『今あなたの道徳と教育の基本は何ですか?』
教育勅語という戦前に広められたお言葉があります。これは日本の道徳と教育の基本として説かれたものです。そして戦後に軍国主義思想の象徴として批判されたものでもあります。
戦後の日本語訳で有名なものに国民道徳協会訳文がありまして、参考までに最下部に記しました。
これを読まれて、戦争に向かわせるものだという批判的な意見もあれば、いや今読んでも良いものだという肯定的な意見もあると思います。皆様はどう思われますか?もちろんどちらの意見でも良いと思います。
ただこの訳文と原文を比べてみると、天皇陛下に関する一文が訳されていなかったり、天皇陛下と国民の関係性が訳文では意図的に改変してあります。
要するにこの国民道徳協会訳文は実質的に戦後に時代に合わせた、教育勅語の改訂版というようなものになっています。つまり原文とは意味の違うものだと言うことです。ですから、原文に対して軍国主義の象徴だという意見があるのは理解できるのですが、この有名な訳文に対して、同様な意見を当てるのはあまり適当ではないように感じます。これらは実質的に別の内容になっています。
その上で何が言いたいかというと、今の私達にとっての教育勅語のような「道徳と教育の基本」とは何なのだろうか?という事です。
昔は教育勅語と決められていましたので、ある意味とっても分かりやすい時代でありました。しかし今はその基準がなく、自由だけれどもとっても分かりづらい時代でもあるとおもいます。
そして私達、日本人が自分たちの失敗と成功の文化と歴史の上で何を大切にするかは、自分たちで考えるべきものです。しかしながら、何を基本とするのかがとっても曖昧なまま、道徳や教育を考えるので、その結果もとても曖昧になっているのが現代のようにも感じます。
別に教育勅語が良い悪いという話をしたいのではありません。しかしながら今一度、自分自身にとっての道徳や教育の基本は何であるのかを、考え、選んでいく作業はとっても有意義なものではないかなと思います。
もちろん私の基本は日蓮宗の僧侶ですから法華経でありますが、みなさまそれぞれどんなもの基本とされていますでしょうか?
もちろん宗教でもいいと思います。哲学でもいいと思います。親から言われたことでも、尊敬する人の考えでもいいと思います。
「自由」という言葉は、自分に由る(よる)と書いて自由です。自分はどんな考えによっているのだろうか?そんな自分自身の「礎」に意識を向けて見る事は、自分らしく自由に生きるためにとっても大切なことではないのかと思います。
『教育勅語 国民道徳協会訳文』
「私は、私たちの祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現を目指して日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を完うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物と言わねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
国民の皆さんは、子は親に孝養をつくし、兄弟・姉妹はたがいに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動をつつしみ、すべての人々に愛の手をさしのべ、学問を怠らず、職業に専念し、智識を養い、人格をみがき、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心をささげて、国の平和と、安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私たちの祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、更にいっそう明らかにすることでもあります。
このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私たち子孫の守らなければならないところであるとともに、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんとともに、父祖の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。」