何にもならん話(アイデンティティー篇)
私は何にもなれない。
先生になりたかった。
くそみたいな先生としか出会えなくて、なら俺がまともな先生になるしかない。俺ならなれると思ってた。
なれなかった。高校で落ちこぼれに落ちこぼれた。
浪人した。そのわりにだめでアホアホ大学に入った。
アホアホ大学で鶏口牛後を目指すも、アホアホ大学にはおれより優秀な落ちこぼれがたくさんいて、立派に鶏の口やってた。
総合力では勝てないからと、ひとつに特化しようと、誰もしない「性教育」をテーマに二年生から独学で学び始めた。
まだ周りではだれも卒論のことなんて考えてない中、がんばる優越感があった。
それと同時に性教育を考えること自体の楽しみもあった。院で学びたいナーなんて漠然に考えてた。
けどなにもしなかった。
私は提出物が出せなかった。なにかを計画してそれに合わせて進めることができないし、できた経験もなかった。
これが仇となった
なにも出せない。実習も手続きできない。免許もなにもかも。自分が嫌になった。
これと同じくらいの時に家を出れなくなった。たぶんここらで心が壊れ始めた。学業はもちろん夜のバイトも合わなかったのだろう。
先生になりたいのに子どもの声が聞き取れなくなった。
高い声や周りがガヤガヤしてるとき、人の声が理解できない。目の前で口を動かしていても、言葉の意味があたまに入ってこない。
後の教育実習でも結果はおなじだった。聞き取れない。
子どもが話しかけてくれても、何をいってるかわからない。何度も聞き返してるうちに子どもが諦めて離れていく。
終わり。
私は教師になるために親のすねをかじって、浪人しそれも失敗してアホアホ教育大学で高いお金を払ってもらってここまで来た。
すべて水の泡に思えた。
人生に意味あるのかと。
見かねた職員に大学のカウンセラーさんとのカウンセリングを勧められる。
自分のいろいろを話し、自分と向き合って考えた。
私には足りない能力があるのではと思い、 知能検査をお願いした。
結果は平均値は標準。しかし内訳がひどかった。四項目のうち言語能力だけ高く、他二つは境界域。
知能は平均値よりもこのでこぼこが生きづらさを生む。私はまさに生きづらい人だった。
もちろんこの検査はカウンセラーさんにしてもらったので、医者のように障害がありますと診断できるものではない。
しかし自分の特性を知るには十分だった。
先生にはなれない。私はいい先生になりたかったのだ、こんなんじゃ悪い先生になる。
いろんな人に、先生になれるよ、先生にもいろんなタイプがいるよ、そういう先生がいてもいいよ、と言われたがそうは思わない。
先生という選べない人生の要素において、絶対にハズレはあってはならないとそう思う。
だから私は先生にはならない。
ならどうする。 私は性教育を周りに普及して死ぬことにした。
詳細は省くが、日本の遅れている性教育を正すには、より良い性教育を多くの人に知ってもらう必要がある。
そのために私は性教育を卒論で仕上げて多くの人と話し合い、その人たちが先生になったときに性教育を変えてもらえるようにしようと考えた。
それもできなかった。提出物がまともにできないやつにそんなだいそれたことできるはずかないのだ。
そしてどうしようもなくなった私は
今年の一月
ありったけのお金と死ぬ勇気をもって蒸発したのだった。
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