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ずっと普通になりたかった


 日曜日に家族で出かける。友達と遊ぶ。クレヨンしんちゃんを見る。大晦日にはガキ使を見て笑う。ゲームをする。七五三。元旦には初日の出を見に行く。母親と恋バナをする。

 わたしには何一つできなかったことだ。

 牧師家庭に生まれた。私はいわゆるPK(Pastor's Kids)というやつだった。日本のクリスチャン人口は100人に1人。その1%の中でも親が牧師という家庭はごくごく少数だ。

 教会は好きだし、神様のことは信じている。神様の教えが私の生きてく上での大きな軸で、暗い道を照らす希望。今までも、そしてきっとこの先もずっと。

 両親や教会の人に愛されて育った。家は貧乏だったけど、幸せな子ども時代だった。母親が作った温かいご飯を食べて、ふかふかの布団で眠る。塾に通わせてもらい、大学も受験した。私は運動部の部長だったけど、日曜日の試合に出るなとは言わず、牧師の父が早朝礼拝をしてくれて、部活に送り出してくれた。

 様々な家庭環境がある中で、自分は恵まれていたと思っている。両親以外にも沢山愛してくれる人がいた。良い子に育ちましたね、素敵な娘さんですねと言われると両親は決まって、神様の恵みです、皆さんのお祈りの賜物ですと答えていた。

 特殊な家庭環境を馬鹿にするような同級生もいなかった。同じクリスチャン家庭の友達も数人いて心強かった。恋人が出来て、自分がクリスチャンであることを打ち明けても否定するような人はいなかったし、むしろ理解しようと努力してくれた。私はずっと良い子だったし、大丈夫、これからも真っ当に人生を生きていける。そう思ってた。

 私は良い子でいるために、とてつもなく過敏になった。親の目、教会員の目、それ以外の周囲の目を感じ取って、それぞれに合わせるように自分を演じた。

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