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『サマータイムマシン・ブルース』 真木よう子、ムロツヨシなども登場。オリジナリティ溢れる「日本の姿」。

評価 ☆☆☆



あらすじ
ある暑い夏休み。大学のSF研究会の部室で古いクーラーのリモコンが壊れる。クーラーが使えないと嘆いていると、未来からタイムマシンで男性がやってくる。部員たちは昨日に戻って、まだ壊れていないリモコンを入手しようとする。ところが、過去が改変されて大変なことになってしまう。



このところ上野樹里の出演している映画ばかりを観ている気がする。けれど、僕はべつに彼女のファンではない。偶然です。



『サマータイムマシン・ブルース』は面白かった。何が面白かったのか、よくわからないけど、面白かった。この作品は2005年公開。監督は本広克行。出演は瑛太、上野樹里、真木よう子など。ムロツヨシも出ていました。彼らの若き日の姿も見られる。



まず、この映画を観ていると学生時代のくだらない日々を思い出した。日本の学生たち(80年代くらいですが)は、毎日、時間ばかりがあってヒマでしょうがなくて、友達とくだらないことばかりをやっていた。青春のほろ苦い1ページなんて感じではなくて「昔は馬鹿だったな」という感じ。



そう考えると『サマータイムマシン・ブルース』は実は画期的な映画ではないだろうかと思えてくる。この映画には殺人事件も、際立ったドラマも、人間模様もない。怒りも、悲しみも、けだるさも何も描かれていない。



何が描かれているかといわれると、ちょっと困ってしまうような「平和」が描かれている。本当に日本って平和な国である。その日本の平和な国の何も考えていない(あるいは何も考える必要のない)若者たちのなんともいえない「のほほん」は妙な共感と共に滲み出ている。まるで神々の黄昏である。



一見、誰にでも描けそうに思えて、実はかなり高度なアプローチである。例えば、映画の中で五重塔がどーんと出てくるがこれが妙だ。日本という歴史の重さが奥にあるような気になってくる。いろんな歴史を踏まえて日本の行き着いた先が「平和」だとしたら、それはそれで一種の思想である。



ストーリーはくだらなくて楽しい。とり立ててすごいとは思わないけれど、それでも思わず笑ってしまう。舞台が元になっているようだ。人物描写が下手だったり、「おいおい」と突っ込むところが山のようにあったりもするけれど、問題なのはオリジナリティである。この映画には「おっ?」という他で見たことのない独自性がある。



最近、感じるのは日本という国のあり方である。みんな「ゆとり教育」が悪いという。成績あげて教育水準があがることが良いことだと言う。けれど、本当にそうなのか? 他の国にはないこの映画は先駆的じゃないですか。



ハリウッドでも、他の国でも作り上げることなど到底不可能な、オリジナリティを感じさせるほどのモラトリアム、神々の黄昏、無我の境地。



この感覚は日本人にしかわからない。それにこの「平和さ」を求めて外国人は日本にやってくるんでしょう? そう考えると、この映画の持つ意味は大きい。つまり、この「平和さ」という気分こそが核心なのだ。



無論、その背景には強大な経済力があるんだけどね。



初出 「西参道シネマブログ」 2007-05-13



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