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自分にとって「記事を読む」ということ

noteという媒体に触れて記事を色々読んでみて、久々に昔から好きだった記事の読み方に気付いたので、メモがわりに記事を書いてみようと思います。

きっかけ

発端は、ひらやまさんの

2日間で330人以上のnoteを通して、「読むこと」の価値を再確認できた話。

をたまたま読んでいた時のことです。

実は一人のnoteを全部読むことをたまにしています。(noteの加藤さんや深津さんなどは全部読みました。) 全部読んでみると、その人の思考の流れや全体とした大切にしていることがうっすらと見えてくる気がします。

この一節を読んで過去の自分を振り返ってみると、「昔から誰かしらのブログを遡って読むのが好きだった」ことに気がつきました。

過去の自分を振り返りつつ、これからどうしていきたいかを書いてみます。

ある人の記事を遡って読むのが好きだった

私が好んで読んでいたブログの種類は、日常の出来事を面白おかしく描いて、時々真面目なことを放出する系です。特に、自分のいる環境や立場では経験できないような出来事を等身大のその人の言葉でつらつらと書かれているものが好きです。

過去にはまったブログの例を挙げると、大学の受験生だった頃に読んでいた にょ的生活 というブログ(どうやらもう消えてしまっているようです)がとても大好きでした。専門的なことを楽しそうに勉強していたり、時折開催される たこパ (たこ焼きパーティー)の描写など、軽いボケを挟みつつ赤裸々に綴っている様子にはまってしまい、数百記事はあったと思うのですが読破してました。

自分なりに考察してみると、何かのブログにはまっている時って、どこか自分の日常に物足りなさを感じていて、そういう日常を送りたいという憧れを持っていることが多いです。

その人の普段考えていることや価値観の変化を時系列で追体験することで、一人では到達できなかった価値観を持てるようになることが楽しいのだと思います。

そして現在

最近はそういうブログ一気読みをしなくなっていました。ブログを読むにしても、自分の仕事に関係のある記事を単発で読んだり、流れていくTwitterのタイムラインを眺めたりするくらいです。

技術的な記事は実務で役に立ちはするものの、筆者に注目するというよりは、内容に着目することが多いため、一気読みという気持ちにはなりません。

「ある人のTwitterを遡る」というのも何か違う感じがしています。そもそもその人の日常を点で見るよりは、時系列で変化を追うために過去からちょっとずつ読んでいく必要がありますが、Twitterは時系列で一気読みするのにあまり適していません。ツイートの粒度が小さすぎて、全部追うのが大変というのも大きいですね。

他人の人生を覗こう

現状の自分の情報収集の仕方に無意識で感じていたモヤモヤ感が晴れた気がします。

やっぱりブログ(note)を読みまくろう!

「今さら?」感は否めない気付きですが、自分にとっては忘れかけていた大切なものを取り戻した感覚です。

このnoteも自分のキャリアのための情報発信の場として始めたのですが、「書くだけ」だと、おそらく長続きしないだろうなと思います。

どこか頑張らなきゃ、と知らず知らず自分にプレッシャーをかけるのはやめにして、自分の好きなあり方で続けていくのが大事なんですね。

他の人生を覗き込み、自分の価値観に反映させていく、この感覚をnoteを読みまくる・遡りまくることで取り戻していきたいと思います!

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