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雨飾山の麓の秘湯宿へ

小谷温泉 大湯元 山田旅館

雨飾山を挟んでほぼ北に雨飾温泉 雨飾山荘が、

そして南側に雨飾荘と、小谷温泉 大湯元 山田旅館があります。

小さい谷と書いて「おたり」と読ませるこの地名がとても耳に心地いいなと昔から感じていて、どういった謂れがあるのだろうと気になっていた。

小谷村小史によると小谷村には縄文時代から人々が住みついていて、
”おたり”という地名が初めて文書に出てくるのは、1190年12月に出された六条院の書状で、それには「於地理」と万葉がなで書かれていたらしい。
当時、麻の産地であったため「麻垂」から生じたものではないかといわれていて、「小谷」と書かれるようになったのは鎌倉時代の中期からだそうだ。

なるほど、フォッサマグナ地帯の狭い谷筋は、戦を生業とする武士にとっては、「於地理」よりも戦略上の都合「小谷」の方が理にかなっていたのかなと想像できるし、貴族から武士の時代へと変遷していく中で、貴族的な文字も置き換わっていき、その万葉からの音だけが残っていったのかなと、ささやかな推測です。

R148から県道114に入っていきます。
山道を想像していたけれど2車線の走りやすい道路だった。
もっとも小谷温泉を越えてしばらくで林道妙高小谷線となり離合厳しいダートと化すのだけれど。。。

1555年川中島の合戦の折りに、武田信玄の家臣によって元湯が発見されたと伝えられているらしいけれど、「え、川中島と甲斐の国ってここかすんなくね」とかやぼな話は言いっこなしですw
ちょっと調べてみたら、1557年武田氏の山県昌景の攻撃を受け、近くの平倉城が落城していたので、ああ、やはり武田軍はここまで侵攻していたんだなと納得でした。

いや、ちょっと待てよ。
山県昌景といえば、山梨の有名な川浦旅館、山県館の御先祖じゃないですか。なに、この因縁。

めっちゃ温泉嗅覚鋭いじゃないですか!
歴史がちょっと変わっていたら、小谷温泉山県館だったかもしれない~
(ないない、失礼しました)

前置きが長くなりましたが、さあ、お風呂ですよ。
江戸時代建築の登録有形文化財本館で受付を済ませて、元湯の湯殿と外湯の展望風呂の2箇所ある源泉掛け流しのうち、外湯に向かいます。

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正面右手が入口、赤い屋根が男性の露天風呂、左手が飲泉所です。
玄関を入ると掃除が行き届いた上がり口で、左手に入口です。
脱衣所で着替えると、まず内湯になります。

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先客が帰ったので独泉です。いやあ、贅沢!
内湯はやや熱め(私にとってです)トロリとして木肌がやさしくて、薄い昆布茶みたいにおいしいお湯です。
泉質はナトリウム炭酸水素塩泉(重曹泉)、すぐ裏手が源泉で自然湧出、
150ℓ/分で、源泉は44℃です。

続いて渡り廊下から露天に行きます。

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微かなにごり具合がいいです。風景とも溶け込んでいて自然のふところ感満載です。こちらの方が内湯より少しぬるめで、私には適温です。40℃くらいかな。ああ、いつまでも浸かっていられます。

極楽やわあ。

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こちらが男湯の露天です。開放感ありますね。

今回の7月連休は糸魚川市のキャンプ場で2泊、続いてこれから林道妙高小谷線を抜けて、笹ヶ峰キャンプ場で3泊目になります。
キャンプ時は寝具がいたってシンプルなマットとシュラフなので、2泊目って結構肩が凝ったり腰が痛くなったり、飲みすぎたり食べすぎたりとw
体のあちこちがギシギシしてくるんですが、温泉に浸かると、ほんとにすっと心地よくなるんですよ。

なので私達のキャンプ&温泉は、お金の節約もありますが、この真逆の感覚がとても過ごしていて楽しいし、温泉がひときわありがたく感じるのです。

とてもいい温泉なので、そう遠くない時期に泊まりたい。
今回は時間の都合で寄れなかったけれど、来馬温泉 風吹荘もぜひ行きたい温泉です。

行きたい温泉が目白押しですが、そういう温泉が引き出しに一杯貯まっていくのもまたうれしです。


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