【禅をビジネスにいかす】 組織の「いのち」 生きる組織と終わる組織
ある経営者は、今苦しみの真っ只中にいらっしゃいます。
もう10年以上にわたって、コーチとして関わらせていただいていますが、今、最大級の苦しみの波がやってきているように思います。
これまで、さまざまな経営者とセッションを重ねる中で、苦しみには色々な種類があるのではないかと思いました。
経営者としての苦しみ・・・どう経営の舵を切るか。社内で起こるさまざまな問題に対しての対処。生き残っていくための決断。従業員の幸せをどう組織として作っていくか。これらは理性の苦しみといえます。
人としての苦しみ・・・思い通りにならないことへの憤り、傷つけられたことへの怒り、誰も分かってくれない孤独感。経営者も1人の人間です。湧き上がってくる気持ちは止められません。これは感情の苦しみといえます。
これらは、個人的な流れの苦しみと言えます。
そして、少し視界を広げると、大きな流れがあります。
大きな流れの中で生まれる苦しみ・・・世界の流れ、日本の流れ、地域の流れ、経済の流れ、業界の流れ。
この経営者の組織は、小舟のようなもの。濁流の中で必死に舵をきっています。転覆しないように、船長も乗組員も必死です。
特にこの数年、世界の流れが劇的に変わる中で、先が見えにくくなっています。どんなに頑張っても達成できない数字、終わらないノルマ。こうした苦しみの中で、従業員の心は少しずつ蝕まれていきます。
さまざまな問題やいさかいが起こるのは、自社だけの課題ではなく、もっと大きな流れに翻弄されている場合も多いです。
電気自動車の登場で、日本を代表するトヨタ自動車でさえ、5年後は分かりません。自動車産業の未来が見えないということは、戦後から続いてきた物作り大国日本そのものが存亡の危機に立っているということでしょう。
多くの経営者が、先が見えない中で、それぞれの船の舵を必死にきっています。
「経営者をサポートするコーチとして、できることは何か?」と、いつも問い続けています。
発生する問題は、さまざまな組織開発の本に書いてあるような理論のようにはいきません。組織によって、状況はまったく違うからです。
一方で、すべての組織に共通する普遍的なこともあります。
それは、組織が「いのち」を持っているということです。
どんな苦境にあっても、組織が生かされる運命であれば、それは受け止めなければならない試練です。どんなに苦しくても、乗り越えなければいけない壁であり、組織が生きるために何が出来るのかをいっしょに考えていきます。
同時に、常にもっておく必要があるのは、終わる覚悟。組織は、その存在が社会から必要とされなくなるときもあるということです。組織はいつか、そのいのちが尽きる運命にもあるのです。
組織のいのちが尽きるということは、経営者にとっては到底受け入れがたいことかもしれません。しかし、役割が終わった組織にしがみつくほど、それに関わる人達は不幸になっていきます。
私はコーチとして、その組織やチームが生きる局面にあるのか、終わる局面にきているのか、常に観察しています。
ファシリテーター、あるいは社外取締役として、経営会議をはじめとする様々なミーティングに参加します。会議室に入ったとき、私は参加者のほかに、もう一つの席を見ています。それは、チームのいのち、組織のいのちの席です。
チームのいのち、組織のいのちの席は、何を語っているのか。いつも耳を澄ませています。それは、参加者の意見と同じ時もあれば、まったく違うときもあります。
生きる局面であれば、どんな問題でも、どんな苦しみでも受け止めて、それを真摯にお伝えしていきます。
そして、終わる局面にあれば、覚悟をもってそれをお伝えしていきます。
ちなみに、会議やミーティングでも、すでに賞味期限が切れている場合があります。そうした場は、メンバーの士気を落とすだけです。存在価値を終えた会議は、止めていくことも大事です。しかし、社内の人間では、なかなか終わるということが言い出しにくいのです。
誤解がないように申し上げると、終わることを歓迎しているのではありません。
ただ、組織やチームのいのちには、限りがあります。
さまざまな企業の栄枯盛衰の歴史を見ていると、結果的に長く続いている組織では、存亡をかけた試練が何度も訪れています。
そのたびに、会社の命運をかけて新たなことに挑みます。生か死を賭け、必死にもがく中で、別れが生まれるでしょう。そして新たなつながりが生まれるのです。会社の名前は同じでも、生まれ変わったときは、もう別の組織なのです。
同じ組織が、何度も新しく生まれ変わっていくのです。月並みな言葉でいえば、これが「イノベーション」です。今も「イノベーション」を目標としている会社がたくさんあります。しかし、「イノベーション」は改善とは違います。
「イノベーション」とは、破壊と創造。一度終わって、まったく別のものが顕れてくることです。多くの組織で「イノベーション」が中途半端になるのは、組織を生かそうとしているからです。生きることへの未練がまだあるならば、改善をすべきです。
新しいことをはじめるには、まず古くなったことを止めることが最初のステップです。その苦しみを通らなければ、「イノベーション」は起こりません。
「もう自分のチームは役割を終えた」とさとったとき、「イノベーション」への覚悟が整います。
終わりの矜持があるから、今この瞬間に存在している奇跡が分かるようになります。すべては当たり前でないことが分かると、生かされていることへの「ありがたい」という気持ちが湧き出してくるのです。
あなたの組織は、役目を終えたのではないですか。
あのチーム(事業部)は、役目を終えたのではないですか。
ものすごく冷たい言葉ですね。もちろん、こうお伝えするときは、首になることを覚悟しています。コーチが自分の首くらい、いつでも差し出す気持ちがなければ、経営者の苦しみには対等にお付き合いはできません。
面白いもので、経営者の腹が決まると、瀕死だった組織が蘇ることもあります。
死ぬことへの腹が決まると、生きることが輝いてくるのです。
生と死は、薄皮一枚を挟んだようなもの。
エッジの上をビビりながら歩いている緊張感のある状態のとき、いのちが輝いています。
盤石だという組織ほど、危ないです。緩んだ瞬間に、落っこちます。
安定した思ったときには、次の冒険に出かけるときです。名残惜しいと感じながら、居心地のよい場所から離れて、次の旅にまた出るのです。そのタイミングを逃さないことが大事だと思います。
いつも終わりを抱きながら、今を生きる。これが「生ききる」ということではないでしょうか。
終わりを覚悟している経営者ほど、温かいエネルギーを発しています。言葉も愛に溢れています。決して、相手を威圧する雰囲気ではありません。そして、その瞳の奥には、どこか深い悲しみが宿っています。
これは、会社だけではありません。人のいのちも同じです。
人のいのちは、演劇で与えられた役割のようなもの。
何かすごい役割を果たしましょうということではありません。
組織と同じように、人は誰しも役割が与えられています。「自分には役割などない」と思っている人にも、等しく与えられています。
しかし、それを体現して生きるのは、結構難しいものです。私自身も、すぐに見えなくなります。
役割をまっとうできているとき、人は幸せを感じます。感謝が溢れてきます。端から見れば、どんなに大変な状況でも、幸せはあります。
一方で、自分の役割を果たせていないとき、人は腐っていきます。役割は常に変化しています。ずっと同じままの役割や、誰かと同じ役割など、ありません。
ただ、人は過去に果たしていた役割に執着します。輝かしい栄光であるほど、新しい役割に飛び込むことに躊躇します。しかし、ここでまた人は、試されています。
欲しいものは手に入らなくも、必要なものは与えられています。
試練もあなたに与えられているものです。
試練の中で、あなたの役割が見えてきます。
あなたに与えられた試練は何か。
あなたに与えられた役割は何か。
焦って答えを出す必要はありません。
ただ、問い続けるだけでいいのです。
そのとき、あなたは与えられた「いのち」を生ききっています。
今回も読んでくださり、ありがとうございました。
今回の記事は、1人の経営者に向けて書きました。その人に心からエールを送りたかったのです。
ただ、今読み返してみて、書いたことを少し後悔しました。必死に組織を生かそうとしている多くの経営者に対して、侮辱してしまったのではないかと。
たかがコーチがと思われた方もおられたでしょう。何も分かっていないくせに何を偉そうに経営を語るのだと。私もそう思います。たかだかコーチ風情が経営を語る資格などないのでしょう。もし、気分を害された方がおられたら、心からお詫びします。
一方で、もし何か感じられた方がいらっしゃったら、救われます。
私は経営者の前に佇むとき、じつのところ、何もしていないのです。ただ、真実の自分でいるだけなのだと思います。
でも、これが一番難しいのです。コーチという鎧を脱いで、ただ1人の人間でいること。これは、とても脆弱で、傷つきやすい状態です。でも、私が思い切って心を開くとき、クライアントさんが、真実の自分に出会うきっかけになることがあります。もちろん、そうならないこともあります。
結果は重要ではありません。私自身が自分に正直でいられるかどうかが、与えられた役割です。
ある経営者から、「なぜ赤野さんはそんな勇気が湧いてくるのですか?」と聞かれたことがあります。
実は私もドキドキしています。でも、不思議なのですが、私がありのままの自分でいるとき、クライアントさんから声なき声がきこえてきます。
絶対になんとかなる。
絶対に大丈夫。
どんなに不安でもいいのです。皆、心の深いところでは、何が起きても絶対に大丈夫なのです。だから、私は裸で飛び込んでいけるのです。そして、その役割を果たせているとき、心から幸せを感じるのです。
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