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大好きだった犬が最後にくれたもの

これは本当にあった話。


話は小学生のころに遡る。
小さなころから一緒に育った犬がいた。
女の子で、名前はチビ。
チビは子犬のとき、山の中に兄弟とともに捨てられていた。


その子犬たちを見つけたのは、私のおじいちゃんだった。
しかし、生活費のことなどを考えると、子犬たちを拾って帰ることはできなかったため、毛布や牛乳を置いてその日は家に帰った。

次の日の朝、おじいちゃんはどうしても子犬たちの様子が気になり、山に向かった。昨日、子犬のいた場所には冷たくなった亡骸が横たわっていた。おじいちゃんは、助けたくても助けることができなかった子犬たちを見て悲しみに暮れながら、亡骸を土の中へ埋めた。その後おじいちゃんは山道を下ろうとした。

その時だった。

後ろからコテコテと足音がした。振り返ると1匹の痩せた子犬がおじいちゃんの後を付いてきていた。おじいちゃんは生き残った子犬だと思い、その子犬を育てる決心をした。


そんな話を小学生の時におじいちゃんから聞いた。おじいちゃんはその話をするたびに「チビは兄弟の分まで生きなきゃだぞ~」と言いながら、チビの頭をなでていた。


チビは中型犬の雑種で、おじいちゃんが建てた平屋の小屋の中で過ごしていた。おじいちゃんは大工だったため、その小屋で毎日作業をしていた。小屋には薪ストーブがあるのだが、その横にチビは寝ていたため。いつのまにかしっぽの毛が燃え、ネズミのしっぽのようになっていた。この話はいつまでたっても身内の思い出話となっており、親戚で集まった時には、その話で盛り上がるのだ。


チビを飼っている祖母と祖父の家は隣にあるため、私が小学生の頃は、毎日チビと一緒にいた。
夏休みには、川へ行き、祖母と祖父に見守られながら私たちは一緒に泳いだ。チビにボールを投げればジャブジャブと音を立てながら嬉しそうに取りに行った。懐かしいな〜。

そんなチビも、私が小学校高学年頃になると川へ行けなくなった。足腰が弱くなり、寝たきりの状態になってしまったからだ。
以前は薪ストーブの横がチビの寝床であったが、小屋の床は硬すぎるため、祖父母宅の毛布の上に寝かせていた。

毎日会いに行っていたが、徐々に体力が衰えていくのが、小学生の私でも分かった。
そんなチビの温もりをできるだけ長く感じたいと思った私は、祖父母の家で夜までチビの隣に居た。



月日が流れ、私は小学校6年生になっていた。


私は修学旅行があった。すごく楽しみにしていたが、修学旅行先の天気予報は雨だった。何となく気分が重いまま、早朝に家を出発した。朝早かったため、その日はチビに会いに行けなかった。

新幹線に乗り、出発した。

流れる景色の天気はやっぱり雨だった。
でも、天気のことを気にしても仕方が無いし、眠かったので私はそのまますぐ寝てしまった。

修学旅行先にもう少しで到着する頃だろうか。午前10時を回り、目が覚めた私は景色を見たいと思い、窓の外を見た。


そこには、晴れた景色の上に虹がかかっていた。


今でも感動したのを覚えている。友達とみんなで「晴れたね!!」「奇跡みたい!」とはしゃいだ。その時、何となく私は胸騒ぎがした。本当に何となく、心にモヤがかかった感じがしたのだ。

それ以降雨は降らず、楽しい修学旅行になった。


修学旅行から無事に帰宅し、私はすぐに祖父母の家に向かった。

いつもチビが寝ている場所。
玄関から入ってすぐ左にある毛布の上。


そこにチビはいなかった。


祖母は目を赤くしながらこう言った。

「チビはちょうどあなたが修学旅行に行った日にお空の上に行っちゃったんだ。朝の10時頃だよ。」


それを聞いて私は目頭が徐々に熱くなるのを感じた。

そっか、そっか。虹を見た時の胸騒ぎはこういう事だったんだ。チビはあの虹を渡って行ったのかな。憂鬱だった雨予報を晴れに変えてくれたのはチビだったのかな。

ファンタジーすぎるかもしれないが、私は本当にそう思った。誰に何を言われようとも、そう信じる。


チビは私に最高の思い出をくれた。
最後にも、しっかり残していってくれた。


空の上でも駆け回っているのかな。
私がチビの所へいった時には、また川遊びをしよう。大好きなおやつもあげよう。



チビと過ごした日々は忘れないよ、ありがとう。


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