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娘と再会した翌月から、元妻の猛反撃。先生は人が変わったように、私を拒絶した。

■15
 本気を出せば、わが子に会える。今回の体験が、どれだけ私を勇気づけただろう。
息子にはまだ会えずにいるが、娘には会えた。娘に会いに行っても、警察は手出しできなかった。娘と会うのは、犯罪でもなんでもないことだったのだ。
 警察や裁判所が絡むと、それらの機関が許さなければ「会ってはまずいのではないか」「おおごとに発展してしまうのではないか」「子供がよけいに傷つくのではないか」と思い込ませられる。この思い込みをラチベンと女権業者は巧妙に利用し、連れ去り被害に遭った父親から、子供と気力とカネを奪うのだ。
 翌月、懲りずに私はまた娘の学校を訪れた。今回は娘と一緒に担任の先生に挨拶し、許しを得て校内にある学童保育にも足を運んだ。
 学童保育には三人の先生がいた。対応してくれたのは、六十歳前後の小柄な女性だ。事情を話すと「親が学童で子供と遊ぶ」というイレギュラーな対応もしてくださった。娘が好きなお絵描きをしていると、ほかの子供たちも集まってきた。
 娘は私の万年筆で嬉しそうに絵を描いている。さらさらとした青いインクが気に入ったようだ。
「この万年筆、あげる」と言うと喜んだ。
「いま消しゴムがほしいの」と娘は言う。
「こんどは消しゴムを持ってきてあげるよ」
「ダメだよ、パパの消しゴムがなくなっちゃう」
 こんな他愛もないやりとりの一つひとつが、私にとっては宝石のように輝く思い出になっている。
 一時間ほどすると、学童保育の先生が申し訳なさそうに私のところへ来た。元妻からクレームが入り、これから祖母が迎えに来るとのことだった。
 やはり連絡はするんだな。と思ったが、そうだよなあ、それでこそ公平に両親に接するということだなと気を取り直した。
 下駄箱の前、先生が「ここでお別れで、お願いします」と言う。迷惑をかけないよう、私は素直に従った。元妻の母親は相変わらず憮然とした態度だ。娘と別れてから、先生方にお礼を言いにいった。
「ご迷惑をおかけしてすみませんでした。娘に会えて、とても嬉しかったです」
「お父さん、いいんですよ。学童でなら、娘さんにいつでも会えますから。また会いに来てあげてください。Rちゃんがあんなふうに嬉しそうにしているのを、初めて見ました。私も嬉しかったです」
 娘と私を取り巻く環境が、急速に好転している。
学校や学童は、裁判所と違って公平だ。子供のために、何が良いのかを考えてくれるのだ。心が急に暖かくなった。
 だが、それも長くは続かなかった。元妻の反撃が始まったのである。

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