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Birthday

 ボクが、小さいころのクセで、容器をベコベコつぶしながら紙パックのジュースを飲んでいると、弟がやって来てボクの頭を叩いた。

「おまえ、なにジュース買ってんだよ!」
「だって、だって」

 頭をおさえるボクに、弟は、
「そんなんだったら、いつまで経っても、お金たまらないだろ!」と怒る。

 もうすぐ、お母さんの誕生日なので、ボクらは2人でお金を貯めて、何か、ちゃんとした物をプレゼントしようと計画していたのだ。
 ボクらが今まで、お母さんにプレゼントしたことがある物といえば、面白い形の石とか、実際に使用するとものスゴイ嫌な顔をされるお手伝い券とかで、本当にプレゼントらしい物をあげたことがなかった。
 そこで、今回は本物のプレゼントをあげようと、弟が言いだした。

 弟が、こんなことを言いだしたのには訳がある。今年の弟の誕生日に、お母さんは、弟が前から欲しがっていた自転車を買ってくれたのだが、当時の我が家の状況からしてみれば、自転車はなかなか高価なもので、弟も「ほしい、ほしい」と言ってはいたものの、実際に買ってもらえるとは思っておらず、本当にプレゼントされた時には、子どもながらに嬉しさだけでなく、なんだか迷惑をかけたような、少し申し訳ない気持ちも感じていたようだ。

 そんなことがあったので、弟は今度のお母さんの誕生日には、自分もちゃんとした物をプレゼントしようと思い、ボクもそれに付き合わされる事になった。

 お母さんの誕生日の前日に、ボクらは貯めた小銭を広げて金額を数えた。
 一体なにを買うつもりだったのか知らないが、弟は、
「ダメだ、ダメだ! こんなんじゃ全然足りないよ!」と言った。
「そもそも、ちゃんとしたプレゼントって、なんなのさ」
 ボクの問いに弟は答えず、
「しょうがない。コレをシンペイの所に売りに行くか」
 と、ボクのお気に入りの『ガッピンガー人形』を手に取った。

 シンペイの所というのは、この時期、ボクらがよく遊びに行っていた、ガラクタ屋みたいなリサイクルショップで、ここの店員のシンペイという青年が、芸人志望のおもしろい人だった。
 ちなみにガッピンガー人形は、ボクが誕生日に買ってもらった、キャラクター人形だ。
「ダメだよ、なんでボクのガッピンガー売るんだよ! それなら風時の自転車売ればいいだろ!」
「バカ! せっかくお母さんが誕生日に買ってくれたのに、そんなこと出来るわけないだろ!」
 ボクは理不尽に、また頭を叩かれた。

 結局ボクらは、台所に置いてあった土鍋を持ち出して、ガラクタ屋に売りに行った。
 シンペイは困った顔をしながら土鍋を見て、
「アカン。こんなん買い取られへんわ。大体自分ら、よお変なもん持ってくるけど、いっつも、子どもからは買い取られへん言うてるやろ」
 と言った。

 弟がショーケースの中に入ったブランド品のバックを指して、
「じゃあ、アレと交換して~ん」
 と言うと、
「アカンに決まっとるやろ! なんで土鍋とシャネル交換せなあかんねん!!」
 シンペイは頭から湯気を出した。

 弟はシンペイに向かってさらに、「どケチ」とか「給料半分よこせ!」とか憎まれ口を叩いた。するとシンペイは、
「コラー! お尻ペンペンザます!」
 と怒って、逃げる弟のことを追いかけた。

 2人は店の中を、追いかけっこしていたが、弟は不意に中古のテレビがいっぱい置いてあるコーナーの前で止まって、テレビに見入った。
 画面には、ボクらが生まれる前からやっている、国民的お昼の人気番組『森義アワー』が写っていて、アシスタントの若者が、
「スゴワザちびっこ大募集!」と告知していた。
「スゴイ技を持つちびっこは、明日、朝9時半までに集合! 優勝者には、家族で行く箱根2泊3日の旅をプレゼント!」
 弟は、
「これだ!」と声を上げた。

「アカン! もっと声張って」
「お前がシッカリしないと、お母さん箱根に連れて行けないだろ!」
 シンペイと弟の檄が飛ぶ。スゴワザちびっこコンテストに出ると決めてからの、弟とシンペイの団結心はすごかった。

 毎日ひまな店内で森義アワーを見ている、ヘビーオーディエンスのシンペイは、面白がって、
「これなら優勝間違いなしやー」と自分の書いた漫才の台本を出してきた。
 特にスゴワザを持つわけでもない弟も、
「よし、じゃあコレで出よう」と、ボクの意見など関係なしに2人で決めてしまった。

 もともと、何に対しても勘がよく、器用な弟は、間や声の張り方も含めて、すぐにコツをつかみ、シンペイに細かく指導されることも無く台本をこなしたが、ボクは、何もかもがダメだった。

「……なんで漫才なの? ボクやりたくないよ……」
 弱音を吐くボクに向かってシンペイは、
「頑張るんや。兄弟で漫才するなんて、ちびっこコンテストに今までないパターンやで。これが上手くいけば優勝間違いなしどころか、子どもの漫才師として他の番組にも引っ張りだこや。そしたらその内、ネタ書いたん誰やいう事になって、ワシも大ブレークや!」
 と、妄想を語った。
「なんでやね~ん……」
「ちがう! もっと声張って!」
 その日、ボクの弱々しいツッコミと、シンペイの檄は、日が暮れるまで公園に響いた。

 次の日、ボクらは朝早くに家を出て、駅でシンペイと待ち合わせて、お母さんのプレゼントを買うために貯めていたお金の中から、自分たちの電車賃を出し、新宿へ向かった。

 収録スタジオがある建物の前には、すでにオーディションを受けにきた人たちが沢山集まっていて、ボクらもその中に混ざり、テレビ局のスタッフに案内されるまま、控え室に入った。
 その間、シンペイは何度も、「次、来るときは付き添いやのぉて、テレフォン・トーキングのゲストとして、モリさんと絡みたい、絡みたい」と言っていた。

 控え室の中では、スゴワザ自慢のちびっこ達が、オーディションを前に技の最終チェックに余念がない。
 見ると、ほとんどみんな、ボクらより年上で、芸も手品やら空手の演舞やら本格的なもので、少なくてもボクらみたいな一夜漬けのものは誰もいないように見えた。

 ボクは、すでに周りの空気に飲まれていた。
「草慈、シッカリするんや。昨日あれだけ練習したんやから、そんなに緊張せんでも普通にやったら大丈夫やで!」
 ボクの様子を心配して、シンペイが声をかけてくれた。

「なんでやね~ん! 言うてみ」
「なんでやね~ん」
「もっと元気よく」
「なんでやね~ん!」
「そうや、その調子や。もういっぺん!」
「なんでやね~んっ!」
「エェで、エェで。これで箱根はお前らのもんや!」

 ボクらの様子を隣で眺めていた、少しハイソな感じの母娘がクスクス笑いなが、
「あら、お宅たち、お漫才をおやりになるの。愉快だわね~」
 と話しかけてきた。
「そおや、こいつらは、なにを隠そう爆笑、漫才兄弟なんや。悪いけど優勝は諦めてや」
 お母さんの方が、
「家の子は英語が得意ですの。みち子って言うの、よろしくね」
 と娘を紹介すると、娘は、
「マイ・ネ~ム・イズ・ミチコ・オオバ、ナイスチュ・ミー・チュ―」
 と英語で自己紹介した。

 今なら、自己紹介ていどの英語なら、犬でも喋る時代だが、20年ほど前、1980年代当時は……、やはり犬でも喋った。
 ミチコ・オオバ、レベルの英語を喋る子どもは別に珍しくもなく、
「マイ・ネーム・イズ・ミチコ・オオバ、アイ・アム・ガール」
 と自己紹介する彼女に向かって、面接官であるプロデューサーは、
「君さ、それだけなの? 毎週来るんだよね~、英語を喋る子っていうのは。喋りながらなわとびするとか、鼻でリコーダー吹くとか、何かないの?」
 と、冷たく言った。

 そんな様子を直前に見ていたので、ボクは自分たちの番が来た時に、プロデューサーのことが怖くて、ブルッてしまい、とても漫才を出来るような状態じゃなかった。
 それに比べて弟は、
「緒川 風時です。よろしくお願いします」
 まったく怖じ気づく様子もなく、愛嬌たっぷりに自己紹介をすると、オロオロしているボクをよそに、ネタを始めた。

「しかしまぁ、なんですな、最近、物騒らしいでんな~」
 ボクは、まともに相槌もうてなかったが、弟は軽快なテンポで喋り、ネタはドンドンと進んでいく。
「――そしたら、そいつがオカマやってん!」
「…………」

 弟のボケに対して、無言で立ち尽くし、ツッコむ気配すら見せないボクに、弟は殺気立った視線を送ってきた。(おまえ、ちゃんとしないと殺すぞ!)というメッセージのこもった、殺人アイコンタクトだ。
「……、あ、ああ、な、何なんだよ~」
 周りが〝シ~ン〟としているなか、ようやくボクが、喉の奥から絞り出したツッコミは、なんもかんもが間違っていた。
「『それ、ほんまかいな!』だろうがよ!!!」
 弟はキレて、本気でボクの頭に拳を振り下ろした。
「イタタタタ……」

 頭を押さえてうずくまるボクの事を見て、周りの人たちは確実に引いていたが、あの、冷たい感じのプロデューサーだけは、
「ちょっと、ちょっと、それはやりすぎだよ」
 と言いながらも、目尻を潤ませ爆笑していた。
 その後も、ボクはずっとオロオロしているだけだったが、弟がひとり頑張ったので、なんとか最後までネタをやりとおす事が出来た。


 オーディションが終わったあとの、シンペイと弟の態度は、それはそれは酷かった。
「お前のせいで、ワイの書いた台本が台無しや!」
「この腰抜け野郎が! お前みたいなのが兄貴だと思うと恥ずかしいよ!!」
「そやそや、こんなヤツもう兄貴やない。ただの腰抜け野郎や!」
「最初からコンビでやろうとしたのが間違いだった。ひとりでやれば良かったわ」
「そやそや、絶対、風ちゃんピンの方が良かったわ。これからはこんなヤツと兄弟も辞めて一人っ子として生きていき」
 2人の弱者に対する冷たさは徹底しており、シンペイは、
「お疲れ、風ちゃん。これでもお飲みや」
 弟にジュースを買ってきたが、ボクには、
「お前は便所の水でも飲んどれや!」
 と言い、弟も、
「そのまま下水道に流れていってしまえ」
 と言った。

 あまりの酷さに、ミチコ・オオバのお母さん、ミセス・オオバが同情して、
「あの2人、酷いねぇ。なにもあそこまで言わなくてもいいのに。おばちゃんは良く頑張ったと思うよ」
 と言いながら、缶ジュースをおごってくれた。

 ボクらは、とっくにオーディションは不合格だと諦めていたのだが、意外にも合格だと発表された。
 その瞬間、弟とシンペイは飛んで喜んだが、ボクは、もうやりたくなかった。
「イヤだ。ボクもう帰る」
 ダダをこねると、2人はさっきまでとは、うって変わった優しい態度になり、
「なに、言ってんの、草ちゃん。ここまで来たんや、もう一回頑張ろうや」
「オレたち2人の、お母さんなんだゼ。兄弟で力を合わせてプレゼントしようよ」
「それに、なんだかんだ言っても、草ちゃんのツッコミがあったから合格できたみたいな所があるさかい、オレら草ちゃんおらんかったらダメやねん」

 なんとかボクのことをなだめようと必死だった。
 それでも、ボクの心は頑なで、もうやるつもりは無かったのだが、そこへ、不合格だったミチコ・オオバがやって来て、ボクらに、
「本番では、私の分まで頑張って、優勝してね」
 と声をかけて来たので、ボクは、ミチコ・オオバに免じて、もう一度だけ漫才をやることにした。

 本番前のステージ裏では、シンペイがボクの目線に腰をおろし、真剣な表情で言った。
「エエか、箱根はお前に懸かっとんやで。風時はもう完璧や。あとはお前さえ、ちゃんとやってくれれば、きっと優勝できるさかい、頑張るんやで」
 シンペイはボクを励ますつもりだったのだろうが、これがボクには、ひどいプレッシャーになった。

 ステージでは、一輪車の曲乗りが出来るちびっこが、出番を終え袖に戻ってきた。
「それでは、次のちびっこどーぞ!」
 司会の人に呼ばれ、ボクらは舞台袖のスタッフに促されるままステージにでた。
 明るい照明を当てられ、目の前には大勢の観客。すぐ側にモリさん。

 ボクにとってこの状況はキツすぎた。ステージに出たとたん、ボクは完全にフリーズした。
 司会者の質問に弟が受け答えする姿が、まるで自分には関係ない別世界の事のように見える。
 やがて弟の、「しかし、まあ、なんですな~」のセリフでネタが始まったが、ボクはどうしようもない。あたまに、
「お前さえ、ちゃんとやってくれれば、きっと優勝できるさかい」
 シンペイのセリフや、
「私の分まで頑張って、優勝してね」
 ミチコ・オオバの顔、
「お母さんに、プレゼントあげるんだ」
 意気込む弟の姿が浮かんで、それらすべてがプレッシャーになって、ボクは更に深く、別世界に沈みこんだ。

「――そしたら、そいつが、オカマやってん!」
「…………」
 THEデジャブー。オーディションの時と同じように、ボクは固まり、弟はキツイ視線を送ってきた。
 しかし、今度はアイコンタクトを受けとったのは、弟の方だった。
 緊張を通り越して、もう、どうしようもない状態だというのが表情に表れていたのだろう。弟はボクに視線を向けた次の瞬間には、(ああ、こいつ、もうダメになったんだな)とさとって、諦めたような顔になった。

「…………」
 沈黙がスタジオを包む。今度は弟の拳もおりて来ない。後、1、2秒もすれば司会者がフォローに入って、すべてが終わるだろう。タオルが投げ込まれての試合終了だ。
 しかし、弟がそうは、させなかった。
 彼は諦めずに、追い込まれた芸人に残された、最後の荒技を本能で探り当てた。

 弟はいきなり、ズボンとパンツを一気にヒザ下までおろして、下半身を露出させると、拳を突き上げ、
「アイ・アム・ア・ガール!!!」
 と絶叫した。
「アイ・アム・ア・ガール!! マイ・ネーム・イズ・ミチコ・オオバ、ナイスチュ・ミー・チュー!!!」
 何度も何度も、「アイ・アム・ア・ガール」と叫ぶ弟の横で、ボクは、ミセス・オオバに買ってもらったレモンティーを股間から放出させていた。

「すいません。すいません。本当に申し訳ありません」
 シンペイは、ボクらの代わりに何度も頭を下げた。

「私もねぇ、長いことテレビの仕事してるけど、こんな事は初めてですよ。いくら子どもチンコとはいえ、お昼の番組で丸出しにするとはね~」
 例のプロデューサーが、冷ややかにボクらを見る。
 シンペイは謝るだけ謝って、早くこの場から逃げだしたい様だったが、プロデューサーに、
「もうすぐ、モリさん来るから、彼にもちゃんと謝っといてよ」
 と言われ、引き止められた。

 やがてやって来たモリさんは、部屋に入ってくるなり、怒りをあらわにシンペイに詰め寄ると、襟首を掴んで、
「テメェ、俺の番組をメチャクチャにするつもりか!!!」
 とシンペイの事を壁に打ち付けた。
 シンペイは涙を流しながら、
「ごめんなさ~い」
 とオカマちゃんみたいな声で謝った。


 ボクらがようやく、お説教部屋から解放されると、それを待っていた、ミチコ・オオバが近づいてきて、彼女は、
「Buzz Off! Stupid Brother!! (この世から、消えてちょうだい、間抜け兄弟)」
 と罵って去っていった。

 帰りのボクらは、それは、それは暗かった。あまりのドンヨリ感に、すれ違う人たちが〝ギョッ〟として道をあけるほどだった。

「……ざんねんやな……、お母さんに箱根あげられへんかったな」
 シンペイがポツリといい、
「……今年もちゃんとしたプレゼントあげられない……」
 弟が悲しそうに言った。
「……でも、めっちゃ面白かったな。クックックックック」
 シンペイが思いだして笑った。
「それに、コレだって、ちゃんとしたプレゼントだよ」
 ボクは、どさくさに紛れて3人でスタジオからパクって来た花束(テレホン・トーキングのゲストが知人から送られたやつ)を指して言った。
「あっ、ここにも花がある」
 弟は、道端に生えていたスミレをひっこ抜いて、花束の中に足した。

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