、私は彼の頬を引っ叩いて帰ろうとした。

彼は必死に謝ってきた。
その時は知らなかったのだが、彼はそれまで結構遊んでいたタイプで、普通にその後彼の自宅に誘ううもりだったらしい。

その後なんやかんやあり、彼とは1年と少しの間付き合っていた。

その彼は思い返しても嫌な部分が多く、何で付き合ってたんや?と今では思うのだが、私の年下好きに火をつけたのは間違いない。

少年っぽさが大変可愛らしく、何でも許せてしまう気がしたのだ。




それから私は年下とばかり付き合っている。
そして最近26歳になり、キャリアウーマンでも何でもないが、今でも年下が好きだ。




そんな大好きな年下くんに、「君は強い人だからって、振られたりしたんでしょ?」なんて、そんなわかったような口を聞かれたら、たまらない。

「強がらなくていいよ、素直になりな」

って、年下の男の子に頭なんて撫でられた日には、もう私なんてイチコロですわ。



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