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苦しみの正体2 苦しみさんこんにちは

前回に引き続いて、苦しみについてお伝えします。

苦しみは誰もが感じます。しかし、ありのままには見えていないのです。

人のせいにするときがあります。
これは、苦しみから逃げているのです。

自分のせいにするときがあります。
これは、自分にこだわりすぎているのです。

これらの苦しみは、エゴが生み出している「いのちの影」です。

エゴが生み出すいのちの影に、私たちは怯え苦しみます。苦しみを大きくしたり、小さくしたり。苦しみを自分のせいにしたり、人のせいにしたり。


苦しみには、苦しみの本当の姿があります。


苦しみをありのままに見えるかが禅の修行といえます。一つのあり方として、苦しみを解決しようしないことが大事だということが分かってきました。

これには、私たちが普段当たり前のように使っている「言葉」の働きが大きく関係しています。

なにかが言葉になるとき、エネルギーが集まってきて形になります。そして、言葉という記号は、周りとの境界を作ります。それが意味になります。

言葉はコップのようなものといえます。コップは内側に向かって水を溜めることができます。水は目に見ることができます。言葉の働きが内側に向いているとき、水を見ようとしている状態なのです。

水を溜めるだけが、コップの働きと思いがちです。ところが、コップにはもう一つの働きがあるのです。

コップは外にも向かっています。

今、禅の師匠である藤田一照老師の仏教塾に参加しているのですが、先日、まどみちおさんの詩を紹介されました。

コップ

作:まどみちお 

コップの中に 水がある
そして 外には 世界中が

コップは世界中に包まれていて自分は水を包んでいる
自分の はだで じかに

けれども よく見ると
コップのはだは 
ふちをとおって
内側が外側へ一まいにつづいている

コップは思っているのではないだろうか

自分を包む世界中を
自分もまた包んでいるのだと
その一まいの はだで
水ごと すっぽりと

コップが ここに坐って
えいえんに坐っているかのように
こんなに静かなのは…

コップは外に向かうとき、宇宙に包まれています。そして、内側に向かうとき、水を包みます。

私たちは、言葉になったとき、内側の働きに心を持っていかれます。それは、目に見えるものに心を奪われる心の働きといえます。目に見えるものとは、原因であり結果。問題と解決。夢や目標。成功と失敗。これは言葉によって、目に見える答えを出そうとするアプローチです。

答えを出さない生き方とは、コップの外側に向いているありかたです。コップの外側の無限の世界に心を開いて、ただ、たたずむ。言葉にしようとするのではなく、言葉にしないことをする。それは「分からない」というあり方です。

分からないというあり方は、自然に周りに向かって開いていきます。そして、この世界の叡智を全身に受けることが出来るのです。そういう状態でいることで、智慧の声を受け取る準備が整います。

智慧の声とは、言葉ではない何かで受け取っている場合がほとんどです。それが心の温かさであり、ありがたいという気持ちであり、思いやり、共感です。

周りとの境界を作る働きが言葉であると言いました。一方で、周りとの境界をなくす言葉もあります。それは詩であり、俳句です。

先程紹介した、まどさんの詩は、現れてきた叡智を、そのまま受信機として言葉に現されたものだと思います。

詩や俳句だけではありません。音楽も絵もそうでしょう。

また、スポーツにおいては、身体がまさにコップです。一枚のはだが外側と内側をつないでいるという状態が起こったとき、私がプレーしているという「私」が消えます。私が消えると「野球が野球している」「ゴルフがゴルフしている」状態が現れてきます。これが無心であり、ゾーンとよばれる状態です。

これは、もはや挑戦ではありません。修行というあり方でしょう。

ちなみに挑戦とは、私が目的や目標に向かって挑むことです。これは私を強化していく方向であり、コップの内側での戦いです。外側に向いて枠を打ち破ったと思っても、まだ内側にいるのです。

挑戦は、「枠を大きくしていくこと」といえるでしょう。しかし、挑戦では、枠の外には出られません。

一方で修行は、「いかに私を消していくか」。これはコップの外側の無限の世界にむけて、解き放っていく方向です。コップの外側への旅とは、まさに言葉にならない旅。分からないという状態にただ身を置き、そこから現れてくるものを待つ。ありのままを見える目を磨いていくことです。

すると、どこかで内側と外側を作っていた枠が消えるときがあります。

苦しみはなくなりません。ただ、それは今までの苦しみとは違います。苦しみの影ではなく、本当の苦しみに出会っていくということです。

影があるから光が見えてきます。苦しみの影と光が見えたとき、苦しみという言葉が消えます。あなたを縛っていた枠が消える瞬間です。苦しみがあるからこそ、幸せがあることを知るでしょう。

年末の忙しい中、今回も読んでくださり、ありがとうございました。


私自身、今まさに転換期の真っ只中にいるようです。

また今回のメルマガを最後まで読んでくださったあなたも、転換期にいるのかもしれません。


転換期とは、英語でいえばターニングポイントです。

実は、人は一瞬ごとにターニングポイントに立っているのですが、なかなかそこまでは普段は分かりません。

大きなターニングポイントではなく、いかに小さなターニングポイントに気づける心を育めるかが大切です。



大きなものを見るのは挑戦と言えます。
小さなものが見えてくることが修行と言えます。



小さなものが見えてくると、そこには無限の宇宙が広がっています。苦しみから解放される世界への入り口がそこにあります。

年をまたいで、年始も苦しみについてお伝えします。次回の記事のタイトルは「苦しさという贅沢 生きる原点に立ち返るメンタルトレーニング(仮称)」です。次回はなかなか面白いですよ。(いつもはそうではないのか)

良い年をお迎えくださいね。

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