カービィのエラー品は唯一無二性を確立しうるか
ハッピーセットのカービィが人気すぎて大変なことになっていたらしい。
ハッピーセット好き、ぬいぐるみ&ドール好きなので情報解禁時にはちょっと心揺れたものの、先回の50周年キティ先輩を思い出してやっぱいいやとなった。
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転売ヤーの影響もあるにせよ、20数年前ってこんなにハッピーセットで大混乱が起きていたっけ、とつい思ってしまう。
何歳でも買っていいのは前提として(私もお世話になっているし)、昔はもっと純粋に、ハッピーセットは子どもに向けられたものだった気がする。質どうこうではなく、雰囲気的に。
しかし幼い頃は見えている世界が狭く、SNSで大勢の見知らぬ他者の動きを目にする機会もなかった。つまり、知らないだけで当時も激しい争奪戦が繰り広げていた可能性もゼロではない。安易に「昔はよかった」とは言えないね。
……店内がおもちゃを求める人々で溢れ、注文後何十分も待たされる、なんて光景を見た記憶はないけれど。
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そのへんの真偽は置いとくとして。
当方、オリジナリティが好き、かつ天邪鬼である。
そのため大勢の人が一斉にアップしていると、「他の人も持っている」ということが可視化されてしまい、少し冷めてしまうのだ。
しかし、今回のカービィはどうやら”均一的”ではないらしい。
エラー品が混じっているらしく、ピンクの頬や目のキラキラが付いていなかったり、形が歪だったりしている個体がTwitter上で相次いで報告されていた。
「相次いで」と言っても、全国各地で提供されたカービィの中の一部なので、割合としては意外と少ないのかもしれない。でも、そもそもエラー品は1個でも出すべきではないのよ。
そんななか、個性的なカービィたちを見て思うことがあった。
均一的になる運命だった大量生産品に、エラーによって唯一無二性が付与されたのではないかと。
とはいえ、エラー品を待ち望むのは違う気がする。
それなら、正しく精巧につくられたものを自分なりにアレンジすればいいのではないか。たとえ量産されたものであっても、自分の手が加わったことでそれは「唯一無二」となる。
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例えば、私の推しコンテンツ界隈では、公式商品のぬいぐるみに別の服を着せたり目にラメを付けたりしているのが流行っている。
そうすることで、ぬいぐるみ自体は量産品(といっても常に売っているわけではないため、時期を逃すと全然手に入らない)であっても、一人ひとり表情や雰囲気が違って見えるのだ。
それぞれの家で愛されているのも写真から伝わってくるのがまた微笑ましくて、写真を見るだけで幸せな気持ちになる。「#ぬいぐるみじゃありません家族です」もあながち間違いではない。
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話があちこちに飛んでしまったが、総括するとこんな感じだろうか。
つまり、私は数多のカービィ投稿に冷める必要はなかったし、マックもエラー品を量産する必要はなかった。
まあ、推しコンテンツが万が一ハッピーセットになったら、こんなこと考える間もなく凸するんだろうけどね。
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