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ローレン・ジャクソンの選択

FIBA女子アジアカップ2023について書きます。
というのも、リム・トゥ・リム・エキシビション・ゲームをきっかけにナタリー・アチョンワについて書き、Bリーグアワードショーをきっかけに渡嘉敷来夢選手について書いたように、FIBA女子アジアカップをきっかけにして、ある選手について書きたくなってしまったからです。

その選手はオリンピックやワールドカップの舞台でアチョンワや渡嘉敷選手ともマッチアップしたオパールズ(バスケットボール女子オーストラリア代表の愛称)のセンターであり、オーストラリアのバスケットボール史上最高の選手と呼ばれるレジェンド、ローレン・ジャクソンです。

またしても急な思いつきで、予定外の文章を書き始めることにしたわけですが、おそらくこの話はどこかで、アチョンワや渡嘉敷選手の物語とつながり出すんじゃないかと思います。


世界一の遺産

FIBA女子アジアカップ2023は、6月26日から7月2日にかけてオーストラリアのシドニーで開催されました。大会5連覇中の女子アカツキジャパン(バスケットボール女子日本代表の愛称)は、6連覇を目指して大会に臨み、決勝で惜しくも中国代表に敗れて準優勝に終わるも、昨年のFIBA女子ワールドカップの銀メダリストでFIBAランキング2位の中国(日本は9位)に2点差まで迫る健闘を見せました。

そして、7月20日からは同じオーストラリアで "FIFA" 女子ワールドカップ、つまり女子サッカーのW杯が開催されます(ニュージーランドとの共催)が、そのことは日本ではあまり話題になっていないようです。なでしこジャパン(サッカー女子日本代表の愛称)は FIFAランキング11位の強豪(男子代表は20位)でありながら、このFIFA女子W杯に対する日本国内の認知・関心の低さ、報道の少なさ、女子サッカーの人気低迷を嘆く記事を最近よく見かけます。

なでしこジャパンは2011年のワールドカップで奇跡と言われた初優勝をなし遂げ、日本中に「なでしこ旋風」を巻き起こしました。(2012年のU20W杯で3位に入った「ヤングなでしこ」も輝いてましたね。猶本光とか、猶本光とか……)
しかし、そのおもかげはもはやありません。
下にリンクを貼る記事の中で、島沢氏はこう書いています。

思い返せば2011年の世界一のあと、メンバーから「勝ち続けなくては、女子サッカーはブームで終わってしまう」といった悲壮感あふれる声が漏れ聞こえた。[……] 私には、選手が勝ち続けるしかスポーツ文化が育たないというこの国の姿が残念でたまらなかった。
この手法を転換するためにも、女子サッカーは普及する努力を丁寧に重ねてほしい。

こういった記事を読むと、女子サッカー界は2011年のW杯優勝と同大会でMVP&得点王を獲得した日本女子サッカー史上最高の選手・澤穂希という偉大なレジェンドの遺産を10年かけて食いつぶしてきたように見えます。と書くと棘のある言い方になってしまいますが、私は基本的に遺産は食いつぶされるもので、それが当たり前だと思っています。遺産を守り後世に残すためには、周到な戦略と不断の努力と、それを支える尽きない情熱が要る。
遺産を残すかどうかは選択の問題Legacy is a choiceだと言われますが、それを受け継ぐかどうかも選択の問題であって、普通は先人の遺産は食いつぶされる運命にある。そして、一度廃墟になったところから再びすべてを建て直すことになるのが世の常です。

オーストラリアの 情熱マッド・ラブ

私たちの環太平洋のライバル、カナダでは女子バスケットボールの前進を止めないために「マッド・ラブ」キャンペーンが立ち上げられました。
ナタリー・アチョンワは、「私たちが育った当時、女子バスケットボールはそれほど普及していませんでした。テレビでは放送されなかったので、それを見ることもできなかった。だから私はWNBAの存在すら知りませんでした」と語っています。(カナダにはいまだに女子プロバスケットボールリーグはありません)

「マッド・ラブ」キャンペーンは、カナダ国内における女子バスケの認知・関心の低さ、報道の少なさなどの “逆境” を乗り越え、女子バスケに対するカナダ国民の認識を変えようとする挑戦でした。
また、2021年の国際女性デーに開始されたこのキャンペーンは、バスケットボール界を超えて、他競技の女性アスリートのためのものでもあると宣言されています。
キャンペーンのPR映像には、女子サッカー選手やホッケー選手の姿も映っていました。

ところで、カナダ以外の国はどうでしょうか? FIBA女子アジアカップを見ていて、女子アカツキジャパンと対戦しているアジア・オセアニアの国々にもカナダと同じような取り組みがあったりするのだろうか? と気になりました。

そこでまずは、2018年からJBA(日本バスケットボール協会)とパートナーシップ(ユース代表やクラブチームによる交流試合、コーチ・審判の育成、マーケティングやテクノロジーに関する情報共有、バスケットの普及に向けた協力など)を締結しているオーストラリアバスケットボール協会の取り組みについて調べてみます。

https://australia.basketball

オーストラリアバスケットボール協会のホームページをスクロールしていくと、トップページの中段にそれっぽいバナーが見えてきます。

「SHE HOOPS」とはなにか? 調べていくと、その発端は昨年のFIBA女子ワールドカップにあったことがわかります。

2022年9月、オーストラリア・シドニー
FIBA女子ワールドカップ2022は、大会史上最多となる約15万人の観客を動員し、開催国であるオーストラリアは銅メダルを獲得しました。
そして、このW杯の遺産legacyを未来に残すために、「She Hoops」というプラットフォームが立ち上げられます。

「She Hoops」の目的は、次の二つです。
・バスケットボール界の女性のコミュニティをつくる。
・スポーツによって、女性がつながりとサポートを感じられるように支援する。

このプラットフォームを立ち上げたのが、オパールズのレジェンド、ローレン・ジャクソンです。

2022年10月6日のニュース記事を見てみます。

ローレン・ジャクソンは本日、バスケットボール界の女性がつながり、学び、成長するためのコミュニティをつくる無料プラットフォーム「She Hoops」の立ち上げを発表した。このプラットフォームは、女性と少女がスポーツに関わり続けるためのサポートを提供することに尽力している連邦政府と協力して、オーストラリアバスケットボール協会によって開発された。この種のプラットフォームはスポーツ界では初のもので、すべての女性と少女を世界中の最高の指導や公開討論会、リソースに結び付ける。

このプラットフォームには、コーチング、文化的多様性、コミュニティ、審判、運営者、先住民族の包摂に焦点を当てた 6 つのサブサイトがある。各サブサイトには、伝説的なNBA審判のディー・カントナー、元WNBAコミッショナーのドナ・オレンダー、そして先駆的trailblazingなコーチであるキャリー・グラフとサンディ・ブロンデロによる指導というオンラインコンテンツを含む無料のリソースが含まれ、参加者はオンラインで開催される生討論会やネットワークイベントに申し込みができる。WNBAレジェンドのスー・バード、シェリル・スウープス、シルビア・ファウルズなど、バスケットボール界で最も影響力のある女性たちによる独占アイコンシリーズは大いに期待されており、すべてのコンテンツは無料で利用可能になる。

オーストラリアバスケットボール協会会長のマット・スクライブンは、女子バスケットボールに恩返しをしたいというローレン・ジャクソンの決意が、彼女が情熱を注ぐプロジェクトとなり、彼女はすでに信じられないほどの変化をもたらしていると語った。

「ローレンは女性のスポーツの向上に情熱を持っており、それについて話すだけでなく、それを実現させてもいます。このプラットフォームは、女性がリソースにアクセスし、コミュニティの一員であると感じられるようにしたいという切実なニーズから生まれています。私たちは女性コーチの数を増やす必要があり、このプラットフォームは、女性コーチに必要な指導、教育、進路サポートを提供するという点で非常に重要な役割を果たすでしょう」

FIBA女子W杯2022を誇りを持って支援し、スポーツにおける女性の活躍を紹介してきたというオーストラリア政府を代表して、スポーツ大臣のアニカ・ウェルズは言います。

「私たちは、スポーツを愛する女性、スポーツを続け、より良い選手、審判、運営者、そしてより良い人間へと成長している女性を支援するために、もっと努力しなければなりません。 私はローレン・ジャクソンとオーストラリアバスケットボール協会の取り組みを賞賛します。この取り組みは、スポーツに携わる女性たちがフィールド内外で長く成功したキャリアを築けるようにしながら、彼女たちのつながりを保ち、情熱を育む助けとなるでしょう」

FIBA女子アジアカップ2023の期間中にも、試合がなかった木曜日に「She Hoops」の無料イベントがシドニーオリンピック公園で行われました。

ローレン・ジャクソンからのメッセージを聞いてみましょう。

「バスケットボールのエリートレベルを見ると、全く同じ顔ぶれ、正確には多くの元コーチが管理・運営部門に行っています。エリートレベルに到達すると、そこにはたくさんの道があるように見えます。 ですが、コミュニティの草の根から、州や準州のプログラムを通じてそこ(管理・運営部門)に到達するのははるかに困難です。 私はその壁を突破したいと考えていて、このプラットフォームはそのギャップに橋をかけるものだと思っています。

私はアスリートとして、特に草の根レベルでこのスポーツに携わる女性が抱えている多くの問題や障壁や挑戦に目を向けていませんでした。 一方、私たちは女性と少女のための戦略について多くの研究を行ってきていて、私はそれを支援しており、私たちのスポーツにおいて女性に変化をもたらし、女性たちが地元の協会よりも大きなものの一員であると感じられるようになる力になりたいと心から思っています。

私たちのスポーツにおいて、それが女性に何をもたらすかという点で、 すべてのリソースが無料であることに勝るものはないと思います。 そして私たちはみんなが必要とするすべてのリソースを一ヶ所に集めることができます。
初級コーチングコースを受けに行ってください。私は審判コースを受けたいと思っています。それを楽しむために必要なことなら何でもいいです。 私たちのスポーツに携わる女性のためのワンストップ・ショップ(一カ所ですべての買い物が済ませられる店)を用意することで、彼女たちが次のステップに進む自信を持てるようにしたいと思っています。

私たちは皆、このバスケットボール コミュニティの一員であり、これらのストーリーを共有できることが重要です。 オーストラリアバスケットボール協会にとって今は本当にエキサイティングな時期です。 そして、そこに参加できることを私は本当に嬉しく思っています」

ガールズ・ガット・ゲーム

次にニュージーランドバスケットボール協会のホームページを見てみます。ニュージーランドも同じような取り組みをしているでしょうか?

https://nz.basketball/

トップページにはめぼしいリンクが見当たりません。2023年のジェンダーギャップ指数ランキングで4位となったニュージーランド(オーストラリアは26位、カナダは30位)は、バスケットボールにおけるジェンダーギャップを埋めるためのキャンペーンを特別必要としていないのかもしれません。

一応、トールファーンズ(女子ニュージーランド代表の愛称)のページに入ってみます。すると、ありました。あやしいバナーが……。

これは当たりな匂いがしますね。というわけでクリックしてみます。

「GIRLS GOT GAME」とは何か?

「Girls Got Game」は、小中学生の女子向けの楽しくて親しみやすいバスケットボールプログラムです。バスケットボールは女の子にとってすばらしいスポーツで、楽しく社会的なチーム環境の中で運動能力や思考力を伸ばすために役立ちます。

これは完全にやってますね。

「Girls Got Game」 は、より多くの若い女の子にバスケットボールを紹介し、彼女たちが積極的に活動を続け、友達と一緒にバスケットボールを楽しむことを奨励することを目的としています。

トールファーンズの選手が多数出演している「Girls Got Game」のPRビデオも見てみましょう。

FIBAの戦略

他のアジア諸国はどうでしょうか?
女子アジアカップ、ディビジョンAの参加国のうち、チャイニーズ・タイペイ、フィリピン、レバノンは、FIBAの「Her World, Her Rules」(HWHR)キャンペーンに参加しています。

HWHR はもともと、6歳から15歳までのより多くの女子にバスケットボールをプレーしてもらうため、2018年にFIBAヨーロッパによってつくられましたが、2021年、FIBAはこのプログラムをすべての国に解放し、現在までに100 以上の国がプログラムに参加しています。

プログラムの内容は以下のとおりです。
・バスケットボールへの女子の参加を増やす。
・各地方および全国的に女子バスケットボールの人気を高める。
・メディアの注目を集める。
・女性のロールモデルを評価し、その地位を高める。
・女子バスケットボールを祝う。
・バスケットボールが若い女の子の間でナンバーワンのスポーツであることを確実にする。

HWHRのガイドラインへのリンクとFIBAによるPR動画を貼っておきます。

私は、どこに行っても女の子がバスケしているのを見たら、そこに飛び込んで楽しい時間を過ごせるこの感じが好き。

コートに来て、私たちの仲間になりなよ。

私の遊び場へようこそ!

人生はおとぎ話ではない

さて、ここでもう一度オーストラリアに戻ります。
オーストラリアバスケットボール協会会長は、「ローレン・ジャクソンは女性のスポーツの向上に情熱を持っている」と語っていましたが、確かに「She Hoops」という “無料の” プラットフォームをつくるには相当の情熱が必要だっただろうと思われます。

なぜジャクソンはそれほどまでの情熱を持ち、バスケットボール界に女性のコミュニティを作ろうとしているのか?
彼女の伝説的なキャリアを振り返ってみましょう。

1981年、ともにバスケットボールのオーストラリア代表選手であった両親のもとに生まれたジャクソンは、4歳でバスケットボールを始め、わずか14歳でU20代表に選出され、史上最年少の16歳でオーストラリア代表デビューを飾りました。そして、4大会連続でオリンピックに出場し、3つの銀メダルと1つの銅メダルを獲得し、ロンドン五輪ではオーストラリア代表選手団の旗手を務め、キャプテンとして出場した2006年の世界選手権ではオパールズを初の優勝に導いています。
また、2001年のWNBAドラフトで全体1位指名を受けシアトル・ストームに入団すると、2度のWNBAチャンピオンに輝き、オールスターに7回、MVPに(史上最多タイとなる)3回選出されました。

初代WNBAコミッショナーであるバル・アッカーマンの言葉が、彼女の偉大さをよく表しています。

「彼女は単なる偉大な国際的選手の一人ではなく、スポーツ史上最も偉大な選手の一人だと思います」とアッカーマンは言います。

「彼女が最初の多面的なmulti-dimensionalポストプレーヤーだったことを覚えています。彼女は196cmの長身ですが、ボールハンドリングができ、パスができ、3ポイントを打つことができました。そんなポストプレーヤーを見たのは、思い出せる限り彼女が初めてです」
(かつて、ジャクソンはKDよりも前にKDのような存在だったと言った人もいます。今だったら、ヨキッチと比較したくなる人も多いでしょう)

彼女は2019年にオーストラリアバスケットボール殿堂に入り、2021年にはオーストラリア人選手として初のネイスミス・メモリアル・バスケットボール殿堂入りも果たしています。

一方、キャリア終盤にはジャクソンは多くのけがに苦しみました。2008年に足首の手術を受け、2009年に背中を2カ所疲労骨折し、2010年にはアキレス腱を負傷しました。そして2011年に股関節の手術を受け、2013年はハムストリングの手術によってシーズンを全休します。
また長年抱えてきた右膝の痛みのために、彼女は15回もの手術を受けました。最初は半月板損傷に始まり、それが関節炎になり、2014年には半月板断裂を引き起こします。右膝と左アキレス腱の手術によってこのシーズンも全休を余儀なくされた彼女は2016年のリオオリンピックに目標を切り替えますが、2015年には前十字靭帯を断裂してしまいます。
靭帯断裂後も彼女はリハビリを続けますが、思うようにリハビリが進まず、オリンピックイヤーの2016年を迎えてもコートに立つことができませんでした。そしてようやく最初のトレーニングセッションを開始してからわずか45分で彼女の膝は腫れ始めます。

「このときは打ちのめされました。家に帰って、一日中ベッドから起き上がれませんでした」と彼女は語っています。

そして2016年3月、ジャクソンはリオ五輪の出場をあきらめ、現役引退を発表します。彼女が34歳のときのことでした。

キャリアの終わりには彼女は、鎮痛剤、抗炎症剤、睡眠薬、抗うつ剤に依存するようになっていたと告白しています。

「膝を負傷するまで、私は本当にいいバスケットボールをしていて、自分のキャリアはおとぎ話のような結末で終わると本当に思っていたので、私は復帰するために必死にがんばりました」とジャクソンは言います。

「けれど、そんな結末は訪れなかったし、必死にがんばって、がんばって、がんばり続けた結果、膝関節の部分置換手術を受けなければならなくなりました。本当にリオ五輪のために復帰したかったのですが、かないませんでした……」

おとぎ話のような結末は訪れなかった。
けれど人生は続き、彼女の物語はここで終わりではありません。

40歳の選択

引退後、ジャクソンはバスケットボール選手のための労働組合で女性部門の責任者となった後、2019年にオーストラリアバスケットボール協会女子バスケットボール部門の責任者に任命され、WNBLの運営に手腕を発揮します。彼女は選手会と協力して初の団体交渉協定を締結し、選手への最低支払額を引き上げる支払いシステムを導入し、WNBLはテレビで過去最多の放送回数を記録しました。
さらに2021年からは、彼女はオーストラリアバスケットボール協会内で、ジェンダー平等を達成するための「女性と少女の戦略」を担当することになります。

(ちなみにこの時のオーストラリアバスケットボール協会会長は女性の方で、「オパールズとWNBLの競争力は非常に強力ですが、私たちの競技において女性をサポートするためにできることはまだたくさんあることを私たちは知っています。 近年、ここオーストラリアだけでなく世界中でスポーツに携わる女性の認知度が高まっており、私たちはバスケットボールに携わる女性が引き続きその道をリードできるようにしたいと考えています」と語っています)

一方で現役引退後のジャクソンは鎮痛剤と睡眠薬への依存を断ち切り、健康を取り戻そうとしてきましたが、慢性的な膝の痛みは引き続き彼女を悩ませていて、それは簡単なことではありませんでした。

しかし、WNBAシアトル・ストームの元チームメイトであるスー・バードから医療用大麻の話を聞いたことで転機が訪れます。親友から聞いた話をきっかけに医療用大麻の治験に参加してみるとすぐその効果があらわれ、ジャクソンはジムでトレーニングをすることもできるようになるのです。

ジムでのトレーニングによって、引退後、20キロ以上も増えてしまった体重が徐々に減り始めると、彼女は「シュートを打ちに行こうかな」と考えるようになります。

そんなとき、故郷の街オルベリーのバスケットボールチーム、オルベリー・ウォドンガ・バンディッツでコーチをしている友人から、オルベリーでもう一度プレーしてみないかと誘われます。彼女にとって、それがもう一つの転機となりました。

2022年2月、40歳のジャクソンはオルベリー・ウォドンガ・バンディッツと契約し現役復帰を発表します。そして4月から、彼女が4歳のときに初めてバスケットボールをプレーし、今では「ローレン・ジャクソン・スポーツセンター」と改名されているオルベリーのホームコートでプレーし始めました。

さらに彼女は9月にシドニーで開催されるFIBA女子ワールドカップのオーストラリア代表候補に選ばれます。
代表選考を兼ねたトレーニングキャンプはニューヨークで行われ、候補選手の誰もが母国で開催されるW杯に出場したいという強い思いを持ち、ロスター争いは熾烈を極めました。

キャンプの後、オパールズのヘッドコーチ、サンディ・ブロンデロからジャクソンのもとにビデオ通話がかかってきます。このときの通話の映像はFIBAによって拡散され、世界中のバスケットボールファンがその歴史的瞬間を見ることになりました。ブロンデロHCが次のように言う瞬間を。

「おめでとう、ローレン・ジャクソン! あなたはもう一度ワールドカップに行きます」

チームメイトたちも41歳のレジェンドが再びオパールズの一員になることを歓迎しました。

ニューヨーク・リバティでプレーするレベッカ・アレンは、
「彼女は世界のバスケットボールの象徴であり、オーストラリア出身の最高の選手です」
と語ります。
「彼女から学ぶこと、彼女がけがを乗り越え、復帰してこれほど高いレベルでプレーしていることも含め、彼女の経験から学ぶことはたくさんあります」

また、オパールズのリーダーの一人であるテス・マジェンはチームの結束力の固さを強調します。
「このチームはとても強い絆で結ばれています。私たちには真の姉妹関係sisterhoodがあり、私たちの前にプレーしたオパールの遺産legacyを尊重し続けています」

書き換えられた結末

細心の注意を払っていれば、どの大会にも多くの物語がある。いつでも感動を与える特別な物語がいくつか出てくるものです」

女子ワールドカップのアンバサダーを務めたパウ・ガソルはこう語ります。

「個人的な物語、人間的な物語、払わなければならない犠牲、競技への愛、女性がプレーする情熱。女子バスケをあまり見ていない人々やファンの興味を引くものが、そこにはたくさんあるのです

FIBA女子ワールドカップ2022においてもっとも注目を集めた物語は、9年ぶりにオパールズのユニフォームに袖を通し、12年ぶりにW杯の舞台に帰ってきたローレン・ジャクソンの物語でした。

この大会、ジャクソンは1試合平均の出場時間が10分にも満たないロールプレーヤーであり、オパールズは準決勝で中国代表に2点差で惜敗してしまいましたが、だからといってこの大会における彼女の物語の価値が損なわれることはないでしょう。

また地元開催のW杯でオパールズは前回大会の銀メダルを上回る成績を目指し、オーストラリアのスポーツファンの多くも金メダルを期待していましたが、この大会のオパールズの結果を ”失敗” だったと言う人はいないでしょう。それは三位決定戦を戦い終えた選手たちの表情と彼女たちへの観客の惜しみない拍手から明らかなことに思われます。

ジャクソンは表彰台をかけたカナダとの試合が始まる数時間前、W杯後に代表から引退することを公表しました。
そしてオパールズでの最後の試合となった3位決定戦で、彼女は21分の出場でゲームハイの30得点を記録する圧巻のパフォーマンスを見せ、オパールズは 95 - 65 でカナダに勝利し銅メダルを獲得します。

試合時間残り2分、交代でベンチに下がるジャクソンに向けて、アリーナに詰めかけた 9,000人を超える観衆は盛大なスタンディング・オベーションを送りました。こうして彼女のオパールズでのキャリアは幕を閉じたのです。

のちに彼女は、こう語っています。
「私は自分のキャリアの終わり方のせいでおとぎ話を信じないといつも言ってきましたし、現役だった頃もそのキャリアは決して完璧なものではありませんでした。山があり谷があり、それを乗り越えるのはとても大変でした」

そして現役復帰後の一年間について、
「この12ヶ月の旅、若い選手たちと築いた関係、再びプレーできること、WNBLでプレーすること、そのすべてが私のバスケットボールキャリアの中で最も素晴らしい旅でした」
と振り返った後で、最後に彼女はこう言いました。

「これ以上の脚本は書けません」

シスターフッド(連帯)の可能性

ジャクソンの最後のワールドカップが終わってから5日後、大会の熱気が未だ冷めやらぬ中、彼女は「She Hoops」の立ち上げを発表します。

女性アスリートが直面する課題と、男性がスポーツにおいて直面する課題は異なっていると彼女は言います。
ジャクソンは実際に男子アスリートとの待遇の違いを経験したり、(彼女が史上最高のバスケットボール選手であるにもかかわらず)SNSで「キッチンに戻れ」と言われたこともある。そうした経験を経て、彼女は、「女性アスリートが尊敬を集め、スポーツ界での女性に対する偏見を打破することは大きな課題である」と考えるようになりました。

「私たちが『公平』と言うたびにいつも、キーボード 戦士ウォリアーズ は、女性には男性と同じ価値はないと言います。そういう人たちが私のような人たちをリスペクトするように私たちは主張し続け、戦い続けなければなりません」

また彼女は現役時代の度重なるけがとリハビリの過程で、バスケットボール界からのサポートが足りないと感じることもありました。そうした経験も「She Hoops」に彼女がひとかたならない情熱を注ぐきっかけになったのかもしれません。

「私はこれまでバスケットボール一筋で生きてきましたが、リソースやサポートの不足によって多くの女の子がチャンスを逃すのを見てきました。バスケットボールには、選手、コーチ、審判、運営に至るまで非常に多くの道があり、私たちは彼女たちが必要なサポートを簡単に見つけられるようにする必要があります」と、ジャクソンは言います。

「おそらく私にとって最も重要なのはコミュニティの感覚です。再びオパールズのためにプレーすることで、バスケットボールに息づいている姉妹の絆sisterhoodを確認することができました。私はすべての女性がつながりを感じ、お互いを高め合う力を与えられることを望んでいます。女性をサポートすることは私のキャリア全体を通じて非常に重要であり、このプラットフォームの目的はそれをコミュニティ全体に広げ、女性たちが歓迎され、サポートされていると感じられるようにすることです」

その「シスターフッド」はどこまで拡大できるでしょう。それが国境を超え、バスケットボールという競技の枠も超えて女性たちをつなぐ可能性、オパールも、トールファーンも、アカツキも、なでしこも、すべての女性がつながりを感じ、互いに高め合う可能性はあるでしょうか。そんなことを考えてしまいます。
なぜなら、国は違ってもジャクソンとアチョンワはほとんど同じような差別や逆境を経験していて、それはあらゆる国の女性アスリートたちに言えることだと思うから。

ローレン・ジャクソンを忘れるな

最後に日本バスケットボール界の遺産レガシーについて考えてみます。
たとえば、東京オリンピック2020での女子バスケットボール代表の銀メダル獲得という歴史的偉業、その遺産を私たちは未来へ、子供たちへ残していけるでしょうか。

それとも(なでしこジャパンの例を引くまでもなく、ずっと勝ち続けられるチームなどないのですから)、「選手が勝ち続けるしかスポーツ文化が育たないというこの国」では女子バスケへの興味・関心も一時的なもので終わってしまうのでしょうか。

カナダもオーストラリアもニュージーランドも勝つことだけに情熱を注いでいるわけではない。それは、「Mad Love」「She Hoops」「Girls Got Game」などの取り組みを見れば明らかです。

日本のバスケット界にもひとかたならぬ情熱を持った人たちがいて、試合の勝敗や大会での順位とは関係なく、このスポーツの価値、女子アカツキジャパンの価値を創出している人たちがいる。(まだ道半ばですが、そのことを『バスケットボールの定理』で示すことができたらいいなと思っています)
彼らの挑戦が遺産レガシーとして残るかどうかは彼らの選択に、そして私たちの選択にもかかっています。

また、日本代表のアジアカップの連覇は途切れましたが、それで ”お姉さんたち” の遺産レガシーが消えたわけではない。現在の女子アカツキジャパンにはアジアカップ5連覇の遺産も、連覇の始まりである2013年から2大会連続でMVPに選ばれた渡嘉敷来夢のレガシーも確かに受け継がれている。それは今大会の彼女たちを写した数枚の写真を見るだけでも一目瞭然でしょう?

もちろん、選手たちは悔しいでしょう。いくら私たちが「よくやった」「健闘した」「勝利だけが価値ではない」と言ったとしても、彼女たちにはコートやベンチにいた人にしかわからない悔しさがあるでしょう……。

けれど、ここで物語が終わったわけではありません。
ローレン・ジャクソンを思い出してみてください。
FIBA女子アジアカップにかこつけて、いろいろなことを長々と書き連ねてきましたが、結局のところ私が言いたいのはこういうことです。

彼女たちの物語はまだ終わっていない。
その結末は、いつだって書き換えられる。


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