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【note 開設1周年記念】 幸福なファンのために

サッカーにおいて、結果は偽物だ。
結果よりもっと偉大なもの、永続的なものがある。それがレガシーだ。
ーチャビ・エルナンデス


はじめに

note デビューしてから1年がたちました。
『トリスタン文書』では記念日の重要性について書いていますし、なにか1周年記念の原稿を出すべきだろうと思うので、昔書いた未公開原稿をこの機会に公開することにします。

それは、なぜ『バスケットボールの定理』を書きはじめたのかという理由について書いた文章で、『定理』が完結したら、その「あとがき」みたいなものとして公開しようと思い、昨年10月に書いて下書き保存していたのですが『定理』がなかなか完結しないのと、『定理』を書くに至った経緯はすでに別の原稿で書いてしまったので、ほとんどお蔵入りになりかけていた文章です。

1周年をきっかけに初心に返ってみるのも悪くないですし、ここでおよそ1年前に書いた原稿を掲載してみようと思います。が、その前にまずは最近行われた日本代表対ドイツ代表の試合から始めます。

1999年に見た夢

FIBAワールドカップ2023においてバスケットボール日本代表は大会優勝国のドイツ代表と1次ラウンド初戦で対戦し、63-81で敗れました。
試合の分析記事などを読むと、日本代表にはフリーの3ポイントを確実に決めきるシュート力や、攻守両面における状況判断/ポジショニングの的確さが欠けている。それらを改善し、世界の強豪国との差を埋めるためにはまだ何年も時間がかかるだろうと言われていました。

一方、そのおよそ2週間後、9月9日にドイツで行われたサッカーの国際親善試合では、アウェーの日本代表が本気で勝ちにきたドイツ代表相手に4-1で快勝しました。
サッカー解説者の戦評を聞くと、この日本の勝利は「まぐれ」や「奇跡」と呼ぶべきものではなく、日本は全ての局面でドイツを上回り、フィジカルや身体能力においても負けていなかった。それどころか、日本代表選手がドイツ代表選手をフィジカルで凌駕する場面が数多く見られたとのことです。

多くのサッカー人が、9月9日のドイツ戦を、日本がサッカー強豪国の仲間入りを果たした歴史的な試合と位置付けているようです。私はその試合を全部は見ていないのですが、ハイライト映像や解説者の論評を見聞きしているうちに、しばらく思い出すことのなかった昔の記憶がよみがえってきました。
1999年にナイジェリアで開催されたFIFAワールドユース選手権の記憶です。

日本サッカー史上かつてないほどのタレントが集まった1979年生まれの世代、当時「黄金世代」と呼ばれていた選手たちを中心とするU-20日本代表は、1999年のワールドユースにおいてグループリーグでイングランドを倒して決勝トーナメントに進出すると、ポルトガル、メキシコ、ウルグアイを次々と破り、FIFA主催の世界大会で初めて決勝の舞台に立ちます。
決勝では19歳にしてすでにFCバルセロナでトップチームデビューを果たしていたチャビ・エルナンデスを擁するスペインに0−4で敗れたものの、U-20日本代表はワールドユース準優勝という日本サッカーの歴史に残る偉業をなし遂げ、この結果によって私たちは、それ以前は想像もしなかった大きな夢を抱くようになりました。

あの大会で、強烈に記憶に残っている忘れられない言葉があります。

「レッツ・ゴー・テン!」

テレビ中継でアナウンサーが言っていたのを聞いたのか、スポーツ雑誌の記事で読んだのか、そこの記憶は曖昧になってしまっていますが、99年ワールドユースの記憶として真っ先に思い出すのは、背番号10を背負った本山雅志がボールを持つとスタジアムの観客から口々に「レッツ・ゴー・テン(10番)!」という大歓声が起きたというエピソードです。

当時、「天才ドリブラー」と呼ばれていた本山は、U-20日本代表の左ウイングとして出場し、世界の強豪国のディフェンダーを切れ味鋭いドリブルで何度も抜き去ってみせました。彼のプレーは現地のサッカーファンを魅了し、やがて本山がボールを持つたびに、観客たちは名前も知らない日本人選手に大歓声を送るようになったといいます。

あれから四半世紀を経て、2023年に日本代表の左ウイングに定着した三笘薫は、あのとき私たちが本山雅志に見た夢の続きを見せてくれている。そして、9月9日のドイツとの親善試合において、1999年に私たちが見た夢がついに現実のものになった。そう感じたサッカーファンは多いのではないでしょうか。

ドイツとの親善試合の実況の方が、「日本はもっとも無謀に思えるwildest dream夢をさらに超えた」と言っていましたが、そんなことはないと私は思います。24年前に、私たちはいまの日本代表の姿を確かに夢見ていたはずです。
24年といえば長い時間に思えますが、あのとき感じた興奮と熱狂を私はまだ覚えています。

2023年に見る夢

前回、『2023年の比江島タイム』の中で、「この(FIBA W杯の)結果によって私たちは新しい夢を見るようになった」と書きました。

あの原稿でFIBAワールドカップ2023について書くことにしたのは、この大会の結果が日本バスケットボール界にとっては大きな成果だということをバスケファン以外の方にも伝えたかったからで、今大会の結果と日本代表の戦いぶりを相対化し、日本代表の世界における立ち位置を多角的に捉えるために日本代表とベネズエラ代表を対比させて大会を振り返ってみたのでした。

(FIBA女子アジアカップ2023の決勝で日本代表が中国代表に2点差で敗れたとき、FIBA女子ワールドカップ2022の準決勝で同じく中国代表に2点差で敗れたオーストラリア代表の物語『ローレン・ジャクソンの選択』を書いたように、日本代表について考えるにあたって他の国の代表チームを参照するのはよく使う常套手段です。)

また、以前『イ・ゾルデの断想』にこう書いたことがあります。

この国にだって、バスケットボールの歴史があった。かつて、日本代表チームの偉業が「日本バスケット界の金字塔」と呼ばれ、多くの日本人に夢を与えた時代があった。半世紀ほど前に行われた当時の試合がどんな展開だったのか、そこで「日本バスケットボール史上最高の選手」と呼ばれるあの選手がどんなプレーをしていたのか、そこにはどんな物語があったのか? その詳細を知ることは、今の私たちには不可能だ……

今回のW杯の結果は偉業と呼ぶべきようなものではありませんし、サッカー日本代表の結果と比較して物足りなく感じる人もいるでしょうけれど、このW杯が日本のバスケットが大きく前進した大会であったことは間違いないですし、多くのファンに夢を与えたことも間違いない。それを忘れないように書き残しておきたいという思いもありました。

……というのは建前で、一番の動機は、昨年のサッカーW杯では「三笘の1ミリ」がバズったり、野球のWBCではサッカーに便乗した「源田の1ミリ」で盛り上がったり、ちょっと前ですが2015年のラグビーW杯で話題となった「五郎丸ポーズ」が流行語大賞にノミネートされたように、バスケでもそういう言葉が出てこないかと思っていたときに、そういえばバスケには「比江島タイム」があるじゃないかと、じゃあベネズエラ戦第4クォーター最後の8分間を「比江島の8分」と呼んでやろう、と思って、ただ「比江島の8分」と言いたいだけのために書いたというのが正直なところです。

(もう少し真面目に言えば、何年先か何十年先かに私たちが2023年のW杯を思い出すとき「比江島の8分」という言葉を同時に思い出し、その言葉が今大会の感動や興奮を思い出す助けになればいいと思って書きました。)

ところがその後、バスケ日本代表の2時間を超える特番が、立て続けにゴールデン帯で放送されたのを見て、FIBAワールドカップがこれほど世間の注目を集めているならば、なにも自分が原稿で取り上げる必要はなかったんじゃないかと思ってしまいました。
それくらい、あの特番には驚きました。
なにしろ数年前まで、数字が取れるスポーツといえば圧倒的に野球(プロ野球と甲子園。これは両方ともコンテンツとして強い)で、野球とだいぶ差が開いてサッカー(日本代表、Jリーグ、女子サッカーも一部の選手は人気と知名度あり)、その後、オリンピックでメダルを獲った競技(柔道、陸上、水泳、体操、卓球など)が続き、バスケといえばNBAで活躍している八村選手くらいしか一般には知られていない状況だったのだから……。

2年前の東京五輪直後は、バスケ女子代表が連日テレビに出ずっぱりでしたが、オリンピックでメダルを獲ったのだからそれは当然と言えるでしょう。対して今回のW杯の男子代表は1次ラウンドで敗退し、最終結果は32カ国中19位。現時点ではまだオリンピックへの出場が決まっただけの状況です。

にもかかわらず、今回のW杯に日本中が熱狂し、日本代表の試合は多くの人に感動を与え、私たちは選手たちのことを誇りに思う。なぜそんなことが起きるのかといえば、そこに物語があるからだろうと私は思います。

1976年のモントリオール五輪を最後に世界大会に出場できない時代が続いていたバスケットボール日本代表は、1998年の世界選手権に31年ぶりに出場し、2021年に45年ぶりのオリンピック出場を果たすも、98年以降の世界大会の戦績は2勝16敗。直近2大会の成績は0勝8敗。日本代表には世界で勝つことの困難を味わってきた歴史があり、加えて今回のW杯前には、渡邊雄太選手によるパリ五輪の出場権を逃したら代表を引退するという発言もありました。

その物語を知っているから、私たちはワールドカップでの “1勝” に歓喜し、オリンピックの出場権獲得に涙を流す。(それが物語の持つ力だということは『メイキング・オブ・バスケットボールの定理』に書きました。)

なので、バスケットボール日本代表の物語を共有していない人には、今大会の日本代表の結果は1次ラウンド敗退に過ぎないということになりますし、もし、常勝チームであるアメリカ代表が同じ結果を残した場合、アメリカ代表のファンが私たちが感じた喜びや感動を味わうことはないでしょう。

トム・ホーバスの物語

バスケットボール日本代表のトム・ホーバスヘッドコーチにも彼自身の物語があります。
2021年の東京五輪で女子日本代表のヘッドコーチを務め、銀メダル獲得というオリンピックにおけるバスケットボール日本代表史上最高の成績を収めた後、ホーバスコーチは次の挑戦として男子日本代表の強化に取り組むことになりました。
東京五輪以降、彼の元には多くの国、多くのチームからオファーがあったと言いますが、彼は日本に残ることを選んだ。選手時代に10年間プレーする機会を与えてくれた日本、現役引退後、アメリカに帰国して高校のチームでコーチをしていたとき、JXサンフラワーズのアシスタントコーチとして再び自分を招いてくれた日本に報いたgive backいという思いをホーバスHCは常々語っています。

ですが、ホーバスHCの物語を共有していない人にとっては、彼は結果を出すことだけを求められている雇われ外国人監督にすぎません。

ワールドカップ直前の強化試合の後や初戦のドイツ戦に敗れた直後にはネット上でホーバスHCに対する批判が数多く見られ、自分が思う通りの選手起用やベンチワークをしてくれないからといって、ホーバスHCのコーチとしての能力を疑う言葉やヘッドコーチの交代を要求する声がSNS上で飛び交うこともありました。

ホーバスHCへの文句を言う人たちは、えてして「とにかく勝てばいい。結果さえ出せば文句は言わない」と言いがちですし、日本代表のファンの中にも「外野を黙らせるためにも、ホーバスHCには今大会、絶対に結果を出してもらいたい」と言う人たちがいました。

でも、本当にそう思っているのか? と、私は疑ってしまいます。
私たちはそんなに、結果ばかりを求めているのでしょうか?

かつてFCバルセロナのキャプテン、チャビ・エルナンデスは「サッカーにおいて、結果は偽物だ」と言いました。
「どんなにうまくプレーしても、勝てないときは勝てない」

さて、ここでようやくですが、1年前に書いた文章を掲出します。

幸福なファンのために

それは、『バスケットボールの定理』第3部を書き終えて公開した日の夜のことです。あるNBA系ユーチューバーさんが、配信でこんなことを話していました。

10年ほど前にヨーロッパのサッカーファンの幸福度ランキングを発表している記事を見た。
意外なことに一番不幸なファンは、欧州一の名門クラブ、レアル・マドリードのファンという結果だった。なぜかというと、勝つのが当たり前すぎて勝った時の喜びが他のチームのファンより少なく、逆に負けた時は精神的ダメージが大きいから。その他にも多岐にわたる評価項目を総合すると、最終的に強いチームを応援しているファンほど不幸であるという結果が出るという記事だった。

NBAで考えてみると、2016年当時、すでにスーパースターだったケビン・デュラントがウォリアーズに加入したとき、ウォリアーズファンの幸福度は高かったかといえば、人によっては、こんなウォリアーズは見たくないと思ったファンもいたと思う。結果的に優勝はしたけれど、こんなチームで優勝してもうれしくない、生え抜きの選手たちで頑張って優勝するという、そのストーリーが好きなんだという人も多いだろう。
銀河系軍団と呼ばれていた頃のレアル・マドリードみたいに強い選手を次々補強して、いらなくなったらすぐ捨ててというのはどうなんだろう……。

結局は人によるのだろうけれど、トータルで見たらそう思う人の方が多いんじゃないだろうか。知らんけど……。

(コピーしていたYouTubeのURLを貼ろうと思ったら、1年近く前のその配信はもう再生できなくなっていました)

今年のW杯で日本代表は予選ラウンドで敗退し、SNS上ではコーチ陣の退任を求める声も多く見られました。私のバスケットボールに対する知識と理解はアマチュアレベルなので、ここで日本代表チームの選手起用や采配について評価することはしませんが、ただ、いちファンとして、私はこう思います。

たとえば、昨季NBAのコーチ・オブ・ザ・イヤーを受賞したモンティ・ウィリアムズに10億円払って日本代表のヘッドコーチになってもらったと考えてみます。そのとき、私は今ほど真剣に日本代表の勝利を願えるでしょうか。日本代表が勝った時、今ほど大きな喜びを感じられるでしょうか……。
私の答えは ”ノー” です。
なぜなら、そこには何のストーリーもないからです。

白熱した試合を見て興奮し、ときに涙を流すほど感動する。それほどまでに観客の感情を揺さぶるエンタメであることが、スポーツが産業としてなりたっている所以であり、人々がスポーツ観戦に求めているものは、自分の感情をどれだけ動かしてくれるかというエンタメ性であることは間違いないでしょう。そして、エンタメに必要な条件は勝利ではなく物語であるはずです。
チームの歴史、対戦相手との因縁、選手の生い立ち……。それらは全て物語であり、より多くの物語を知れば知るほど、私たちはより深くスポーツというエンタメを楽しむことができる

私は恩塚コーチと鈴木コーチがバスケットボール女子日本代表のコーチになるまでのストーリーが好きですし、どんな逆境にあっても常に粘り強い執念で打開してきた「あきらめの悪い男」(第3部2節)と、「周囲から無謀と思われるほどの大それた挑戦」を「生きがい」とする男(第4部7節)がタッグを組んでともに世界一を目指すという彼らのストーリーが好きです。

そして今回のW杯で挫折を経験した選手たちが、逆境を乗り越えてパリで最高の笑顔を見せてくれるストーリーが見たいなあ……と思ってしまいます。

もちろんすべての人が私と同じように思うわけではないでしょう(結果が出ない選手は即交代させろと思う人もいるでしょうし、そもそもスポーツをアートと同じように人間業とは思えない驚異的な身体の運動を見る快楽として受け取っている人もいるかもしれません)。結局は人によるんでしょうけれど、子供の頃から贔屓の球団があるようなプロ野球のファンだったり、JリーグやBリーグのとあるクラブをどういうわけか “愛して” しまったサポーターやブースターであれば、私の思いに共感してもらえるのではないかと思いますし、トータルで見たら私のように思う人の方が多いんじゃないでしょうか。


昨年10月に書いた上記の文章における「W杯」とは、FIBA女子ワールドカップ2022のことです。
当時はこんなことを考え、女子日本代表の恩塚コーチや鈴木コーチ、日髙先生や尾崎監督の物語をより多くの人と共有できたらいいなという思いで『バスケットボールの定理』を書いていました。

バスケファンにもいろいろな人たちがいて、NBAの試合を見慣れているNBAファンにとっては日本代表のプレーは物足りなく感じられるかもしれませんし、Bリーグのファンは女子バスケの試合を積極的に見ようとは思わないかもしれません。
ですが、バスケットボール女子日本代表にまつわるいくつかの物語に魅せられたファンは、きっとその物語の続きが気になるはずです。
(このことについては『トリスタン文書』第3部の第6章で、将棋AIの話とからめて改めて触れる予定です。)

FIBA女子ワールドカップ2022のアンバサダーを務めた、元NBAオールスターのパウ・ガソルも言っていました。

「細心の注意を払っていれば、どの大会にも多くの物語がある。いつでも感動を与える特別な物語がいくつか出てくるものです。個人的な物語、人間的な物語、払わなければならない犠牲、競技への愛、女性がプレーする情熱。女子バスケをあまり見ていない人々やファンの興味を引くものが、そこにはたくさんあるのです」

チャビ・エルナンデスの物語

さて、ここでもう一度、サッカーについて書きます。
1999年のワールドユースで日本の優勝を阻んだスペインの名選手、チャビ・エルナンデスについてです。

11歳でFCバルセロナの育成組織「ラ・マシア」に入ったチャビは、1998年にトップチームに昇格すると、バルセロナの伝統的プレースタイル、「ティキ・タカ」と呼ばれるパスサッカーを象徴する司令塔として、8度のリーガ優勝、3度の国王杯優勝、4度のチャンピオンズリーグ制覇をなし遂げ、2021年からはバルセロナの監督を務めています。

以前、一瞬だけ書いたことがありますが、私はFCバルセロナが好きです。それはユニフォームにスポンサー名を入れないことを誇りに思うクラブの伝統に惹かれたからです。なので、2011年にその伝統が破られ、クラブの歴史上初めてユニフォームの胸にスポンサー(カタール財団)のロゴが入ったときは本当にがっかりしましたし、現在の(ラ・マシア出身の選手たちをないがしろにして)札束でチームを強化しようとしている(ように見える)チャビ・バルサは、正直あまり応援しようという気になれません。

でも、だからといってチャビのことを嫌いになったりはしないし、チャビに監督をやめてくれと思うこともありません。

チャビがレギュラーに定着しはじめた若手時代のことを覚えています。
「ドリームチーム」と呼ばれたバルセロナの黄金期を支えた偉大すぎる前任者、ペップ・グアルディオラの後を継いだ若干二十歳そこそこのチャビは、常にそのプレーをペップと比較されてファンから散々叩かれていました。
その頃はSNSなんてものはありませんでしたが、目の肥えた現地のファンから「チャビにはペップのようなパス配給能力がない」と、ペップの後釜としては失格の烙印を押され、「ラ・マシアにイニエスタという天才がいるから、数年以内にチャビはイニエスタにポジションを奪われるだろう」と言われていたものです。
当時のバルサは暗黒時代と言われ、国内でもなかなか勝つことができずにリーガでも4位になったり6位になったりとチームの低迷期が続いていたせいもあり、チャビに対する一部のファンの風当たりは相当強かった。

そんなチャビが、厳しいファンの批判をはねのけて自分の能力を証明し、ファンの誰からも愛されるクラブのレジェンドになった歴史を知っているものだから、(監督としての彼のチームマネジメントには思うところが多々ありますが)チャビのことを悪しざまに言うことはできませんし、今後彼が監督としてどう進化していくのかを見守りたいと思っています。(現状に満足することなく、常に上を目指していく彼の性格を思えば、選手時代と同じように監督としてもチャビは進歩していくだろうと期待しています。)

チャビは選手時代のインタビューで、「バルサには独自のスタイルとアイデンティティが存在する。それは、監督が代わったからといって変わるものではない」と言っていました。
バルサのスタイルとアイデンティティ、その起源はモダンフットボールの創始者、ヨハン・クライフがクラブに加入した1973年に遡ることができます。

バルサにはバルサのスタイルがある。勝つことよりも、いかにボールを失わず、ボールを運び、支配できるかが大事だ。それはクライフが確立したコンセプトであり、誰にも変えることはできない。どんな監督が来たとしてもそれは変わらない。カンプ・ノウ(スタジアム)に来る観客が伝統に背くことを許さないからだ。

また、2010年のインタビューで、チャビはこうも語っています。
「結果よりもっと偉大なもの、永続的なものがある。それがレガシーだ。インテルはチャンピオンズリーグを制したが、誰も彼らのことを語ろうとしないだろう?」

勝利よりもクラブのアイデンティティを大事にするファンがバルセロナに存在しているのは、1973年に遡ることのできる歴史があり、今日まで連綿と受け継がれてきたレガシーがあり、クラブの伝統を守ってきた人々の物語があるからでしょう。

私がいつも歴史や遺産レガシーや物語を語り継ぐ話ばかりしているのは、私が好きになったチームがそれらを持ったチームだったからです。

もし今の日本代表が、歴史や遺産レガシーや語り継ぐべき物語を持たず、チームのアイデンティティもよくわからないようなチームだったなら、『バスケットボールの定理』を書こうと思うことはなかったでしょうし、誰もあのチームのことを語ろうとはしないでしょう……。
(『定理』の第7部では、尾崎正敏のレガシーや、日髙哲朗のレガシーについて書きたいと思っています。)

おわりに (本山雅志のレガシー)

note を書き始めてからここ1年、ずっと歴史や記憶とその継承(ステフィン・カリーがピート・マラビッチのプレースタイルを継承していることだとか)について考えてきたので、三笘選手のプレーを見て本山選手のことを思い出し、99年ワールドユースのことを思い出し、さらにワールドユースで日本を破ったチャビの若手時代を思い出したりして、それらの記憶をとりとめなく書いてきましたが、最後にここまでの原稿の中にはうまく組み込むことができなかった話題を補足として書いておきます。

今の三笘選手に往年の本山選手を重ねて見ている人はきっと他にもいるはずだと思って探してみたら、セルジオ越後氏が面白いことを言っていました。

(ちなみにセルジオ氏といえば、30年以上前からサッカー日本代表に対する超辛口なご意見番として知られていますが、彼の歯に衣着せぬ代表批判を聞いて不快に思うことはありません。それは、セルジオ氏のサッカー日本代表への愛が感じられるから、日本代表が強くなってほしいという彼の思いが伝わってくるからであり、また口で言うだけでなく、実際に日本サッカーの発展に寄与する活動を続けてきたからでもあります。)

上にリンクを貼った動画の中でセルジオ氏は、日本にドリブラーが少ない理由は、日本のサッカーは「教えて学ぶサッカー」だからだと言います。
ドリブラーには自分で考えてプレーする自由が必要だが、日本の選手は教えられたことをこなすことばかり上手になって、指導者が言ったことしかできない。日本サッカー界にあるのは先生と生徒の関係であって、指導者と選手の関係ではない。これではドリブラーが育たない。
けれど、かつて素人の先生たちがいろいろ工夫しながらサッカーを教えていた時代には、日本にもドリブラーがいた。「みんな忘れてるけども、いたんですよ……」と、セルジオ氏は言います。

そして彼は動画収録当時ベルギーリーグに移籍したばかりの新進気鋭のドリブラー、三笘選手に「本山を超えてほしい」と言います。
本山選手が三笘選手と同じポジションでマンチェスター・ユナイテッド相手に無双した試合を見たことがある。その時の本山選手は「半端じゃなかった」と言うセルジオ氏は、その試合のビデオがどこかに残っているはずだから、三笘選手がもう一つ上のレベルに行くために、彼に本山選手のプレーを見てほしいと言います。「三笘に見てほしいんだよね」とセルジオ氏は力説していました。

この後、三笘選手はプレミアリーグに移籍してレギュラーの座を掴み、ユナイテッドと何度も対戦することになります。セルジオ氏は今の三笘選手を見て、どう思っているでしょうか? 三笘は本山を超えたと思っているのか、まだ全盛期の本山には及ばないと思っているのか、気になります……。

なお、三笘選手は、9月の日本代表の欧州遠征前のインタビューで、日本代表が次のステップに行くために必要なことは何かと問われ、「一人ひとりが局面を打開できるようになること」、個の打開力であると答えていました。

これらの話は、『バスケットボールの定理』第5部で紹介したバスケットボール日本代表および育成年代の課題と共通していると思ったので、余談になりますが最後に付け加えておきます。

(さらに余談として、前にツイッターにも書いたことがありますが、私は日本バスケット界に1998年世界選手権代表の南山真を超える選手が出てきてほしいと思っています。今の若い選手は南山のビデオなんて見ないのかもしれないけれど……。)

ところで、誰も気づいていないでしょうし気にもしていないと思いますが、この原稿を投稿したのは、実は note 開設1周年記念日の2日後です。本当は1周年の当日に公開したいと思い、実際、その日の夜に一度書き上げてはいたのですが、その文章はちょっと自分の趣味に走り過ぎていて、これではバスケやサッカーのことを1ミリも知らない人にはまったく響かないんじゃないかと思ってしまって、それから2日かけてあちこち手直しをして、ようやく公開できる形になりました(また下書き保存したままお蔵入りにならなくてよかった)。
なので、厳密には1周年に間に合っていないのですが、ほぼ1周年記念原稿として楽しんでもらえたらうれしいです。

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。

追記 (ヨハン・クライフのレガシー)

本稿を公開してから数日後、このページの下部に表示される「こちらもおすすめ」の記事の中にあった、いしかわごう氏の記事を読んでみたら、これがすばらしかったので、以下に引用します。

そこでは、12年前に行われたヨハン・クライフと岡田武史氏の対談の言葉が紹介されていました。
本当はクライフのすべての言葉を書き写したいくらいなのですが、詳しくはいしかわ氏の記事を読んでいただくとして、その一部を抜粋します。
これは、当時FCバルセロナとレアル・マドリードの監督であった、グアルディオラとモウリーニョを比較してクライフが語った言葉です。

クライフ 私はグアルディオラを支持する。フットボールは勝つだけのものではないからだ。ファンのために、若者のために、教育のために、さらに振る舞いや話し方、フットボールの全てが子供の教育になる。表現の仕方、若い選手を教育する方法において、私はグアルディオラのやり方が好きだ。

モウリーニョは勝利することだけを強迫観念に戦っている。しかし、私は勝つことは大事だが、もっと大切なものがあると思う。当然、誰しも勝利したい。しかし人生はそれだけではない。[……]仲間とプレーすること、勝利を受け入れ、敗北を受け入れること。上手くない子を助けること、そして自分の調子が悪いときは誰かが助けてくれる。それがスポーツだ。

勝利に対する強迫観念だけではいけないのだ。私は1974年のワールドカップで負けた。しかし、負けたにもかかわらず我々の戦い方は今でも語り継がれている。36年も前のことなのに。
勝とうが負けようがあとに残したもの、それが重要なのだ。

ここでクライフが岡田氏に語っている言葉は、チャビがインタビューで語っていた言葉とほとんど同じです。11歳でFCバルセロナの下部組織に入団し、クライフの哲学を聞いて育ったチャビにはその哲学が染み込んでいるのでしょう。これこそがレガシーだと思いました。

そして、クライフの言葉に感銘を受けた岡田氏はこう語ります。

岡田 僕にとっての勝利というのは目的であって、そこにいくためにいろいろな道があるけれど、その道をわきまえながら、たどり着けばいいと思う。
でもその目的は、最終目標じゃない。その先にもっと大きな目標がないとサッカーは終わってしまう。それは人々に夢を与えたり、元気を与えたり、勇気を与えたり、そういうものでなくてならない。そのためには勝つだけではなく、そこに哲学であり、意志がなくてはならない。

もちろん、クライフや岡田氏が語っているのは理想論であって、結局のところ勝たなければ意味がないと思う人もいるでしょう。どんなチームを好きになるかは結局は人によるんでしょうけれど、もしクライフのレガシーがチャビにまで受け継がれていなければ、私はFCバルセロナのファンになっていないでしょうし、クライフの哲学に惹きつけられたファンが世界中に大勢いることも確かです。

そういえば、バスケットボール女子日本代表チームの活動の目標は優勝だが、目的は「人に夢を与える」ことだと聞いたことがあります。優勝の先に「人に夢を与えるチーム」という理想の姿がある。優勝したとしてもこの理想を実現できなければ満足できないだろうと。

恩塚コーチや鈴木コーチは “岡田メソッド”(プレーモデルや原則という考え方)を参考にして取り入れているとのことですが、もしかしたら、ヨハン・クライフの哲学も岡田氏を経由して、今の女子代表チームに浸透しているのかもしれない。だから私はあのチームに惹かれ、私だけでなく多くの人が惹きつけられているのかもしれないなと、いしかわ氏の記事を読みながら、そんなことを考えました。

ローレン・ジャクソンの選択』で引用したように、この国では「勝ち続けることでしかスポーツ文化が育たない」と言われることもありますが、どうでしょう……? トータルで見たら私のように思う人の方が多いんじゃないでしょうか。


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