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「再会により、娘の心は平和になり、息子は父親を見つけた」と、元妻が言った。

■26
 元妻の車に乗り、近くにある二十四時間営業の大型スーパーストアに行った。駐車場に車を停めて、スーパーで買ったコーヒーを飲みながら話をした。田舎だからカフェなど無い。
 元妻によると、私の「学校凸撃再会」以来、娘の「改善」はめざましいものがあったそうだ。
朝、起きられるようになった。忘れ物が少なくなった。勉強がはかどるようになった。居残りをさせられることも少なくなり、なにより情緒が安定して明るくなった。
 私と会っているときは、抑えていた感情を爆発させることもあるが、それも娘の精神衛生上は必要な現象だったのだろう。感情の爆発も、会う回数を経るごとに少しずつ激しさがおさまってきている。やはり私がやってきたことは間違いではなかったのだ。
 悔やまれるのは「超法規的行動」を実行するまでに二年半も悩んでしまったことだ。多くの人にアドバイスを求めたが、全員当事者ではなかった。当事者ではない人たちの「常識」の範疇で思いつく解決策では、日々成長する子供たちの心は救えない。
 なにより、私自身に「そんなこと、二度としてはならない」という思いが強すぎた。「あの日」の娘の泣き顔を思い出すたびに、またあんな思いをさせてはならないと考えていた。
 非常識な人間には「超常識」で立ち向かわなければならない。常識の壁を超えた超常識の世界があることを、この経験を通して私は確信した。

 元妻の話は続いた。
 息子は私が会いに行った日、家に帰ってから「あのひとが、ぼくのおとうさん」と言ったそうだ。
 元妻の実家には、三人の成人男性が住んでいる。元妻の父親、そして二人の弟だ。三歳にも満たない子であれば、そのうちの誰かを父親だと思い込むこともありそうなものだが、一度も「おとうさん」と呼んだことはなかったらしい。
 はじめて会った日に、息子がそう言ってくれたというエピソードに、これまでの戦いが報われる思いがした。息子もまた、父親を探していたのだ。もしかしたら娘が、息子に父親の話をしていてくれたのかもしれない。孤独だと思っていた三年間、娘も息子も、それぞれの立場で私を求めてくれていたのだ。

 しかし、なにかおかしくはないか。
なぜ、元妻は急にこのような話をしてくるのだろうか。これらの話は、私にとって「有利」に作用する。これは取りも直さず、彼女にとっては「不利」になる。
 彼女は「娘の改善に気づきながらも、私を排除しつづけた」と自白していることになる。素直に反省をしているとも思えない。感動しながらも、どこか不気味である。
「あのさぁ」
心臓が、鋭い爪で鷲掴みにされたようにギュッと痛む。
元妻の「あのさぁ」から始まる会話は、いつも私を追い詰める駆け引きの合図だった。
久し振りに聞く「あのさぁ」に、私は戦慄した。

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