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〜你好20歳のわたし〜 日本と中国との間に生きる(後編)
Zenanです☺︎
今日は、自己紹介に関連したお話の続編です!
(更新スピード上げていきます😅)
↑前回の前編をお読みいただいてからだと、
内容理解しやすいです。予想以上に多くの方に閲覧いただけて励みになりました😌
ありがとうございます!
・お弁当の件はどうなったか
日本らしいお弁当を持って行けなかったことに"恥ずかしさ"を感じたという話を前回した。それがどうなったかというと、決してドラマチック(感動的)な結末にはならず笑、私は"お弁当"自体を好まなくなった。私の同級生なら知っていると思うが、高校の時、母の手作りのお弁当は数回しか学校に持っていったことがない。
でも、これはネガティブな結果ではないと私自身は思っている。
お弁当を日本人の基準に合わせることをしなくていいと分かったし、温かい学食の方を選んだだけだったから。
・中2、留学生として従姉妹が来日
日本で生活していて、よく聞かれる事の一つとして、
「5才からずっと日本なのに、中国語忘れないの?」
といった言語関連の質問がある。
結論、私の現時点での言語能力を高い順にすると
日本語→中国語→英語 である。
中国語は日常会話全般は問題ないが、日本語に比べると語彙力など及ばない。
私の母語維持の例は、実際在日中国人で
幼い頃から日本住みのパターンでは稀な方だという。なぜ、中国語を今でも話せるのか、自分で理由分析してみて、
1番の理由は、"話す環境と関わった人"だと思う。
実は、中学1年の頃の私は今よりも中国語が話せていなかった。家でも会話中に日本語を使うことが多かった。
その状況を変えた出来事が、
"中国に居た従姉妹の来日"だった。彼女は最初日本語が殆ど話せなかったから、私とのコミュニケーションはほぼ全て中国語にしていた。
他にも原因は様々あるけれども、彼女の存在が今の私に与えた影響は最も大きい。
・私に占める日本と中国要素の割合
私は自分の国籍アイデンティティーに対して、
"変動性"を常に感じている。
「日本にいる私はどちらかというと中国人で、
中国に帰れば日本人っぽいかもしれない」
という見方をしている。
今、日本にいる私は
中国要素6割で日本要素3割、残り1割は他国要素
で構成されているように感じる。
・両国の間で生きていく
現在私は大学3年生で、就活とかさらには人生という大きいテーマに対して思考している真っ只中である。
一つ、私がワクワクする、心が躍る感覚があることに最近気づいたのは、
日中ビジネスの仕組みを学んで、将来的に中国に帰国して"何か"自分が価値提供できる挑戦をすること。
"何か"の部分が未だぼんやりしていて、
悩むことが多いが、ある意味自分の選択肢・可能性は広いとも言えるため、
焦らず、ワクワクする方向に進みたい。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
もし、引き続き私の文章を読みたくなった方がいらっしゃればフォローやいいね&保存等いただけると嬉しいです🙏
では、下次再见,Byebye〜〜👋
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