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自分が消える

時たま
自分が消えたことを感じます。


素敵な音楽を聴いているとき。
人に触れているとき。
騒がしい空間に身を投じているとき。
周り、あるいは自分の忙しさに追い込まれている時。
相手から一方的に強く主張されたとき。

そんなとき、
その空間や時間から自分の感覚や思考がすっと消えるんです。
ただ器になる。それだけ。
何も感じないし、何も考えられません。

面白いんです、この感覚。
急に糸がプツンと切れたように、
私が現実からカットされて、
一時的にどこか別のフォルダに置かれてる感じ。

じゃあ、その間器になった身体は何をしてるのかと言うと、
他者の感情を疑似体験しています。

歌詞や旋律から受け取った感情を、
たとえ自分が経験したことのない感情でも
器の中で再現してしまう。
周りの声や態度から、
その人が何を感じ考えているのか察知して、
それを器の中で再現してしまう。

自分の行動や経験から発生した感情ではないのに、
勝手に生み出されてしまうんです。

厄介極まりないですよ笑

どこにいようが、
感動的な曲を聞けば
心が苦しくなって勝手に泣いてしまうし、
イライラしている人を近くに感じたら
私もイライラ・焦りを感じますから。

でも、
厄介であり誇りでもあります。

あらゆる感情を
あらゆる人・ものを通して
知ることができる。

完璧に全てを感じ取ることは不可能ですが、
人生経験が浅くても、
感情から多様な世界を覗くことができる。

そこから得る発見というのは、
勝手に私の世界を装飾してくれます。
自分じゃ染められない色が、
いろんな形を模写して、
私の体内で個展を開いてる感じですかね笑

こんな特性を持ってるんだから、
もっともっと、
表現に還元出来たらと思う今日この頃です。

インプットを超えるアウトプットで、
皆さんに更なる感動を与えられたらなあ。

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