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【感想】ユーフォ12話【3期】

中学、高校と吹奏楽部の活動に勤しむも、
もういいかな、となって大学でモダンジャズに転向し1年で挫折、
その後はバイト戦士として学生生活を終えた私。

吹奏楽愛が「そんな程度」だった私が数年後、
社会人吹奏楽団に所属することを決めた契機のひとつが、

「響け! ユーフォニアム」である。

2015年よりスタートした京都アニメーション制作のアニメ版から入り、
武田綾乃さんによる原作も全て履修。
2019年に起きた痛ましい事件を経て、今年Eテレでアニメ版3期(完結編)が放送されると知った時には、
一視聴者ながら胸にせまるものがあった。

本日6/23(日)、3期の第12話が放送されたので、
その感想などを残しておこうと思う。

まだ見逃し配信などもはじまっていないタイミングなので、
(最速配信はNHKプラスで月曜正午〜かな?)
ネタバレ防止の意味で、ちょっと長めに行間とりますね。


















この記事にリーチしてくださった方は、同作のストーリーの大枠はさらっているケースがほとんどだと思うので、
作品全体のあらすじは省き、12話の流れだけを簡単に。


吹奏楽コンクール全国大会を前に実施されたメンバー選抜オーディション(高校生の場合は1団体55名まで出場可)にて、
主人公でユーフォニアム奏者の黄前久美子と、同学年で担当楽器も同じ黒江真由は、無事にメンバー入りを果たす。

しかし、曲中のユーフォニアムのソリパート(複数人で演奏すること。いわばソロの複数版)をどちらが務めるかは顧問によるオーディションでは決まらず、
部員投票による覆面オーディションで決着をつけることとなる。

オーディション直前、互いの思いをぶつけ合い、全力で挑むことを決意した久美子と真由は、
双方素晴らしい演奏を披露。

部員の意見が同票と真っ二つに割れる中、
ソリの相手を務めたトランペット奏者で、久美子の親友でもある高坂麗奈が最後の審判を下すことに。
彼女が選んだのは、真由だった。


ざっとストーリーをまとめると、
主人公が結果を残せませんでした、親友は技術の高い方を選びました、といういわゆる「スポ根」っぽい展開なのだが、
驚くべきは、この12話の内容ほとんどが「原作にはなかった」ということである。

原作では再オーディションもなければ、ソリを獲得したのは主人公の久美子だったのだ。
原作履修勢の私としては、「えっ」と思わず声が出た。


ここからは、「えっ」と口をついた背景を2つ、まとめていく。

1つめは、「原作改変」に対するマイナスイメージが増大している潮流の中で、
この展開をやってのけたという事実そのもの。

この3期の放送開始が今年4月で、少なくとも数カ月は前から脚本の構想を練っていたと考えると、
あの「ドラマ改変の一件」が1月末に起こったとき、
制作委員会にどれほどの衝撃がもたらされたか、想像に難くない。

それでもなお、作品を通じて伝えたいテーマを鑑み、
原作からの変更に踏み切ったチームの信念の強さには、感服するほかなかったのである。

なお、原作者の武田さんはXでこのようにポストしており、
この展開にも納得、なんなら感銘まで受けている様子だ。

この「みんな」とは、作中のキャラクターはもちろんのこと、
制作チームのことも示しているような気がしてならない。


「えっ」の背景2つめは、
久美子と真由、どちらの演奏(音源)にも大きな差をつけず、
その上で麗奈に真由の演奏を選ばせた、という演出である。

久美子、真由の演奏として再生されたユーフォニアムの音源は、
まさに甲乙つけがたいクオリティ。

というか、あまりにも2人の音色が同じすぎて、
中の人が実は同一人物で、
「微妙にニュアンスを変えて吹いてください」とか言って録音したのでは? と思えるほど。
実力が拮抗してると言っても、普通はここまで似ることはない。

それでも、記憶を頼りに双方の演奏を強いて評するなら、
1番目の演奏(真由)はテンポ感が適切で「トランペットの邪魔をしない」ことに徹している印象、
2番目の演奏(久美子)の方はビブラートが深めで情緒的、「トランペットの対旋律」として演奏している印象を受けた。

オーディションのあと、麗奈は「2番が久美子だとわかっていた、でも真由の演奏を選んだ」と、久美子へ涙ながらに懺悔していたが、
あの音源を踏まえれば、実力に優劣などなかったことは明らか。

その上で、麗奈が久美子の演奏を選ばなかったのは、
麗奈が自身の持つトランペットの技術を「コンクールの命運がかかっている」と冷静に自覚し、
「ソリの相手が自分の演奏効果を高めてくれるか」という観点だけで判断したから…と、私は推察している。

なんというか、単に「努力が報われるとは限らない」とか「コンクールの過酷さ」を示すなら、
久美子と真由の演奏は逆であった方が、エンタメとしてはしっくりきたと思う。

サポート寄りで癖のない演奏(に聞こえた)が評価され、感情をにじませた演奏(に聞こえた)が選ばれなかったという展開は、
麗奈が持つ結果主義に対する信念を、最も残酷な形で浮き彫りにしたのだ。

キャラクター各自の持つ設定をここまで徹底追求した例は、決して多くないのではないだろうか。
ましてや、原作の展開を変えてまで。


結果的に、どちらも「制作陣の心意気がすごい」という話に帰結してしまう。
それだけこの12話の衝撃は大きかった。

1期の放送開始から丸9年が経ち、10年目を迎えているプロジェクト(1期の準備期間も含めたら、もっと長いかもしれない)は、
これまでのどの京アニ作品よりも挑戦的で、制作チームの想い、いや、情念とも言うべき熱意によって突き進んでいるのだと思う。

来週6/30(日)に放送される最終回まで、しかと見届けたい。

※ちなみに、触発されて入った社会人吹奏楽団も1年くらいで辞めました、吹奏楽ってほんとたいへん

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