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[イベントレポート②][書き起こし]『MONOS 猿と呼ばれし者たち』の背景にあるコロンビアの内戦を徹底解説!

10月20日に行われたFan's Voice独占試写会の上映後、朝日新聞記者で元中南米特派員の田村剛さんをお迎えしたトークイベントを行いました。
本記事では、その模様を一部書き起こしにて掲載します。
『MONOS 猿と呼ばれし者たち』鑑賞後のよきガイドになると思います。ぜひお読みください!

ゲスト:田村剛さん(朝日新聞・元中南米特派員)
進行:立田敦子さん(映画ジャーナリスト)

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立田敦子さん(以下、立田):この作品を見た感想からまずお伺いできますか?

田村剛さん(以下、田村):私は2016年の9月、それから2017年に、おそらくこの映画のモデルになった「コロンビア革命軍」、通称FARC(ファルク)というゲリラ組織を取材をしたのですが、『MONOS』を観て一番最初に、その時のことを思い出しました。非常にリアルだなと思ったのは、映画に出てくる情景です。高地の光景ですとか、息が詰まるくらい鬱蒼とした緑の熱帯世界などを思い出しました。そして、もう一つリアルだなと思ったのは、実際にそこにいるゲリラの人たちの人間性です。ラテン世界の人たちなので非常に陽気で人懐っこい面とかも見せたりするんですけれども、一方で、ゲリラの戦闘員なので、実際にやっていることは非常に残虐だったりするわけです。この映画でも、ふざけあっている横にはいつも機関銃があったり、一緒に遊んでいた仲間を木に縛り付けたり、または、民間人を簡単に殺してしまったりとかいう場面があったと思うのですが、そういうところを非常に生々しく思い出しました。

立田:この作品は、アレハンドロ・ランデス監督という、ブラジル生まれでコロンビア人のお母様とエクアドル人のお父様の間にお生まれになった新進気鋭の監督の第3作となるわけですが、監督自身が、2016年に和平が結ばれたことがすごい歴史的な瞬間であったと、そして、これからどうなっていくのか、それをきっかけに作られた作品という風にお聞きしているんですが、まずこの作品の背景にある、コロンビアの内戦、そしてその和平が結ばれた状況に関して、簡単に解説頂いてもよろしいでしょうか。

田村:コロンビアという国は、南米大陸の一番左上にある国なんですが、赤道のすぐ近くにあって、気候も良くて、アンデス山脈に繋がる3つの山脈があって、エメラルドもとれるし、植物もなんでもあって、非常に豊かな国なんです。で、その富を巡って非常に利権が渦巻いている国でもあって、スペイン人が入ってきてからずっと争いが絶えなかった国でした。特に1960年代、キューバ革命が起きて以降、社会主義を求めるゲリラ活動というのが起こりまして、その争い、ゲリラ 対 政府という構図ががずっと続いてきた国でもあります。一番最大のゲリラであったのがFARCなんですけど、その他にも色んな複数のゲリラが乱立し、三つ巴状態になって戦っているということが起きていました。そして、他のゲリラは自然消滅したり、または政党に変わって政治の場で戦ったりしてどんどん少なくなっていったんですが、FARCは最後の最後まで戦いを続けまして、コロンビアの人たちも「この戦いは永遠に終わらないんじゃないか」と。ボゴタの都市を一歩出れば、いつ誘拐されてゲリラから身代金を請求されてもおかしくないというのが日常だったんです。それが、遂に和平が結ばれて、ゲリラが武装解除して政党に生まれ変わったという、その一連の流れが起きたのが2016年だったわけです。そういう意味で非常に歴史的でした。

立田:なるほど。私たち日本人は、南米でゲリラと言いますと、やっぱりチェ・ゲバラを思い出すわけですが、チェ・ゲバラは1960年代に亡くなっていて、日本では彼を英雄視している人もいます。実際問題、今ゲリラというのは、中南米の人々にとってどのように捉えられているんでしょうか。

田村:はい、これも非常に興味深くてですね。いろんな考え方もありますし、私が言うことに、そうだよと仰らない方もいるかもしれませんが、チェ・ゲバラは日本では何となくカッコいい存在という風になっていますが、ラテンアメリカの世界の資本主義国、キューバとかは違うんですけれども、その資本主義の国で、チェ・ゲバラをカッコいいとか英雄視するとかという雰囲気はあまりありません。で、ご存知の通りチェ・ゲバラはキューバ革命の英雄であり、日本から見るとアメリカと対立していたということもあって、少々ロマンも関わってカッコいいイメージがあると思うんですが、やはりラテンアメリカの資本主義の中では、無理筋の社会革命をしようとしたとか、実際最後はボリビアで革命をしようとして亡くなるわけですが、気に食わない人はその場で射殺したりとか、そういう面もありまして、現地に行くと未だに語り継がれていますので、ちょっとイメージは違うのかなと思います。ただ、FARCの人たちは、その社会主義革命を起こそうとコロンビアで戦っていた人たちなので、まさにチェ・ゲバラたちと同じ仲間であり、実際にキューバ政府からも支援をされていたという経緯があります。

立田:田村さんはFARCに帯同されて取材されたわけですよね。どのような経緯でFARCに帯同できるようになったんでしょうか?

田村:私がFARCの取材をした時は、最終的に和平合意を結ぶということがかなり強まっていた時でした。それによって、それまではあり得ないことだったのですが、FARCも海外メディアを受け入れるということに少し心を開いていたのです。それともう一つ、そのFARCとコロンビア政府の和平交渉というのが、まさに先程申し上げたような経緯でキューバで行われていました。これを例えば、ブラジルやペルー、エクアドルで行うとなると、FARC側も警戒したと思うんですけれども、キューバというのは、FARCをずっと支援してきた国であって、しかも同じ社会主義で成功した国だとFARCは思っているので、そこで和平交渉を行っていたのです。私はキューバでも取材経験があったので、キューバ政府を通して、FARCに何とか取材できないかとお願いしまして、取材が叶いました。

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※試写会当日のシアター・イメージフォーラム館内の様子

立田:この映画の中では、アメリカ人の「博士」が誘拐されています。誘拐というのは、ゲリラにとって一つのビジネスとして成り立っていると思うんですが、そういう歴史はあったんでしょうか。

田村:今仰ったように、FARCの二大収入源というのがありまして、その一つが人質をとって身代金をとることです。これがものすごい額でした。ちなみにもう一つは、麻薬を自分たちで生成して裏からアメリカに売るビジネスです。これが、後半はかなりの収入源になっていたんですが、前半は人質をとるというのが柱でした。ただ、世界中から外国人をずいぶん誘拐して殺したりしていたので、世界中から批判されまして、2010年代ぐらいだったと思うんですが、FARCが「もう人質はとりません」と宣言したという経緯があり、その後の収入源は麻薬の密売になっていました。ただ、あの映画に出てくるような光景が、以前は日常的に繰り返されていたということです。

立田:田村さんは、映画で描かれているような少年兵にもお会いしたんでしょうか。

田村:はい、会いました。私が会ったのは10代の少年たちでした。10代以下の子供の少年兵たちもいると言われてたんですが、私は会うことができませんでした。なぜ彼らはゲリラに入ったかというと、コロンビア自体が内戦状態にあったので、例えば政府軍がやってきてゲリラと密通しているだろうと言われて親が殺されてしまうとか、または、それ以外の民兵がやってきて、村を荒らされてしまい、じゃあ自分たちがゲリラに入って仇を打とうという風に、負の連鎖がどんどん続いていくんです。または、ゲリラたちが「俺たちは社会主義だ。俺たちが勝てば、君達貧しい農民に農地をあげる」と言ったことを信じ、両親が大変だから私たちはゲリラになって戦おう、という経緯でなった人たちもいます。

立田:彼らはゲリラでいることに対して誇りを持っているんでしょうか。それとも疑問を持ってるんでしょうか。

田村:疑問は全く持っていなくて、子供のうちから、これが自分たちの正義なんだ、崇高な理念のために戦っているんだと、ずっと日夜教え込まれているので非常に誇りを持っていました。「生まれ変わってもゲリラになりたい」というようなことを言う人がほとんどでした。ただ注意しなければいけないのは、そういう風に子供の頃から刷り込まれているので、客観的にみた時に、その少年に銃を持たせてこれで人を殺せとか、地雷を埋めてこい、などと言うのは許されることではないと思います。実際にそれで死んでいった子供たちも沢山います。あと、ゲリラの中で非常に目につくのが、手や足がなかったり、耳が聞こえない人の多さです。地雷を埋める時の操作ミスで腕を吹き飛ばされてしまうなど、敵にやられたわけではない人も沢山いた訳でして。なかなか悲惨な状況だなというふうに思いました。

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立田:この作品を見たときに、子供たちだけで、あの密林の中で食料もまともにない状態で、銃を持って生きながらえている。それ自体に驚いたんですね。ある意味、これはファンタジーなのかと思ったくらいなんですが、このリアリティというのは、田村さんから見てどれくらいあるんでしょうか。

田村:これは十分あることだと思います。実際に、子供たちだけで形成された小隊がずっと永遠に続くかというと多分そうではなく、指示をする大人たちというのは必ずいると思います。映画にもそういう人がいましたね。ただ、こういう現実というのは起こっていたと思います。あと、密林というのは猛獣も変な虫もいて、この映画にも出てきましたが虫が沢山たかってきたり、雨が降ったりして、普通の人ではなかなか生き延びられない場所なんです。ですが、FARCの人たちと接していて思ったのは、彼らは長年の蓄積で、どこに水があるのか、どうすれば敵に見つからないのか、日光を防げるのかというノウハウを持っているんです。それを持っているから、生き長らえることができたんだと思います。

立田:映画の最後、ヘリコプターで向かっていくところで、密林の向こう側に大都市が見えますよね。大都市と密林での生活というのは、どのくらい隔たれているものなんですか。

田村:これはもう全く違う世界です。コロンビアというのは南米の中では人口では2番目、経済ではブラジル、アルゼンチンに続いて3番目に大きな国で、しかも先進国クラブと言われるOECDにも加盟するぐらい、経済力や国際的な信用もある国です。(首都の)ボゴタは国際都市で、高層ビルが立ち並んでいますし、ほかにもメデジンやカリなどの大きな都市があるんですが、ボゴタと同じような雰囲気です。ただその一方で、いまだに人が行けないような地域、山脈が3つ通っていると先ほど申し上げましたが、そういった山の中の世界というのも沢山あります。密林と大都市の差、というのは私たちが想像する以上に大きいと思います。

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立田:監督はこの作品について、ある種の希望も描いたと仰ってるんですけれども、実際問題、今のコロンビアで希望というものはあるんでしょうか。

田村:そこを考えるには、2016年の和平合意がその後どうなったかということを簡単に説明したほうがいいと思うんですが、その歴史的だと言われた和平合意の後、ゲリラは武器を捨て、政党になり、政治参加をすることが認められたんです。しかし実際には、ゲリラへの差別や反感というのが非常に大きくて、街に行ってゲリラたちが働こうとしても拒絶されたり、あと、今すでに200人以上の元ゲリラが街に戻って何者かに殺された、ということも起きています。そして多くのゲリラたちが、決して全員ではないんですけども、再び山に戻ってゲリラ活動を始めるということが起きています。これによって「和平合意は失敗だった」という声もないわけではありません。ただ、私の考えではやはり、これは一つの意味があったと思っています。ゲリラ活動に戻ったのはごく一部で、全体的に見れば多くのゲリラは市民に戻ることができているんです。
あと、実際に取材を通して親しくなったゲリラの女性兵の方と、しばらくやりとりを続けていたんですが、翌年のクリスマスに「今ボゴタにいます」というメッセージとともに、赤いワンピースを着た写真が送られてきたんです。本当だったら、手榴弾を胸にいれて、機関銃を枕元に置いて寝て、明日の命も知れないような生活をしていたような人が、ワンピースを着てクリスマスの夜に国際都市ボゴタを歩いている。そういうことが起きただけでも、やはり和平合意というのは意味があったと思いますし、監督が言う「希望を見出している」ということは、私は頷けるかなというふうに思います。

立田:なるほど。この作品の根底にあるのはやはり、世界的な映画のテーマともなっている貧困と分断という大きなテーマが根底にあるからではないかと思うんですが、日本の観客に対して、この作品はどんなインパクトがあると思われますか。

田村:そうですね。今仰いましたけど、映画の根底にあるのが「貧困と分断」や、「内戦下にいる人たちの苦悩と分断」だと思います。最後、ヘリコプターで都市に戻るシーンの中に、非常に大きな分断が象徴されていると思います。実はこれはコロンビアだけの問題じゃなくて、同じような苦悩と分断は世界の至る所にあって、戦争やテロ、そして互いに理解しあえない不寛容な世界というのが芽を出していますよね。そういう意味で、これは私たちと同じ地続きの世界にある問題を取り扱っている、コロンビアという遠い地球の反対側の話ではなくて、私たちも同一線上にいる、という風に観ると、また見方が変わってくるのかなと思います。

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立田:もともと南米文学で言われている「マジックリアリズム」という表現がありますが、この作品でもその匂いがすごく感じられます。この作風について、南米をよく知る田村さんからみて、どのように思われましたでしょうか。

田村:今「マジックリアリズム」という言葉が出ましたが、リアルなんだけれども、本当だとは思えないくらいの魔術的なリアリズムのことを「マジックリアリズム」と言うんだと思います。コロンビアの作家ガルシア=マルケスはご存知の方多いと思いますけれど、そのガルシア=マルケスが描く世界が、マジックリアリズムの典型の一つだと思います。で、コロンビアという国がですね、まさにあり得ないことが起きてしまっている国なんです。21世紀を目前にして、半世紀以上も同じ国民同士で内戦をやっていて、それが突然和平合意ができて、しかしそれがまた失敗するかもしれないと…、嘘で本当のような話があるんです。この映画でいえば、あまりに綺麗な高地の空や自然の美しさ、一方で、少年たちだけで暮らして機関銃をぶっ放しているという、あり得ないような対称性というのが、この映画の中にある「マジックリアリズム」の世界なのかなと感じました。

立田:ありがとうございます。そろそろお時間となってしまいました。最後に改めて、メッセージを頂けますでしょうか。

田村:コロンビアの映画を観る機会は、なかなか日本ではないと思います。ラテンアメリカというと遠いイメージがあると思いますが、ラテンアメリカは、人々が本当に明るいですし、音楽も芸術も、各国の文化というのも、非常に豊かなところです。今回の作品は内戦を主に取り上げていますが、平和というメッセージもすごく強く込められていると思います。こういう映画を見ることは、非常に重要な機会だと思いますので、せびこれを機にコロンビアや中南米に興味を持って頂ければなと思います。

立田:ありがとうございました。

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『MONOS 猿と呼ばれし者たち』公式サイト

Fan's Voice 公式サイト

田村 剛/朝日新聞記者。1976年、札幌市生まれ。2005年入社。青森総局、横浜総局、東京社会部を経て、14年9月から18年3月までサンパウロ支局長として中南米特派員。17年7月からはハバナ支局長も兼務。

★田村さんの著書
『熱狂と幻滅  コロンビア和平の深層』(朝日新聞出版)
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