ほうれん草の恩返し
夜中に、ほうれん草を茹でている。
別に、夜中にほうれん草を茹でちゃいけない、って決まりや迷信もないし、「夜中にほうれん草を茹でるといいことがあるわよ」、って野菜の精に言われたわけでもなんでもない。
だから別に声高に、堂々と言うことでもなんでもないのだけど、でも結果的に、夜中にほうれん草を茹でて、いいことがあった。
◇ ◇ ◇
僕がいま使っている手帳には、「My100」みたいなページがある。そこに、今年やりたいことを思いつく度に、書き留めている。今月はなんとなく「一日一回、人に親切にする」と書き足してみた。
それを書いた意味は特になく、最近荒れ気味の自分の気持ちを落ち着けるため、まずは人に優しくしてみよう、という試みで書いただけ。だけど、うっかりすると、人に優しくするどころか、人と話さない日とか、たまにある。
別にゆるりとした決め事だから、それができてもできなくても罰をうけるわけでもないし、気づいたらやろうね、くらいの軽いノリである。
それでも、それができなかった日は、「あ、今日は人に親切にしてないなぁ」なんて夜中にボーっと考える。
まさに今日がそんな日。
帰りが遅かったので、一人で晩ご飯を食べて、お風呂に入って、歯磨きをして、水飲んで寝るかー、と冷蔵庫を開けたら、そこに萎びたほうれん草があった。土曜日に買ったやつだ。けっこう立派なほうれん草だったのに。
それで僕は、今日は人に親切にできなかったので、ほうれん草に親切にしてやろうという気持ちになって、いつもより大き目の鍋を用意して、適量の塩でさっと茹でてやった。
冷蔵庫の奥で干からびるよりは、綺麗なみどり色を保ったまま、今晩お浸しになるほうれん草はきっと喜んでくれているであろう、今日もいいことしたなぁ、そんなことを考えながら出来上がったお浸しをタッパーにしまい込んだところで、奥さんが起きてきた。
「あ、ほうれん草茹でてくれたの?ありがとう!今日やろうと思ってて忘れてたの」
思いがけず、感謝されてしまった。
野菜に親切にすると、人に感謝されることもあるのか。目からウロコだった。
人に親切にできなかった日や、自分に優しくできなかった日は、夜中に冷蔵庫で泣いている野菜を、助けてあげるといいかもしれません。きっと誰かの役に立つ、と思う。他人とか、自分とか。
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ちなみに、ほうれん草は大き目の鍋で一株ずつしゃぶしゃぶのが、美味しい茹で方だそうです。僕はほうれん草にそこまで親切ではないので、一気に茹でました。夜中にほうれん草茹でるのも、けっこう眠いからね。明日は、人に親切にします。
お蕎麦屋さん開きたい。