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トップメッセージ発信の落とし穴:前編


1 _ 重要性が増すトップメッセージ

トップメッセージは、時代を問わず、社内報の基本コンテンツの一つです。しかし、IC業界の制作現場に10~40年以上身を置く私たちも、トップメッセージの好事例に触れる機会は、残念ながら多くはありません。もちろん、私たち自身も、トップメッセージの制作現場に直接かかわり、頭を悩ませた経験を幾つも積んできました。

映像社内報が始まってブレイクしていくのが1982年あたり。80年代半ばごろビデオ社内報の導入に取り組んだ人もいます。新春トップメッセージを録画、ダビング、世界各地の拠点へ発送する企画を立案し、さまざまな段取りを経て実行に移しても、まったくの誤算に終わった方もいます。

年末年始の休暇中に、社長とひざを突き合わせ、練りに練った新春トップメッセージを書き上げても、新春祝賀式の本番で社長は原稿には書かれていない話をはじめ、再び原稿修正の迷路をさまよったり。

そして現在、トップメッセージの共有は、これまで以上に重要な時代に変わってきました。それは、私たちが目にするさまざまな業種の社内報からも、企業と社員の関係性の変化が読み取れます。企業経営がトップダウンで行われていた時代は、経営層の考えを社内に浸透させ、全員がそれに従って行動することが求められてきました。社内報も、「経営情報の伝達」に主眼が置かれていた時代です。

しかし、現代のように変化が激しく、将来の予測が難しい時代には、トップダウン型の経営スタイルでは、変化のスピードに追いつけません。社員一人ひとりが組織のビジョンを理解したうえで、迅速に変化の兆しをつかみ、自発的に的確な行動をとることが求められています――。

2 _ 紙社内報の落とし穴

そういった時代認識をIC担当者が持っていても「魅力的なトップメッセージはなぜ少ないのだろう」と、私たちは改めて考えてみました。

まずは、ツール別の失敗例から探っていくことに。

長年の王道であった紙社内報の場合は、一時期「長い文章は読まれない」と編集者が気をまわし、断片的な情報の羅列に陥っていた潮流がありました。昨今では、さすがにその潮流は影を潜めてきましたが、それでも「社長の本音が出ている企画」と、「作られた企画」の割合は、残念ながら後者が過半数を占めているように見て取れます。これは、ハッキリ言ってしまえば、自筆と代筆の差です。

「読まれない」要因の第一位は、代筆原稿。仮に広報部長や経営企画部長が、文章の達人であったとしても、社長本人ではありません。きれいに整った文章だから読まれるのではなく、本人の息遣いが感じられるような、本人の熱がこもったメッセージでなければ、偽ブランドと一緒です。目の肥えた消費者が偽モノに気づくように、代筆文章に、読者が魅力を感じるはずはありません。

では、自筆であれば、どのような文章でも読んでもらえるか?と言うと、ここにも疑問が残ります。自筆のメッセージであっても、読者のことを考えず、社長の世界観を押し付けた文章に、共感が得られるでしょうか。トップメッセージに限らず企画というのは、「読んでいただく、見ていただく」ということをよく想像し、読み手や視聴者の立場にたつこと。読み手を想定し、その人たちが興味を示すように、理解がしやすいように言葉を選び、メッセージを作りこまなくては、読者は素通りしてしまいます。

そもそも、紙やWebで読まれない文章は、本文を読む以前に、魅力のないコンテンツの印象「逆オーラ」を放っています。「逆オーラ」を放つ最たる要素は、ビジュアルやリードです。社長の写真は社員に向けて自身の熱い思いを語ろうとしているものではなく、どこかで使ったありものの写真だったり。投資家向けの挨拶用のポートレートであったり。さらに、防御や威圧の象徴である腕組みポーズは論外です。これらの写真で、社員がトップメッセージを読みたくなるとは到底思えません。

一方、リード文は、言葉遣いに違和感を覚えるものも散見されます。「社長にお伺いします」という表現は、いかにも社長を「たてまつる」風土の象徴で、活字に現れやすいようです。編集部のスタンスは「リード文」に現れ、たとえ担当者に「たてまつる意識」がなかったとしても、部長や課長といった中間層の「上(上司)」に対する忖度が圧力となって掛かってくることもあるでしょう。「紙は残るから失礼があってはいけない」という意識も邪魔になります。また、社内のみならず、規模の大きな企業グループになると、子会社の社長は親会社の手前 “間違った” 文書は出せません。柔らかめのカジュアルな話も一切なく。その結果、面白みのない硬い文章になるというケースも私たちはあちらこちらで見てきました。

さらに、別の角度から「紙社内報」を見ると、日本語の特性にも要因がありそうです。日本語は、良くも悪くも丁寧語や尊敬語、謙譲語など、さまざまな「型」が存在しており、活字媒体ではそうした「型」にのっとって作ることも「硬い文章」の要因でしょう。結局、「あるべき社長像」「権威あるもの」として捉えるトップがいまだに多いのが実態です。

では、こういったものをどのように変えていけば良いのでしょうか。

3 _ 素が出る動画メッセージ

これまでの状況に“風穴”を開けたのが、ここ数年顕著に現れた新しい「動画」のスタイルです。YouTube風の動画が、過去長年にわたり当たり前のように作り出されてきた“嘘”の世界を破壊しました。“嘘”の世界は、活字ではとりつくろって作り出すことができましたが、YouTube風の動画ではそれができません。映像の世界では前から囁かれていましたが、“嘘”がすぐにバレてしまうのです。

一方、動画は前述のような「型」が確立されておらず、それぞれの組織が、組織文化や社長のキャラクターに即して自由に最適化できる特徴をもっています。とは言え、現状は原稿が型通りで動画の長所を発揮せぬまま型の表現止まりになっている動画も少なくありません。もちろん、 型に左右されないYouTube風動画やYouTube風とは一線を画す、従来型の良い動画も増えていることは間違いなく、トップメッセージのあり方に新しい風を感じます。

では、ツールを紙から動画に切り替えさえすれば、トップメッセージは社員に共感を持たれるのでしょうか。もちろん、そんな単純なものでもありません。動画は紙と違い、取り繕うことができず「素」が如実に出ます。すると、こんどは「素の出方」によって、メッセージを受け取る印象も大きく変わってきます。

動画のトップメッセージで、印象を左右する要素は何でしょうか。厳密に言えば用途によってポイントは違ってきますが、基本は、より自然に自分の言葉として思いを語ってもらうことです。これは、トップのキャラクターによって、得手不得手があるのは仕方がないことです。編集者(撮影側)が、できることは、いかに自然に見せ、内容を分かりやすく伝える撮影の仕方と、編集を工夫すること。そこで、自然に見せるために、プロンプターを使うのも一つの方法になります。

ただし、このプロンプターは、単に「使えば良い」ではなく、上手く使えないと逆効果。落とし穴があるので、要注意です。それを私たちの間では、「プロンプター問題」と呼んでいます。

つまり「流ちょうに話すこと」に重きを置いて、プロンプターを棒読みしているトップメッセージは、前述の面白みに欠ける、典型パターンの一つです。味も素っ気もなく、見ている側としては、メッセージの内容以前に、何だか気持ちが入っていないなぁと興ざめしてしまいます。プロンプター棒読み社長の真の問題は「社員とともに生き抜くことへの意識と志の欠如」と言っても過言ではない…私たちはそんな風に思っています。

後編へ続きます。

※後編の内容

4 _ 素の出る動画の好事例
5 _ アクセスが伸びないWeb社内報の特徴と、挽回方法
6 _ 「プロンプター問題」の解決法
7 _ ツール別のまとめ

まとめ:古川由美


この記事について

“ざわざわ”は、ツールの使い方や社内コミュニケーションの最適解を教え合う場ではありません。道具が多少足りなくても、できることはないか?姿勢や考え方のようなものを「実務」と「経営」の両面から語り合い、共有する場です。

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