20191222 僕の瑕疵と弁疏と泣き言とあれそれ
大前提として僕に正義はない。それどころか僕は悪党で。きっと、最弱のヴィランに違いない。
僕はクリスマスとかいう行事が嫌いだ。クリスマスとかいうものは犬畜生に食わせた残飯が消化され、吸収され、濾されて変貌した糞尿だ。サンタクロースは僕に惨憺喰らわさんとしている。
聖夜に襲いくる迫撃の嵐に負けられないと、白旗振りながら仰向いて堪るかと、僕はファイティングポーズを崩すことができない。軍靴が踏み鳴らすリズムを聴け。もし、僕が死んでしまったのならば、聖者の行進を演奏して告別してくれ。亡者は後進するのみだ。法螺貝を吹く代わりに、僕はラジオのディスク・ジョッキー宜しく「Burnin’ X’mas (T.M.Revolution)」や「クリスマス・イブRap (KICK THE CAN CREW)」をスピーカーから垂れ流し、気分を高揚させる。世間を賑わすLust ChristmasからSAN値を守り切り、如何にして乗り切るかばかり気掛かって仕様がない。
灯りの点いた導火線を引き擦るアベックらは、淫猥のネオン輝く逆さ水母を寝床にせんとして、アペタイザーに繁華を彩るイルミネーションを求めるのだろう。日当うん円で木々やら何らかのオブジェやらに巻き付けられた過重労働のLEDを眺めながら、貧相な語彙で賛辞を送り、捏ねくり回した粘土くらいに一つになろうとするに違いない。ならば僕が頭から爪先までをカラフルなLEDで着飾れば褒めてくれるのだろうか。そこにあるのは我が闘争か。僕が暴れん坊のサンタクロースになって、お沙汰の前にやってくるのを首を洗って待っていてもらいたい。
そもそも、僕にクリスマスは向いていない。仏教徒であることは関係ない。今更になって、宗教的に、とかダサいことは言わない。江戸時代前には根付いていた文化を否定する余地はない。ただ、こちらに寄せる努力を怠ったクリスマス側にも問題があるやも知らない。「クリスマスが近いけれど、その辺りでどこか行こうか」なんて話題が上り、デートやなんやと予定を組めば僕は振られる。そういう星の下に生まれてしまったのだ。細木数子的には、僕は何星人なのだろう? 地獄への自由落下が始まっていることは確定しているのだけれども。あれやこれやをぎゃあぎゃあと喚いたところでそれはもう仕方がない。なす術もなく僕はこてんぱんに伸された。始まりがあるのだから、終わりは必然なのだ。どうってことはない、構いやしない。
僕の文章は間怠こい。既にアバンが冗長に過ぎる。以下に続く本旨も同様、乃至はそれ以上に。
例にも漏れず、今年も僕は年明けに向かって加速していた師走の中旬を目の前にして彼女(以降登場する彼女とは言うまでもなく全て『元・彼女』である)に振られた。堪えるものはあるが、僕にはどうしようもないのだ。僕は投函ポスト宜しく、僕宛てに送付される感謝や謝罪や弁疏や泣き声やあの子の苦しみを受け入れるしかなかった。それしかできなかった。
まるで僕が悲劇に見舞われたために、このような自己顕示甚だしい駄文を書き連ね、これを呼水に同情を食い散らかしてやろうと画策している風だが、事実は僕が加害者であり、不甲斐ない人間であったが故の結末であることをご承知いただきたい。しかし、僕が不貞を働いた訳ではないし、貞操帯の装着も視野に入れた程に一途だったという事実も、どうか併せてご理解いただきたい。
どんな不行跡よりも彼女を苦しめたのは、僕の身勝手を僕が僕のために許してきた過去だった。量産型凡夫とは一線を画す存在であろうとしていた。結果、そのコンパチでしかなかったのに。
僕は中堅私立大学在学中に健康優良不良少年の代表、学生バンドマンだった。当時の生活がただ楽しかっただけに、僕は大学卒業後も新卒の肩書きをかなぐり捨て、変わらない日々を求めた。数多のバンドマンが陥る特大の失策という轍を僕もなぞったのだ。今、僕にできることは同じ末路を辿る後輩が生まれないことを祈ることしかない。
周囲の人間より楽器の演奏が多少達者であったり、ノルマが達成するどころかバックが発生して黒字になったり、ライブ後に女性ファンに声を掛けられたり、二千人弱の前で堂々としたパフォーマンスをしたところで、所詮売れはしないのだ。そんなもの登竜門の前にも立ててはいない。仁和寺にある法師から一体何を学んだのか。売れるバンドはもう何かしらが違う。形容のできない尊敬や畏怖が混ぜこぜになった気持ちが、コンパクトディスクから楽曲が流れる瞬間や、ステージ上での演奏が始まった瞬間に溢れ出す。それなのに、別に売れるつもりはないだの、今が楽しければいいだのと、卦体糞の悪い懈怠な方便を並び立てて予防線を張り巡らし、その日ばかりの安堵感を貪り食うことに執着する。そして、そこに快楽を得る。
心底、当時の僕を軽蔑している。
閑話休題。
そんな日々をタールで汚れた肺のように染みつかせた僕の生活が起因となって、今回のような結末を招いたことに違いはない。こんな浅薄人間と付き合っていたのだから、そりゃあ周りに反対もされるだろう。否定されるのが当人ではない分、傷も深いものであっただろう。僕には謝ることしかできなかった。瘋癲の呼び名を縦にしていた僕なのだから、彼女に否定する理由も資格もない。彼女は間違っていない。ずっと、僕が間違っていたのだから。
彼女から、「こんなに好きなのに、これからも一緒に居られる自信がなくなってしまった」と泣きながら言われた時、僕はどれ程に惨めだっただろうか。交際関係を築いてから決して短くはない。知り合ってからはもう何年だ? そう言わせてしまった僕はなんて愚かなのだろう。
彼女と付き合い始めてからの僕は多少なりとも変わっていた筈だった。バンドは辞めた。アルバイトも辞めて、定職に就くまでの道程も拵えた。大学の入学式以来にスーツも新調した。「着られればなんでもいいよ」なんて僕は嘯いていたけれど、彼女が、「似合ってるよ」と微笑んでくれたから選ぶことができた。昔は嫌いだったけれど、お揃いのものだって嫌いじゃなくなった。『変わっていた筈だった』だけだった。
何をしたところで僕の過去の下足痕は消えることはない。干満で現れたり消えたりする浜辺でもない。雪が降り続く雪原でもない。強い風の吹く砂漠でもない。草木が生える畦道でもない。僕が歩いたのは乾く前のモルタルの上だった。そして、先には何もない。誰も僕を待ってはいないことに気づくのが遅過ぎただけだ。
後悔は常に僕より前で待つことを知らないし、僕は僕の客観的価値を知らない。後者に至っては知ろうともしなかった。痛みのあまりにアルコールへの逃避行動しかできやしない。だというのに、僕は別れ際に涙のひとつも流れなかった。
ひと月も前には感づいていたし、それはもう避けられることはできないと確信を持っていた。僕は機微に敏感な男だと、そう自負している。僕の脳髄にぶち刺さったアンテナは、常に感度を最大にして、五感を研ぎ澄ませて、誰それの心の内を探らんとしていたし、脳内でニューロンを駆けずり回る電気信号は解答を求めて躍起になっていた。
ただ、僕自身に関しては鈍感であろうとしていた。思い知らされたくないことが四方山積みだった。
彼女曰く、別に好きな人ができたとか、不貞があった訳でもないらしかった。それが事実かどうかは些事で、然したる問題ではない。僕は彼女を信じるより他はなく、僕の知り得る世界は彼女の言葉のみだった。今でも僕の知り得る世界は、約百二十度程の視野で捉える部屋の壁くらいしかないのだから。詰まるところ、僕は彼女のことが好きだったのだ。愛しているなんてことは痴がましくて言えない。別れ際、最後に感謝を伝えられたことが僕にとっての救いだった。じゃあ、彼女にとっての救いはどこにあるのだろうか。杳として知れない。ただ、幸せを願うことばかりしかできやしない。
彼女が、「あなたが居なくても、私は幸せになれるのかな」と問うた言葉が突き刺さっている。
思い出に縋るように貰ったものを未だに捨てることも、蔵うこともできない。ただただ、僕は惨めだ。きっと彼女は幸せになるだろう。僕がつけて、残してしまった痕をコンシーラーで上塗りながら。いつか、僕は思い出から記憶に変わる。じわじわと外へと滲み始める。そして、さっぱりと消えていく。何れにせよ、彼女の衣服を剥いで、腰を振って、種を蒔くであろう僕の互換機が現れてしまう。その時には、僕が互換機になり腐っていることは自明の理で、覆しようのない未来なのかも知らない。
どうにかして僕の不甲斐ない日々や、陰惨を煮詰めて濃縮した夜を打開したくて、順最新のスマートフォンで撮っていた無駄に画質のいい写真や動画を消したり、トークアプリの履歴を消したりと、半ば自棄を起こしながら彼女の影から目を背けて逃げていた。ややもすれば半狂乱を起こしそうになる自分が恥ずかしかった。内側から敷衍していく壊疽に飲み込まれてしまうような気がして。
それなのに、彼女が誕生日にくれた手書きのメッセージが添えてあるハイライトメンソールの空箱は、机の上で、一等目立つところから引き下ろすことができない。お揃いで買った腕時計は、今も正しい時間を僕に告げている。同じ時間はもう流れてはいないのだけれど。
僕は狂ったように呪詛を吐き散らしている。僕はどんなことにも苛立ちが生まれる。相対的な幸福を求めなければやっていられない。僕より上は、全部いなくなればいいと思ってしまった。絶対的な幸福を享受している街中を闊歩する人間の番どもに、何かしらの吉報がありますように。僕はクリスマスも、僕自身も嫌いらしい。
彼女は稚く笑いながら、「あなたって本当に可愛い人よね」と、僕によく言った。褒めているのか、貶しているのかはわからなかったけれど。
彼女が覗き込んでいた僕の虚像に、僕は少しでも近づけるのだろうか。
映画観ます。