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怒りが止まらなくなるときがチャンス 「空じる」というあり方とは

夏から、いろいろなプロジェクトが動きだしました。慌ただしい日々を過ごす中で、先日、父親と大げんかになりました。

些細な言葉にカチンときて、気がついたら怒りが爆発していました。こうなると、言わなくていいことまで言葉に発したりします。

あとから冷静になって振り返ると、なんであんなにムキになったのだろうと後悔します。

子供のときは、父親が怖くて、ただ耐えていました。それに比べれば、思っていることを言葉にできるようになったのは悪いことではないとは思いますが、もう少し別の対応はないものか。怒りが爆発するたびに、まだまだ未熟だなあと痛感します。

また仕事をしていると、一つのことで頭がいっぱいになることがあります。

他のことをしていても気になって集中出来ない。なかなか切り替えが上手く出来ない。余裕がなく、思わぬ邪魔が入るとすぐにイライラします。些細なことが気になったり、迷って決断が出来なくなったりもします。こういうときは、錆びたドアのように、周りと自分との間がギクシャクします。

いかに、モードを切り替えられるか。「切り替え」の大事さは、ビジネスでもスポーツでもとても大事とされていますが、実際にはなかなか難しいです。

そもそも切り替えが必要な場面とは、余裕がない状態といえます。余裕がないとは、心にスペースがないのです。スペースがない一例です。

ご飯を食べているときも、さっきの打ち合わせのことを考えていないか。これは思考がいっぱいでご飯を食べている状態です。

一方で、ご飯を美味しく食べているとき、心にはスペースがあります。

横断歩道で信号を待っているとき、早く行こうとしていないか。これは先を急いでいる状態であり、余裕はありません。

信号待ちをただ待つことができているときは、周りが見えていて、心は落ち着いています。

この2つの違いは今瞬間のあり方です。余裕がないときは、1つのことをしながら、同時に別のことをしているのです。

切り替えようとする前にやることがあります。複数のことをしようとしている状態をやめること。複数のことをしている上に、さらに切り替えしようと考えると、さらに頭の中がパンパンになるだけです。

やっかいなのは、思考は同時に複数のことをやろうとすることです。心を満杯にしたがるのです。

頭で考えることは、パソコンのCPUのようなもの。
多くのパワーを消費する思考とそうでない状態があります。

●パワーを消費する思考の一例
過去のことにこだわっている
未来のことを考えている(いい未来も悪い未来も)
他人のことを考えている
お金のことを考えている

過去は変えられません。
未来は分かりません。
他人は思うとおりになりません。

どうにもならないことは特に多くのパワーを消費します。
パワーを消費する思考をしていると、ときどきフリーズして他のことが手に付かなくなります。また頭が熱くなってきて、眠れなくなります。

●あまりパワーを消費しない状態の一例
・呼吸を感じている
・気持ちよい環境にいる
・気を遣わない人といる
・身体を動かしている
・自分の話を誰かが聞いてくれている
・好きなことをしている

自分の心は自分ではどうにもならないと思いがちですが、自分のあり方、つまりモードは選択することが出来ます。

自分の中にある複数のモードを理解できるかどうかが大切です。

人生は糸のようなものではないでしょうか。

糸は一本に見えますが、実はその中に数え切れないもっと細い糸でよられています。そのおかげで糸は切れないのです。

人生において、今この瞬間には、目に見えない複数の糸が存在しています。この糸はさまざまなご縁とつながっている糸です。それに気づけるかがポイント。

しかし、人は一つのことが気になると、そればかりに意識が向いてしまいます。これは1本の糸にこだわっている状態であり、切れやすい糸です。

どれだけ今この瞬間に複数のご縁の糸が感じられるかは、複数の目を持てるかということでもあります。複数の糸が見える目を持つには、訓練が必要です。

ちなみにメンタルトレーニングのクライアントさんに将棋の棋士がいます。将棋界ではではよく何手先まで読めるのかということが話題になるそうですが、永世七冠の羽生善治さんは読みの数について問われたときに「直線で30~40手、それが枝葉に分かれて1000手になることも」と答えたそうです。これはもちろん普段の鍛錬によるものでもありますが、瞬間的にどれだけの棋譜をイメージできるかは、心の持ち方によってかなり変わってくるようです。

また、以前ある著名な経営者とお話したときに、若いときに「これからのビジネスの展開について100の光景が見えてきたことがある」とおっしゃっていました。

これはどういう状態なのでしょうか?


1000通りの読み手、100の光景が浮かんでくる心のあり方とは、実は空っぽなのです。


これは思考とは真逆のあり方です。複数のご縁の糸とは、考えて出せる答えを超えているのです。


空っぽとは、禅における「空」ではないでしょうか。私なりに理解している「空」について少し言葉にしてみたいと思います。

人間はあたかも物事に固有の本質があるかのように考える傾向があります。しかしこれは錯覚であり、もとより一切のものは縁起によって生じたものなので、実体はありません。空によって煩悩の根源である「物事の概念化」という心の働きから解放されます。

結構、難しいですよね。英語で「空」は「emptiness」と訳されます。禅の師匠である藤田一照老師は「空とは名詞ではなく出来事です。花ではなく、花は「花している」のです。花はすぐに枯れてバラバラになるように、すべてのものは常に縁起という世界の中で変化し続けているのです。」と空を単なる名詞ではなく、「空じる」ものとして説かれました。

さらに、藤田老師はこうおっしゃいます。「空とはまさに「から」の状態です。映画館で空いた椅子は誰かに利用してもらうのを待っています。人の心も「から」であるとき、何かに利用してもらえる準備が出来ていると言うことなのです。人の心が空っぽであるときこそ、潜在能力に満ちています。空っぽの心に創造性がやってきてくれるのです。空は頭では分からない。空は空じるという体験の中でこそ、はじめて顕れてくる。それがアートであり、只管打坐である。」

ビジネスにおいても、「空じる」という行為は非常に役に立つと思います。自己中心的な自我を手放すほど心にスペースが生まれます。自我を手放した分だけ、新しい世界が広がるのです。

1000通りの読み手、100の光景は自分が頑張って答えを出すのではなく、心を空っぽにできたときやってくるのです。

すべてを縁起に任せてあるがままにしておくこと。そうしていると、物事のつながり見えてきます。1つのものとして物事が物事しているようになっていくというのです。

では、まず何をすればよいでしょうか。

英語でも余裕を「ROOM」と言います。心のスペースをいかに空けられるかを意識しましょう。

坐禅をしていると、今この瞬間にさまざまな動きが生まれていることに気づきます。自分がやっているのではなく、ただ何かが縁起の中で生まれ、離れていくことに気づいていると、自然にスペースが生まれます。

その結果、今この瞬間に起こっているさまざまなご縁が見えてきます。一本の糸だと思っていたものから、多くの線が見えてくるのです。

一方で、何かに没頭していると、つい息をするのを忘れてしまいます。これは、心がいっぱいになっていて、身体とともにいない状態。身体とともにいない心は、思考ですぐにいっぱいになります。

ビジネスでもスポーツでも、苦しいときほど、呼吸を感じられるかが大切です。

まずは今、自分の中のスペースはどうなっているかを感じることからはじめてみましょう。

問題はなくなりませんが、自分のあり方は進化出来ます。

私も、次回父親と会うときには、心のスペースを意識してみようと思っています。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました。今回はいかがだったでしょうか?

noteの記事を書いているとき、心のスペースは刻々と変化します。言葉が浮かんでこないと心のスペースがなくなったり、ふと気がつくと心のスペースが空いていたりします。

そう考えてみると、まずは書く前にコーヒーを飲みながらぼーっとしています。すると、ある瞬間に何かが浮かんで来て、書き始めています。

無意識ですが、まずは、心のスペースを空けていたのですね。

何かをするときに、いきなりやろうとするのではなく、少し「間」を持てるように意識する。それでパフォーマンスも結果的に変わってくるように思います。


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